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この言葉、一生変えない

この言葉、一生変えない

By:  無恙Completed
Language: Japanese
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特殊警務部の誰もが知っていた……周防凛河(すおう りんが)は最も優秀な交渉人であり、生死を分ける極限の瞬間でさえ、犯罪者の心の防壁を崩すことができる。 にもかかわらず、仲程依夜(なかほど いよ)の涙の前では、彼はいつも敗北するのだ。 誰もが口を揃えて言った。彼は依夜を骨の髄まで愛していて、星も月もすべて彼女に捧げたいと思っているのだと。 けれど、それが真実ではないと知っていたのは、この世でただ一人、依夜だけだった。 凛河の「本命」は、別の女性だった。

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Chapter 1

第1話

周防凛河(すおう りんが)の本命が帰国したその初日。

嵐の夜、仲程依夜(なかほど いよ)は凛河が事故に遭ったと知らされ、慌てて家を飛び出した。

だが途中で交通事故に遭い、妊娠四ヶ月の子を流産してしまった。

そのとき、凛河は「本命」の歓迎パーティーから駆けつけ、震える声で彼女に言った。

「ただの酔った勢いで始まったゲームだったんだ。どうして本気にしたんだよ?」

心も体も傷ついた彼女の耳に、さらに追い打ちをかけるように冷静な声が届いた。

「今は、子どもがいないほうがいい。俺の仕事には敵が多い。子どもがいたら、それを人質にされるかもしれないから……」

依夜の心は引き裂かれるように痛んだが、それでも何も言い返せなかった。

凛河の「本命」が帰国して十日目。彼女は、二人が部屋で親しげにしている姿を目にした。

しかしその後、凛河は彼女の手を握り、涙ぐみながら必死に弁解した。

「依夜、信じてくれ。俺たちはただの同僚で、仕事の案件について話してただけなんだ」

彼女は騒ぎもせず、静かに背を向けてその場を去った。

凛河の「本命」が帰国して六十日目。

誘拐犯が刃を依夜の首に突きつけ、凛河に冷笑を投げかけた。

「周防さん、妻と恋人、どっちか一人しか選べないぞ!」

凛河は悲しげな目で依夜を見つめ、絞り出すような声で言った。

「菫は、留学から帰ってきたハイテク人材だ。警務部には、彼女の力が必要なんだ」

その瞬間、依夜は、須藤菫(すとう すみれ)が凛河の胸に飛び込むのを目の当たりにし、その直後、犯人に六度も刺された。

彼女は重傷を負って二ヶ月間昏睡状態に陥り、目覚めた直後、離婚届を持って役所に離婚を申請しに行った。

だが、そこで待っていたのは、職員の困惑した一言だった。

「仲程さん、あなたと周防さん……結婚の記録が見当たりません。あなたと周防さん、本当に結婚しています?」

依夜は耳を疑った。六年間も一緒に過ごした時間、信じてきた「幸せな結婚」が、まさか偽りだったなんて。

「そんなはずありません、もう一度確認してください。私たち、もう六年も夫婦として暮らしています……」

職員は複雑な表情で何度も二人の結婚歴を確認し、最終的に真剣な口調で告げた。

「申し訳ありませんが、本当にありません。もう私をからかわないでください……」

依夜は呆然とし、手に持っている結婚証明書を見つめた。そこにあるのは、ただただ滑稽な偽りの世界だった。

そして、菫の帰国を思い出したとき……すべてを悟った。

凛河は、菫の帰国までの時間稼ぎとして、自分と「偽装結婚」をしていたのだ。世間の目をごまかすために。

病院に戻ると、心配そうな顔をした凛河が駆け寄ってきた。

「依夜、まだ体調が戻ってないのに、どうして外に出てるんだよ?」

彼女は彼の手を振り払って、無言のまま通り過ぎた。

彼はその場に立ち尽くし、俯いたまま口を開いた。

「まだ怒ってるのか……?でも分かってくれてるはずだ。俺がこの職を選んだ時点で、国と国民の利益がすべてに優先するって。それに、菫は最後に君を守るために負傷したんだ」

目の前の「夫」を見つめながら、六年間という月日を共にしたというのに、依夜にはまるで見知らぬ他人にしか見えなかった。

……そう、彼女は最初から、凛河の本当の姿を見ていなかったのだ。

「そうね、須藤は怪我をした。須藤は英雄だ。じゃあ私は?恩知らずの卑怯者?」

ポケットの中の離婚届を握りしめ、目頭が熱くなった。

……凛河、私はあなたにとって一体何だったの?

