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花が舞う季節、君は夢の彼方に

花が舞う季節、君は夢の彼方に

Par:  忘憂Complété
Langue: Japanese
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不治の病を患った石津音(いしづ おと)が夫の子を出産するその日、義父母は私が騒ぎに来ないようにと、出産室の前に十人ものボディーガードを配備していた。 だが、出産が終わるまで、私は現れなかった。 義母は音の手を取り、しみじみと言った。 「私たちがいる限り、澪にあなたやお腹の赤ちゃんを傷つけさせたりしないわ」 夫は音の出産に付き添いながら、顔に心配の色を浮かべ、額の汗を拭っていた。 「心配するな、親父が人を連れて病院の正門を見張ってる。澪が来て騒ぎでも起こそうもんなら、追い出してやるさ」 私の姿がいつまで経っても現れず、ようやく彼は安堵の息をついた。 彼には理解できなかった。 ただ音の「母になりたい」という願いを叶えたいだけなのに、なぜ私があんなにも理不尽に怒ったのか。 看護師の腕の中で元気に泣く赤ん坊を見て、彼は満足げに微笑んだ。 そして心の中でこう思った。 明日、私が音に謝りに来さえすれば、これまでの喧嘩は水に流してやってもいい。 赤ん坊の母親の座も譲ってやる、と。 だが彼は知らなかった。 私はちょうど国連への渡航申請書を提出したところだった。 一週間後には国籍を抹消し、国境なき医師団の一員となって、彼とは二度と会うことはない。