須藤の帰国を待つ間の、ただの暇つぶしだったの?

彼女は彼を避け、病室へ戻った。

ぐったりと眠りに落ち、目覚めたのは午後だった。まもなく、凛河の部下が食事を運んできた。

だが彼は、食事を置いたまま立ち去ろうとせず、しばらく逡巡したあと、歯を食いしばって言った。

「依夜さん、凛河さんをあまり責めないでください。あなたは俺たちの仕事を誤解してます!」

依夜が何も言わないうちに、彼は一気に言葉をまくし立てた。

「須藤さんは、あなたのお母様を救出する作戦で重大なミスを犯しました。でも、俺たちだって神様じゃない!

命を懸けて任務にあたっても、人質の安全を完全に保証できるとは限らないんです!

だから、須藤さんを恨むのは間違ってます!あのあと彼女は厳しい処分を受け、国外に送られました。でも、努力を重ねて功績を積み、やっと戻ってきたんです!」

その瞬間、依夜の頭の中は真っ白になった。

六年前の銀行強盗事件……彼女の母が人質にされた、あの事件。

交渉中、一人の若い女性交渉人の軽率な発言が犯人を逆上させ、母は殺された。

その後、国からの補償があり、家族もそれを受け入れるしかなかった。そしてまもなく、凛河が彼女の人生に現れた。

……あの交渉人は、須藤だったのか。

……そして凛河は、その償いのために自分のそばにいたのか。

依夜の耳にはもう何も届かず、部下がいつ出ていったのかすら分からなかった。

どれほどの時間、ぼうっと座っていたのかも分からなかった。

やがて、彼女は携帯を取り出し、ある番号をゆっくりと押した。

電話がつながり、依夜は静かすぎる自分の声が耳に届いた。

「仲程依夜、異動命令を受け入れます。いつでも出動可能です」

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第1話
周防凛河(すおう りんが)の本命が帰国したその初日。嵐の夜、仲程依夜(なかほど いよ)は凛河が事故に遭ったと知らされ、慌てて家を飛び出した。だが途中で交通事故に遭い、妊娠四ヶ月の子を流産してしまった。そのとき、凛河は「本命」の歓迎パーティーから駆けつけ、震える声で彼女に言った。「ただの酔った勢いで始まったゲームだったんだ。どうして本気にしたんだよ?」心も体も傷ついた彼女の耳に、さらに追い打ちをかけるように冷静な声が届いた。「今は、子どもがいないほうがいい。俺の仕事には敵が多い。子どもがいたら、それを人質にされるかもしれないから……」依夜の心は引き裂かれるように痛んだが、それでも何も言い返せなかった。凛河の「本命」が帰国して十日目。彼女は、二人が部屋で親しげにしている姿を目にした。しかしその後、凛河は彼女の手を握り、涙ぐみながら必死に弁解した。「依夜、信じてくれ。俺たちはただの同僚で、仕事の案件について話してただけなんだ」彼女は騒ぎもせず、静かに背を向けてその場を去った。凛河の「本命」が帰国して六十日目。誘拐犯が刃を依夜の首に突きつけ、凛河に冷笑を投げかけた。「周防さん、妻と恋人、どっちか一人しか選べないぞ!」凛河は悲しげな目で依夜を見つめ、絞り出すような声で言った。「菫は、留学から帰ってきたハイテク人材だ。警務部には、彼女の力が必要なんだ」その瞬間、依夜は、須藤菫(すとう すみれ)が凛河の胸に飛び込むのを目の当たりにし、その直後、犯人に六度も刺された。彼女は重傷を負って二ヶ月間昏睡状態に陥り、目覚めた直後、離婚届を持って役所に離婚を申請しに行った。だが、そこで待っていたのは、職員の困惑した一言だった。「仲程さん、あなたと周防さん……結婚の記録が見当たりません。あなたと周防さん、本当に結婚しています?」依夜は耳を疑った。六年間も一緒に過ごした時間、信じてきた「幸せな結婚」が、まさか偽りだったなんて。「そんなはずありません、もう一度確認してください。私たち、もう六年も夫婦として暮らしています……」職員は複雑な表情で何度も二人の結婚歴を確認し、最終的に真剣な口調で告げた。「申し訳ありませんが、本当にありません。もう私をからかわないでください……」依夜は呆然とし、手に持ってい