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Chapitre 1

第1話

横山景(よこやま けい)が石津音(いしづ おと)を産後ケア施設から連れて出てきたその日、私はちょうど病院での引き継ぎ作業を終えたところだった。

入り口まで歩いてきたとき、中から笑い声が聞こえてきた。

「この子、本当に可愛いわね!濃い眉毛なんて、まるでうちの景そっくりじゃない。音は横山家の功労者だわ!」

義母は腕の中の赤ん坊をあやしながら上機嫌で笑い、景は台所から湯気の立つスペアリブスープを運んできた。

「音、苦労かけたね。これは俺が自分で煮たスープだよ。君は体が弱いから、ちゃんと栄養取らないと」

彼はベッドの端に座り、優しい顔で音にスープを飲ませていた。

まるで仲睦まじい家族そのものだった。

義父はガラガラを手に子供をあやし、笑顔が止まらなかった。

「この子、お母さんに似て愛嬌がある。ああ、澪(みお)みたいな根暗じゃなくて良かったよ。あいつが母親だったら、医者の顔で子育てなんて、考えただけで気が滅入る」

私はドアノブを握る手に力を込めた。

初めて義父に会ったときのことを思い出す。

あのとき彼は私の肩を誇らしげに叩き、「医者の嫁がいてくれて本当によかった」と言っていたのに。

今では、「医者に家庭は似合わない」と言い放っている。

結婚当初、夫の実家が経済的に苦境に立たされたとき、私は数百万円を出して助けた。

それは私の全貯金だった。

それなのに、私がたった一年、海外で研修を受けただけで、この家にはもう私の居場所はなくなっていた。

私はうつむき、苦笑いを浮かべた。

景と私は結婚して三年になる。

かつて私たちにも一人、子供がいた。

だが不慮の事故で子供を失い、そのうえ子宮にもダメージを負って、生涯子を持つことができなくなった。

その知らせを受けた私は、泣き崩れた。

景は私を抱きしめて慰め、「澪が持たないというのなら、俺は子供なんていらない」と言ってくれた。

それから彼は、自ら進んで子供を持たない選択をした。

......はずだった。

今、彼はその約束を破った。

不治の病を患った初恋の「母になりたい」という最後の願いを叶えるために、自ら約束を踏みにじったのだ。

私が海外研修に出発した日、彼はまるで子供のように泣きながら、私を離そうとしなかった。

明らかにこの一年、私たちは毎日のように電話をして、互いの日常を語り合っていた。

同僚たちにも「結婚三年とは思えないほどラブラブ」とからかわれるほどだった。

でもちょうど一か月前、私は苦労してやっとの思いで休暇を申請し、帰国した。

九時間も飛行機に乗って、疲れたなんて一言も言わなかった。

急いで家に戻ったそのとき、

私は目撃してしまった。

景と音が手を繋ぎ、マンションの下で仲良く散歩しているところを。

そして彼女は、大きなお腹をしていた。

思考がさまよう中、音の声が私を現実に引き戻した。

「澪さん、いつ帰ってきたの?玄関でボーとしてどうしたの?」

彼女の声に反応して、室内にいた人たちが一斉に玄関の方を見た。

そして私の手にある辞職届を見た義母の眉は、深く険しくなった。

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第1話
横山景(よこやま けい)が石津音(いしづ おと)を産後ケア施設から連れて出てきたその日、私はちょうど病院での引き継ぎ作業を終えたところだった。入り口まで歩いてきたとき、中から笑い声が聞こえてきた。「この子、本当に可愛いわね!濃い眉毛なんて、まるでうちの景そっくりじゃない。音は横山家の功労者だわ!」義母は腕の中の赤ん坊をあやしながら上機嫌で笑い、景は台所から湯気の立つスペアリブスープを運んできた。「音、苦労かけたね。これは俺が自分で煮たスープだよ。君は体が弱いから、ちゃんと栄養取らないと」彼はベッドの端に座り、優しい顔で音にスープを飲ませていた。まるで仲睦まじい家族そのものだった。義父はガラガラを手に子供をあやし、笑顔が止まらなかった。「この子、お母さんに似て愛嬌がある。ああ、澪(みお)みたいな根暗じゃなくて良かったよ。あいつが母親だったら、医者の顔で子育てなんて、考えただけで気が滅入る」私はドアノブを握る手に力を込めた。初めて義父に会ったときのことを思い出す。あのとき彼は私の肩を誇らしげに叩き、「医者の嫁がいてくれて本当によかった」と言っていたのに。