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第2話
病院の消毒液の刺激臭に、依夜はどうしても耐えられなかった。医師の制止を振り切り、彼女は予定を早めて退院手続きを済ませた。携帯がけたたましく鳴り続けた。画面に表示された名前は……凛河。依夜は電話を取る気になれず、すぐに着信を拒否し、その番号を拒否リストに登録した。家に戻ると、彼女はあちこち探し始めた。かつて二人が婚約したときの指輪は、ビロード張りのボックスの中で静かに横たわっていた。オーダーメイドのオルゴールには、タキシードとウェディングドレスを着た小さな人形が寄り添っていた。分厚い日記帳には、互いに深く愛し合っていた頃の言葉が残されていた。そして壁には、あの結婚写真が飾られていた。依夜はしばらくそれらをじっと見つめていたが、やがて一つずつ箱に詰め込み、最後にはすべてをゴミ箱へと投げ入れた。まるで、長年こびりついていた古い毒が、ようやく身体から剥がれ落ちていくようだった。次に彼女は携帯のアルバムを開き、昔から今までのツーショット写真を一枚一枚見つめた。どの写真にも、あの頃の「幸福」がくっきりと刻まれていた。……キッチンで粉だらけになりながらじゃれ合う二人。……観覧車の頂上でキスを交わす二人。彼女は一枚ずつ見ながら、静かに削除していった。それはまるで心臓にナイフを突き立てるようで、かつての幸福がいかに虚構だったかを突きつけられているようだった。玄関でドアが開く音がして、次の瞬間、凛河が大股で部屋に入ってきた。険しい表情をしていたが、依夜の姿を目にした瞬間、安堵の息をついたようだった。「依夜、どうして電話に出なかったんだ?」その声には、焦りと怒りが入り混じっていた。「五十四回もかけたんだぞ!」依夜は一瞬戸惑った。彼の番号はすでに拒否リストに登録していたのだ。出られるはずがない。「なぜ退院したんだ?」凛河は一歩踏み出すと、突然彼女の手首を強く掴んだ。「君が見つからなかったとき、俺がどんな気持ちだったか分かるか?俺は……」そこまで言って、彼は目を強く閉じた。依夜は眉をひそめ、冷ややかな声で言った。「放して。痛い」しかし、凛河はその手を緩めなかった。空っぽになった壁を一瞥すると、彼の瞳の中に嵐のような激情が渦巻いた。「どうして結婚写真を捨てた?やっ
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第3話
意識が遠のくなかで、依夜はまるで夢を見ているかのようだった……凛河が彼女にプロポーズした、あの日の夢を。あのときの彼は、優しさをたたえた眼差しで真剣に彼女を見つめていた。「交渉人にとって最も大切なルールは、常に冷静でいること。でも君と出会ってから、俺は毎日そのルールを破ってばかりなんだ」そう囁きながら、彼は指輪を彼女の指にはめた。その仕草は驚くほど丁寧で、キスはまるで宝物に触れるかのように優しかった。……どうして、あれがすべて嘘だったんだろうか?胃に鋭い痙攣が走り、意識がまた薄れていった。苦痛と覚醒の狭間で、彼女は「このまま死ぬのかもしれない」とさえ思った。「ドンッ!」という音とともに、ドアが乱暴に開いた。次の瞬間、凛河の取り乱した声が響いた。「依夜!」