今では、「医者に家庭は似合わない」と言い放っている。結婚当初、夫の実家が経済的に苦境に立たされたとき、私は数百万円を出して助けた。それは私の全貯金だった。それなのに、私がたった一年、海外で研修を受けただけで、この家にはもう私の居場所はなくなっていた。私はうつむき、苦笑いを浮かべた。景と私は結婚して三年になる。かつて私たちにも一人、子供がいた。だが不慮の事故で子供を失い、そのうえ子宮にもダメージを負って、生涯子を持つことができなくなった。その知らせを受けた私は、泣き崩れた。景は私を抱きしめて慰め、「澪が持たないというのなら、俺は子供なんていらない」と言ってくれた。それから彼は、自ら進んで子供を持たない選択をした。......はずだった。今、彼はその約束を破った。不治の病を患った初恋の「母になりたい」という最後の願いを叶えるために、自ら約束を踏みにじったのだ。私が海外研修に出発した日、彼はまるで子供のように泣きながら、私を離そうとしなかった。明らかにこの一年、私たちは毎日のように電話をして、互いの日常を語り合っていた。
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第2話
「どうして俺は景にお前みたいな厄病神を嫁に迎えさせたんだろう。辞職して仕事を辞めたってことは、これから景に養ってもらうつもりか?」義父も一緒になって責め立てる。「安定した高収入の仕事さえこなせない奴に、一体何ができるっていうんだ?こんな出来損ないなら最初から家に入れるべきじゃなかった!」「音の身体は今とても大事な時期なんだ。子どもにも何かと金がかかるのに、お前は景の負担を軽くするどころか、余計な問題ばかり増やして......そんなの、妻のすることか?」その言葉を聞いて、私は思わず笑いが込み上げた。「じゃあ景は?私が研修している間に他の女を妊娠させるなんて、そんなのが夫なの?」「お前、いい加減にしろよ。俺だってお前のためを思ってやってるんだ!」景は眉をひそめ、冷たい目で私を見つめた。「澪には子どもを産めないんだ。だから音が代わりに産んでくれた。俺は親切でお前に母親になる経験をさせてやったんだ。それが理解できないのか?」「それに、これはIVF(体外受精)だ。誰にとってもいいことだろ?音の願いを叶えて、心残りなく逝かせてやれるし、お前は痛みもなく母親になれる。何をそんなに怒ってるんだ?」「二年前、音が事故で俺を助けてくれなかったら、俺はもうこの世にいない。彼女は両親を亡くして、今は末期がんと診断された。もう少ししたら、世界中から彼女の存在は忘れられてしまうんだ」「同じ女性として、少しも同情できないのか?なぜいつも彼女を敵視する?まさか俺のことを、汚くて下劣な男だとでも思ってるのか?」音は哀しげな顔で景の手を取り、私の方を見た。「もうやめて。全部私が悪いの。これからはもう絶対にあなたたちの前に現れないから。あなたたちの仲が壊すつもりはないから」四人がとっくに仲間になっていたのか。私は心の中で嗤った。ああ、これが「本当の家族」ってやつか。その時、景が突然言った。「俺にも我慢の限界があるんだ。これ以上音を理不尽なことをするなら、もう遠慮しないぞ!」「これからも俺と一緒に暮らしていきたいなら、大人しくしろ。来週のお宮参りの席で、親戚や友人たちの前で、お前を子どもの母親として紹介するから」来週、か。私はベビーカーの中で眠る赤ん坊に目をやった。来週、私は再び国外へ旅立つ予定だ。でもその前に、彼らに
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第3話
最初は、あんなことを言われれば音も少しは控えるだろうと思っていた。だが、彼女は堂々たる「正妻」の態度で、家の中に私を招き入れようとした。すれ違いざま、彼女は私たち二人だけに聞こえるような声で、こう囁いた。「あなた、景と三年も結婚してたんですって?身代わりは所詮、身代わり。本妻の私には敵わないわ。結局は素直に席を譲るしかないじゃない」怒りがこみ上げ、私はもう我慢できず、思い切り彼女の頬を平手打ちした。景と別れていた十ヶ月間の恋しさが、すべて怒りに変わった瞬間だった。騒ぎを聞いた近所の人が通報し、警察が来る事態にまで発展した。だが家庭内の問題ということで、警察も深く介入できず、結局私たちはそれぞれ家に帰されることとなった。家に着くと、駆けつけた義父母にいきなり罵倒された。「帰ってきた早々、大騒ぎを起こして!近所の人たちにまで笑われたじゃないの!」