手錠ががちゃがちゃと激しく揺れ、ようやく外された彼女は、そのまま彼の腕に抱き上げられた。「ごめん、ごめん……本当にごめん……!」凛河の声には嗚咽が混じっていた。彼は依夜を抱えたまま車に飛び乗り、怯えたような声で叫んだ。「わざと忘れたわけじゃないんだ……依夜、お願いだから……目を開けてくれ……!」……次に目を開けたとき、見慣れた病室の白い灯りが視界に広がっていた。わずか数ヶ月のあいだに、三度も病院に運ばれていた。すべての原因は……彼女がかつて深く愛した、あの人だった。「愛してる」と言いながら、彼は何度も彼女を傷つけてきた。頭が割れるように痛み、かろうじて動いた手を、誰かがそっと握りしめた。「依夜……?」凛河のかすれた声が響き、心配そうな声だった。「どこか……まだ痛む?」その声を聞いた瞬間、依夜は反射的に手を引き抜いた。だがその動きが傷を刺激し、彼女は思わず息を呑んだ。「動かないで!」凛河はすぐに身を乗り出し、彼女の肩を押さえた。その目は、赤く腫れていた。考えるよりも早く、依夜は彼の頬を全力で打った。……けれど、力は弱かった。彼女の身体には、ほとんど力が残っていなかったのだ。それでも、凛河の顔は横に流れた。「いい一発だったな」彼は顔を戻し、赤く染まった頬を押さえながらも、笑みすら浮かべていた。「当然の報いだよ。もっと叩いていい。君の気が済むまで……」依夜はかすれた声で言っ
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第4話
クルーズに乗り込んだその日は、雲ひとつない快晴だった。凛河と菫は並んで歩きながら、楽しげに笑い合っていた。まるで……依夜の存在なんて、初めからなかったかのように。船内は華やかに飾りつけられ、まるでこれから盛大なイベントでも始まるような雰囲気だった。夜になると、やはり……凛河はロマンチックなキャンドルディナーを用意していた。依夜は彼の向かいに静かに座り、深く息を吸った。「ちょうどいい機会ね。ちゃんと話をしたい」凛河は穏やかに微笑んだ。「そうだね……まずはこれを食べてみて。牛ステーキ赤ワインソースだ。君のために特別に用意したんだよ」彼は懐かしそうな口調で続けた。「初めてのデートも、ステーキだったよな。君、レアが苦手で、ウェルダンに焼き直してもらったっけ。あの時の店員の顔、今でも忘れられないよ、はは」依夜は無言でナイフを動かし、肉を口に運んだ。無理に笑顔を作りながら、静かに答えた。「ええ、覚えてる。あなた、あの日言ったのよ……『一生、依夜を守る。どんな傷も負わせない』って」だが、その声に滲んだ苦みには、凛河は気づかなかった。依夜はすぐに感情を飲み込み、話を続けようとした。「……少し話したいことが……」その瞬間、視界がぐらついた。目の前で、凛河が慌てて立ち上がるのが見えた。「依夜、酔ったみたいだね」その声は優しかった……けれど、依夜の背筋に冷たいものが走った。ステーキに含まれていた少しのワインだけで酔うはずがない。……まさか、何か盛られた?そう思ったときには、すでに意識が遠のいていた。……ぼんやりと意識が戻ったとき、依夜の胸には、怒りが静かに、しかし確かに広がっていた。凛河は……彼女に薬を盛ったのだ。ここはクルーズ内の一室。身体を起こすまでにしばらくかかったが、ふらつきながらも部屋を出た。甲板に出ると、遠くからにぎやかな歓声が聞こえてきた。灯りがきらめき、キャンドルがゆらめくその場所には、輪になって集まる知り合いの姿がたくさんあった。その中心にいたのは、見覚えのある二人だった。背後に掲げられていたのは、光り輝く大きな看板だった。【菫、お誕生日おめでとう】手足から、一気に血の気が引いていった。歓声が沸き、凛河が菫にプレゼントを手渡していた