「長年人の理を勉強してきたのに、無駄だったのか?人を殴るなんて、もし何かあったら許さないからな!」彼らはずっと景と音の関係を知っていた。それどころか、二人を強く支持していたのだ。たった一年で、音は彼らの理想の嫁になっていた。知らされていなかったのは、私だけだった。口の中が苦くなった。景は目を赤くしながら私のそばに寄ってきて、私の手を取ろうとした。「澪、裏切るつもりなんてなかったんだ。ただ音が......医者に言われたんだ、彼女はあと半年も生きられないって。彼女の唯一の願いが、母親になること、自分の子供を持つことだったんだ」「彼女は俺の命の恩人だ。そんな彼女が心残りのまま死ぬのを見ていられないよ......」「本当は君に相談したかった。でも君は海外にいたし、勉強の邪魔になると思って、帰国してから話そうと思って......」「一緒に......あの子を育てよう?」......こんな重大な話を、彼の口からはまるで取るに足らないことのように語られた。私は最後の一枚の服をスーツケースにしまった。そのとき、義母がドアを開けて入ってきた。私の足元のスーツケースを見て、少し満足そうな顔をした。「あなたが帰ってこなかったから、音をあなたの部屋に寝かせていたのよ。書斎ももう赤ちゃんの部屋にしたし、今夜はリビングで寝てちょうだい。嫌ならホテルでも行
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第4話
「やっぱり澪さんだ。さっき遠くから見て、そっくりな人がいるなって。でも景はこんなところにいるはずがないって〜」彼女の視線が、私の手にある求人チラシに落ちると、すぐに意味ありげな笑みを浮かべた。「なるほど、仕事を探してるんだ。でも、どうしてわざわざウェイトレスなんて選ぶの?」「景さんに腹を立てたからって、自分をこんなふうに傷つける必要ないでしょ......?」私は何も言わなかった。この求人チラシは、さっき通りで配っていた女の子から受け取ったものだった。真冬の寒い中で配っていたので、なんとなく受け取っただけだ。私が黙ってチラシを握りしめているのを見て、音の目に得意げな光が一瞬走り、口元はますます上がった。「仕事を探してるって言えばよかったのに。私にできることがあったかもしれないよ?」「みんな家族なんだから澪さんがちゃんとしてくれたら、景の将来も、子どものためにも安心できるし、私も心配しないで済むわ」その瞬間の私の沈黙は、まるで彼女の言葉を認めたかのようだった。最初は困惑した表情を浮かべていた景の顔色が、一変する。彼は眉をひそめ、唇を一文字に結び、私を見る目には軽蔑が浮かんでいた。「手助けするまでもないよ。わざわざ医者の仕事まで辞めたんだ。今さら道端で飢え死にしても、誰も同情なんてしないだろう」「澪、まさか子どもを諦めさせたいがために、ここまで手段を選ばなくなるとは思わなかったよ。がっかりしたぞ」彼のよく知っているはずの顔を見ているのに、私は今、その顔にまったく見覚えがないような気がした。思い出すのは、結婚したばかりの頃。病院での内部競争が激しくて、ポジションが変わるかもしれないと悩んでいた私が、仕事を辞めて転職しようかと考えていたとき。景は私を抱きしめながら、背中を優しくなでて言ったのだ。「夫婦は一心同体。君がどんな決断をしても、俺は応援するよ」「辞職なんて大したことないよ。澪のことは、俺がずっと支えていくから」でも今は、彼は私が他の女に侮辱されても、ただ黙って見ているだけ。かつての言葉も、かつての愛情も、今の彼にはもう何の意味もないらしい。その後ろには、義父母もまた軽蔑したように首を振っていた。「子どもも産めないくせに、家にもろくに帰らず、音の足元にも及ばないわ」「お前
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第5話