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第5話
依夜の父は、彼女が幼い頃にすでに亡くなっていた。それ以来、母と兄の涼夜と三人で支え合いながら生きてきた。しかし、母が亡くなり、彼女が凛河と結婚してから、涼夜との連絡は徐々に途絶え、やがて完全に音信不通となった。涼夜は刑事で、もともと家を空けることが多かった。依夜は凛河に頼み、人脈を通して涼夜の消息を調べてもらった。そのとき、凛河はこう言った。「兄さんが言ってたよ……母さんが亡くなった時点で、家族なんて自然にバラバラになる。もう連絡する必要なんてないって」彼女は涼夜の冷たさを恨んだ。どうしても直接問いただしたくて会いに行ったが、結局門前で追い返され、涼夜の顔すら見ることはできなかった。だが……その古い携帯の画面をスクロールしていくと、涼夜からのメッセージがいくつも出てきた。【依夜、お願いだから電話をかけてくれ。兄ちゃんはずっと待ってる】【父さんと母さんの命日にも来ないのか?あの凛河のためだけに?】【もう君たちのことを反対しない。あの時の交渉人のことを調べたんだ。一度だけ会ってくれないか?】しかし、それらすべてに対して返ってきたのは、「依夜」からの冷たく侮辱的な返信ばかりだった。依夜はその携帯を強く握りしめ、指が真っ白になるほどだった。この何年もの間、凛河はずっと彼女の名前を使って、涼夜を傷つけていたのだ。彼女に残された最後の血のつながりまでも、断ち切っていた。依夜は奥歯を噛みしめ、勢いよく立ち上がった。車の鍵を掴むと、そのまま外へ飛び出した。……問いたださなければ。どうしてこんなことをしたのか、彼に聞かなければ。ようやく彼の居場所を突き止めたとき、彼は病院にいるという。すぐさま駆けつけた。だが、病院の入口に差し掛かったその瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは……凛河が、菫を軽々と抱き上げて回転させている姿だった。彼の顔は満面の笑みで、声も弾んでいた。「俺、父親になるんだ!」その瞬間、世界が無音になった。依夜の足が止まり、膝ががくりと震えた。だが、彼の声はやけに鮮明に響いていた。「……男の子でも女の子でも、どちらでもいい。命をかけて君たちを守るよ!」菫は甘えたように笑いながら言った。「まだ三ヶ月よ、早すぎるってば」……三ヶ月前。それは
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第6話
依夜は冷たい目で凛河を見つめた。まるで理解しがたい他人を見るかのような視線だった。「私を突き落としたのは須藤よ」身体中が痛み、目の前が何度もぐらついた。だが胸の刺すような痛みだけが、彼女を正気に保っていた。凛河は今彼女の血だらけの姿を見たかのように慌てふためいた。「依夜、大丈夫か?」依夜は顔を背け、無言のまま警察に詳しい場所を伝えて電話を切った。凛河の顔色はさらに青ざめた。「菫は故意じゃないんだ。前科がついたら、これからやっていけなくなるじゃない!」依夜は失望の色を浮かべて彼を見た。「じゃあ、私がどうなってもいいってこと?」凛河は言葉を失った。その時、菫が震えながら彼の腕に飛び込み、嗚咽を含んだ声で言った。「凛河さん、お腹が……すごく痛いの……」凛河の表情が変わり、菫を抱き上げて大股で出ていった。依夜はその背中を見つめ、絶望がじわじわと自分を飲み込んでいくのを感じた。サイレンの音が鳴り響き、彼女は病院で手当てを受けた。その後、警察の取り調べがあり、二人の警察官がノートを閉じて複雑な表情で彼女を見た。「申し訳ありませんが、廊下の監視カメラは偶然故障していました。しかも……唯一の目撃者、つまりご主人の証言では事故であり、故意の傷害ではないとのことです」「故障……?」依夜は枯れた声で繰り返した。「そんな偶然があるものですか?」警察官は事務的に答えた。「証拠不十分ですし……ご主人の身分保証もあり、須藤さんは拘留されません」依夜は皮肉な笑みを浮かべようとしたが、体中の痛みがそれを許さなかった。「彼は私の夫ではありません」一言一句、歯を食いしばりながら絞り出すように言った。「彼は共犯者です。再捜査を要求します!」警察二人は互いに驚いた表情で見合い、再調査を約束して去っていった。しばらくして、凛河が病室のドアを開けて入ってきた。彼はお粥を持ち、優しい声で言った。「お腹すいただろう?少し食べて」依夜は彼を見つめながら、体が冷えていくのを感じた。まるでこの男は別人のようだった。「監視カメラの映像を消したのね」彼女の声は確信に満ちていた。「須藤をかばうために」凛河は動きを止め、痛みを浮かべた。「依夜、菫は故意じゃない。彼女は海外から帰ったばかり
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第7話
依夜はしばらくしてようやく我に返った。「どういうこと?」目の前が何度も暗くなり、断片的な言葉しか聞き取れなかった。「危険な任務……重傷……お兄さんは、今は会いに来るなと言ってます……」依夜は歯を強く食いしばり、血を吐くような思いで言った。「なぜですか?」向こうはしばらく沈黙した後、ようやく小さな声で答えた。「お兄さんには彼なりの事情があるんです、仲程さん。ご安心ください。あなたの転任前に、お兄さんとのことはきちんと手配します。今夜迎えが行きますので、準備を整えてください」依夜は目を閉じ、しばらくしてかすれた声で答えた。「わかった」痛みが神経を圧迫し、再び意識が遠のきそうになった。そして、昔の記憶が蘇った。凛河と一緒になってから、涼夜は二人の関係をあまり認めなかった。だが凛河は涼夜の前で跪き、誓った。「依夜を命をかけて愛し、全てを尽くして幸せにします」涼夜は刑事として多くの人を見てきた経験から、凛河に対してどこか不快な印象を抱いていた。当時、依夜は涼夜が母のことが原因で、交渉人という職業に偏見を持っているのだと思っていた……彼女は涼夜と凛河の関係を修復しようと試みたが、うまくいかず、やがて涼夜は彼女との連絡を絶った。依夜は朦朧としながら目を覚まし、涙が頬を伝っていた。正気に戻った今、なぜ凛河が涼夜との連絡を断ったのか考えた。それは涼夜が須藤について何かを知ったからだろうか?彼女は考える暇もなく、転任前に涼夜に会いたい、あるいは涼夜と一緒に去りたいとだけ思った。時間を無駄にしたくなかった依夜は急いで家に戻り、まとめた荷物を持って出発しようとした。だが思いがけず凛河がそこにいた。少し前まで不愉快に別れたはずなのに、彼の顔は相変わらず穏やかで完璧だった。「依夜、帰ってきたな。ゆっくり話そう」依夜は彼を避け、冷たい声で言った。「話すことは何もないわ」「なぜ話をちゃんと聞いてくれないんだ?前はそんな人じゃなかったのに!」依夜は嘲笑し、まだ包帯を巻いた頭で、無感情で冷静な目をしていた。「何を聞けばいいの?あなたたちは関係がないのに、子供がいるって?」凛河の瞳が激しく縮み、一歩踏み出した。「そんな風に思うな!あれは事故なんだ……」「事故かどうかなん
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第8話