何はともあれ、長年の情はまだ残っている。この件が終われば、私は彼らに対して何の義理もなくなる。けれど、義母に「病院に行こう」と言った途端、彼女の顔色は一変した。「元気なのに何で病院なんかに?ちょっとあんたに小言を言ったからって、私を呪うつもりなの?あんたって本当に性悪ね。前に健康診断で医者に問題なしって言われたのよ?何を診てもらうっていうの?」「今日は喘息を専門にしてるトップクラスの先生が国内にいらっしゃって......再診と思って、一度診てもらえば――」私の言葉が終わらないうちに、義母は手元のコップを私に投げつけてきた。「聞こえはいいけど、そんな一流の先生を無職のあんたが簡単に予約できるわけないでしょ?口先ばっかり!音は、この前夜遅くまで並んで専門医の予約を取ってくれたのよ?そのときあんたはどこに行ってた?」彼女は何かにつけて音と私を比べてくる。その態度がすべてを物語っていた。私は何をしても間違いで、どう努力しても音には敵わない。その考えが胸の奥から湧き上がってきたとき、私はただ苦笑するしかなかった。「行きたくないなら、もう大丈夫です」ただのお節介だったんだ。自分から進んで、わざわざ嫌われることをしただけ。やがて、子どものお祝い――お宮参りの食事会の日が来た。私は少し遅れて到着し、会場に足を踏み入れると、見覚えのない親戚たちでごった返していた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなるほどだった。その盛大さは、私と景の結婚式よりも豪華に感じた。会場の入り口には、なんと彼ら五人家族の記念写真が大きく貼り出されていた。私は最初から最後まで、ただの笑い者だった。私の姿を見つけた親戚たちは、すぐにひそひそと話し始めた。聞かずとも内容は察しがついた。すぐに長女のおばが私の腕を引きながら話しかけてきた。「澪、いつ帰ってきたの?景からは何も聞いてないわよ?それに、いつの間に子どもができたの?」「研修から戻って、中央病院で主任医師に昇進するって聞いたよ!おめでとう!」私は黙ったまま、軽く頷いて礼を示した。でも、彼らの目に浮かぶ軽蔑の色は、あまりにもはっきりしていた。だって、家族写真に私はいない。食事会で景のそばにいるのも、私ではなかった。誰かが遠くで景にスイーツを
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第6話
「何するつもりだ。警告するけど、変なこと言ったらただじゃ置かないからな」景は焦ったような目で私の袖を引っ張り、小声で警告してきた。でも私は彼を見ようともせず、静かに手を振り払った。やましいことがなければ、恐れるはずもない。そのまま、私は淡々と話し始めた。「まず、遠くから今日のお宮参りにお越しいただいた皆さまに心より感謝申し上げます」「ここにいる親戚の皆さんは、私と景が結婚したときにも立ち会ってくださった方々です。結婚後も、皆さんからの祝福を胸に刻んで生きてきました。けれど、先ほど皆さんが入口で目にされた家族写真をご覧になったかと思います」その言葉を聞いた瞬間、景の顔色が一変した。彼は顔を真っ赤にして私に向かって突進してきて、マイクを奪おうとした。私は素早く身をかわし、マイクをしっかり握りしめながら話を続けた。「正直、私もその写真を見て驚きました。一年間の研修を終えて帰国したら、景が他の女性と一緒にいて、その人との間に子どもまでできていたんです」「しかも、あろうことか私のためなどと言って、その子を私の名義で育てさせようとした。でもそんなこと、私は絶対に受け入れません。この屈辱を黙って飲み込むつもりも、罪を着せられるつもりもありません!」「景、離婚しましょう」そう言って、私は懐からあらかじめ用意していた離婚届を取り出し、彼の足元に放り投げた。これは彼と音が一緒にいるところを目撃したあの日から、ずっとやろうと思っていたことだ。景の顔は真っ青になり、騒ぎを鎮めようとマイクを取り返そうとしたかと思えば、私の腕を掴んで何かを必死に説明しようとした。「澪、そんなに俺のことが信用できないのか?前にも言っただろう。このことをもう蒸し返さないなら、三人でちゃんとやり直そうって」三人の家庭?彼が言う「三人」には、私以外なら誰でもよかった。私ももう、自分をごまかすのはやめた。彼の手を振り払い、冷たく言った。「サインして。もう話すことは何もないわ。あなたたちに幸せが訪れることを祈ってる」景は激しく首を振った。「絶対にサインしない。それに離婚なんて認めない。お前の思い通りにはさせないぞ!」実は、離婚届を弁護士に作ってもらったとき、「景に無一文で出ていってもらう条件をつけられますよ」と言われていた。
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第7話
最終的に、景は、私が大股でその場を去っていく後ろ姿をただ呆然と見送るしかなかった。心の中では、「今はこの場をやり過ごしてから、後でゆっくり話し合えばいい」と考えていた。どうせ自分が離婚に同意しない限り、この関係は終わらないのだから。そう思うことで、景の心は少し安らいだようだった。しかし、彼は知らない。彼が音との子を作ったその瞬間、彼が愛を裏切ったその瞬間から、私たちの間には、もう二度と可能性なんてものは存在しないということを。......私が去った後、景たちは慌てふためきながら音を病院へ搬送した。だがその途中、義母も感情の起伏が激しかったせいか、呼吸困難を起こして喘息の発作が再発してしまう。義母の顔は青紫に変色し、景の手を握りしめながら、苦しげに助けを求めた。「助けて......苦しい......」一方の音も眉間に皺を寄せ、景の服の裾を掴んで離そうとしなかった。「景......息がうまく吸えないの......」景は頭を抱え、どちらを優先すべきか分からずに動揺していた。そんな中、義母が手術室に運ばれようとしたその瞬間、彼らは病院の院長と、喘息分野で最も権威のある専門医と鉢合わせる。景は何もかも気にしていられず、飛び出すように院長と専門医の前に跪いた。「江野先生、桐山先生、どうか母を助けてください!」「喘息が再発して危険な状態なんです。前に音という人が先生の診察を予約していたと思うのですが、覚えていらっしゃいますか?」その専門医は景をしばらく見つめた後、少し戸惑いながら尋ねた。「あなたは......澪くんのご主人ですよね?」景の目が一気に輝き、希望の光を見たような表情になった。「はい。でも、それが彼女と何の関係が......?」すると専門医は、ひとことずつはっきりとこう言った。「関係ないはずがないでしょう。江野先生を通じて、彼女が私に連絡してきたんですよ。お義母さんの病気を診てほしいって。そのとき彼女のスマホにあなたの写真もありました。なんて孝行な娘さんだとそのとき感心したものです。けれど、数日前に彼女から『もう診察は必要ない』と連絡があったんですよ。どういうことなんですか?」その話を聞いて、景は呆然とし、信じられないという表情で顔を上げた。「......澪が?桐
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第8話
景はうなだれて、何も言わなかった。まるで悪いことをした子供のようだった。だが、義父の怒声が腕の中の赤ん坊を驚かせ、激しく泣き出した。赤ん坊の泣き声に苛立った義父は、怒りに任せて子供を隣のプラスチック製の椅子に乱暴に置いた。「泣くな!一日中泣いてばかりいてうるさいぞ!」「景、これはお前の息子だ。自分であやせ!」だが景は、もはやそれどころではなかった。彼はゆっくりとスマホを取り出し、私に電話をかけようとした。もしかしたら、今となっては専門医に連絡できるのは私しかいないのかもしれない。しかし、私の電話はつながらなかった。そのときの私は、すでに国外へ向かう飛行機に搭乗していたのだから。飛行機の中で、私は窓辺に頭を預けながら、外の景色がどんどん遠ざかっていくのを見ていた。そして機体が大きく傾き、空へと舞い上がるあの慣性に包まれた瞬間、私は、現実ではないような感覚を覚えた。この瞬間から、私はもはや国籍を持つ人間ではない。私は自分自身を、世界に捧げる人間になったのだ。十数時間に及ぶフライトを経て、疲労困憊のまま仲間たちと共に現地へ到着した。国内の平和とはまるで異なる光景。ここでは戦火が絶えず、武装勢力があふれ、少しの油断が命取りになる。車の中で少し仮眠をとっていると、迎えに来てくれた医療チームのリーダーが、目的地の状況を説明してくれた。そして、彼は私たち一人一人に銃を手渡した。「命を救うのも大切だ。でもそれ以上に大切なのは、自分の命だ」その言葉は、私の胸に深く響いた。私はふと、景と結婚していたあの数年間を思い出した。当時の私は、彼こそがすべてだった。彼を自分の命以上に大切に思っていた。だが、記憶の中の少年はもう死んだ。あの私を愛してくれた人はもうこの世にいない。そして私たちの関係も、完全に終わったのだ。これからの私は、もう彼に感情を揺さぶられることはない。彼と音の親密さに心を乱されることもない。彼のために自分の将来や夢を捨てることもない。余生は、私自身のために泣き、私自身のために笑い、私自身のために生きていく。すぐに、私たちは目的地へ到着した。ぬかるんだ道には、多くの負傷者たちが地べたに座り、腕や足には血がにじむ痛々しい傷があった。そこで私は
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第9話
だから今さら、どうしてわざわざここまで来る必要がある。そう思った瞬間、私は少しぎこちなく彼を押しのけ、冷たい表情を浮かべた。「横山さん、私たちはもう離婚したよ」そう言うと、景の目はさらに赤くなり、かすれた声で言った。「俺を突き放さないでくれ......俺はすべての空港を回って、あらゆる人に聞いて、やっと君を見つけたんだ......」「知ってるか?君がいなくなったこの一ヶ月の間に、たくさんのことがあったんだ。俺の母さんも......亡くなった」私は一瞬言葉を失った。まさか景の母親がもうこの世にいないなんて、思いもしなかった。私が茫然としている間に、景は一人で話し続けた。「澪、本当にごめん。あの時、俺たちは君のことを信じなかった。君が嘘をついてると思ってたから。でも、本当に嘘をついてたのは音だった!」「彼女は詐欺師だったんだ。権威のある医者を探しに行くなんて言ってたけど、全部嘘だった。母さんの病気もそのまま放置されて......もしあのとき、君の言葉を信じて専門の医者に診てもらっていれば、母さんはもしかしたら今も生きていたかもしれない」「全部、俺のせいなんだ。あの時、君を信じるべきだった。君を傷つけて、母さんまで死なせてしまった......」「親父が言ってた通りだよ、俺は疫病神だ......」そう言って景は顔を手で覆い、地面にしゃがみ込んで声をあげて泣いた。彼が泣きじゃくる姿を見て、私はその場から動けなかった。胸の奥に、ちくりと痛みを感じた。ここに来てからの一ヶ月、私は毎日、命の境を見てきた。感覚なんてもう麻痺してると思っていたのに、景の言葉を聞いて、心は思った以上に揺れた。思い返せば、音が私たちの間に入る前、彼の母親はまだ私に優しかった。私が子どもを失ったとき、彼女は料理を作ってくれたり、寝返りを打つのを手伝ってくれたりもした。でも音が現れてから、義母は私が子どもを産めないことにあれこれ文句を言い始めて、孫への執着も強くなっていった。......ぼんやりしていると、景の声が再び私の思考を断ち切った。「澪、本当にごめん。俺はずっと君を探して......どうしても自分の口で謝りたかったから。けどそのときやっと知ったんだ、君はただ会社を辞めたんじゃなくて、MSF(国境なき医師団)に入
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第10話
私は冷たい目で彼を見据え、一語一語はっきりと言った。「私は絶対に元の鞘には戻らないし、あなたとあなたの息子の無料のベビーシッターになるつもりもない。もう諦めて」景は目を赤くして、何かを言いたそうに口を開いた。だが彼が口を開くより先に、私は遮るように話し出した。「まだ仕事があるの。この辺りは危険だから、あなたも早く帰国しなさい」そう言い残して、私はキャンプの方へ歩き出した。背後から景の声が追いかけてきた。「澪が帰らないなら、俺も帰らない。ここに残って君と一緒にいる。君がやりたいことをやり終えたら、一緒に帰ろう」私は一瞥もくれず、彼の言葉には一切反応しなかった。ただ、数歩進んだところで、彼が電話を取っているのが聞こえてきた。どうやら国内の病院からの電話のようだった。「......何だって?音が死んだ?」「すぐに帰国する、絶対に俺が戻るまで待っていてくれ!」まさにその時、頭上を爆撃機が2機、低空で通り過ぎていった。聞き慣れた轟音に、私は咄嗟に景を突き飛ばした。「お前?!何するんだ!」と景は怒鳴った。だが彼の声はすぐに近くで起きた爆発音にかき消された。大地全体が揺れ、爆風で舞い上がった土が私たちに降りかかる。私は彼の怒鳴り声など気にも留めず、周囲を一瞥してから素早く立ち上がった。景は突然の襲撃に完全に怯えて、地面に座り込んだまま動けなかった。私は彼を一瞥し、手を引いて立ち上がらせた。「とりあえず中で隠して」景は完全に怯えていて、声が震えていた。「......今、俺たち......もう少しで死んでた?」私はすでに、命の危険と隣り合わせの日々に慣れていたが、彼にとっては初めての経験だった。唇を引き結び、しばらく黙ったあと、私は口を開いた。「後で隊長に頼んで、あなたを送り返してもらうよ。......もう二度と来ないで」景の顔には土がつき、彼はスマホを握りしめたまま黙り込んでいた。しばらくして、隊長が現地の人を連れてやってきた。その男は古いピックアップトラックを運転していて、景に早く乗るよう促していた。見送るとき、私はドライバーの手に紙幣を数枚余分に押し込み、必ず空港まで無事に送り届けるよう念を押した。たとえ彼との関係がすでに終わっていたとしても、生きている人
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