誰も予想していなかった。元は何の問題もなく順調に航行していた船が、突然爆発したのだ。その爆発はおかしかった。火の光はまるで何かに導かれるように天へと昇り、半分の空を明るく照らし、海面は炎に包まれた。凛河は躊躇なく海へ飛び込んだ。彼の目は赤く充血し、顔は鬼のように歪み、真っすぐ海面を見据えていた。「依夜……依夜!」その声は凄まじく、身震いがするほどだった。彼は構わず進み、胸まで海水に浸かっていた。「隊長!危険すぎます!」そばの部下がようやく気づき、慌てて前に出て、必死に凛河の腕を掴んだ。「遠すぎます!冷静になってください!」凛河ははっと我に返り、遠くの火を見つめながらかすれた声で叫んだ。「ボートを……手配しろ!すぐにだ!」「了解!今すぐ救助隊に連絡します!」菫は恐怖で呆然としていたが、ようやく我に返り、慌てて凛河の腕にしがみついた。「凛河さん、落ち着いて、きっと大丈夫だから……」だが凛河は彼女を見ず、血走った目でただ海面を見つめ続けていた。大丈夫……なわけがない。船には依夜が乗っている。あれだけの爆発で、無事なはずがない。その考えが彼の心臓を裂くような痛みに変わり、全身の臓器がずれてしまったかのように感じた。もし……もし依夜に何かあったら、どうすればいい?どうやって生きていけばいい?「救助隊は!?まだか?!」凛河は狂ったように手すりを拳で殴りつけ、指の関節は血まみれになった。部下は何も言えなかった。だが間もなく、サイレンの音が響き渡り、救援のヘリコプターと救命ボートが出動した。凛河は先頭に立ち、前に進むほどに鼻をつく焦げ臭い匂いが強くなった。熱風が押し寄せ、海面はなおも燃え盛っていた。「燃え方がおかしい。この船は何か変だ!」隣の救助隊員が険しい表情で告げた。その声は凛河の耳に届き、彼の体は激しく揺れた。誰だ……依夜を狙ったのは……誰だ!放水銃が炎に向かう中、凛河は火が消えるのも待たずに飛び込んだ。海中の視界は悪く、爆発の破片と濁った海水しか見えなかった……目を刺すような赤い液体さえ漂っていた。凛河は何度も祈った。依夜は船の異変に早く気づき、先に船を捨てて海に飛び込んだに違いない。今はどこかの海域で救助を待っているはずだと……だ
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第9話
凛河は、自分が海に浮かんでいるような感覚に囚われていた。波が彼を押し、さらに深い海へと運び、意識はふわふわと漂い、定まらなくなっていた。彼は長い夢を見ていた。依夜と過ごした一つ一つの瞬間が夢に現れた。彼女の笑顔は鮮明で、まるですぐそばにいるかのようだった。しかし、触れようとすると、それは一瞬にして泡のように消えてしまった。彼は桜の木の下で片膝をつき、指輪を手にしている自分を見た。「依夜、俺と結婚してくれないか?」依夜の目には喜びと驚きがあふれ、やがて涙が目の縁に溜まった。「依夜、わかってる。俺と一緒にいることは多くの危険を伴うことを。不法者や復讐を狙う犯罪者たちがいる……でも誓う、命をかけて君を守ると。俺の人生で愛するものは三つだけだ。職業と、国と……そして君だ。この一生、君を裏切らない!」依夜が手を差し伸べた。彼は喜びで指輪をはめようとしたが、その手は引っ込められ、彼女の青ざめた顔が目に入った。「周防、裏切り者は、必ず皆から見放され、孤独に死ぬよ」次の瞬間、彼女は無数の破片に砕け散った。「依夜……」凛河は叫びながら、激しく目を覚ました。強い消毒液の臭いが鼻を突いた。彼は病院のベッドに横たわっていた。「凛河さん、やっと目を覚ました……」菫は泣き出しそうな顔を浮かべながら言った。だが凛河は布団を跳ねのけ、裸足のまま飛び起きて外に出ようとした。「依夜……依夜を探すんだ!」しかし二歩歩くと視界が一瞬暗くなり、ベッドの縁に掴まって倒れずに済んだ。「隊長!上からの指示です!すぐに出動してください!」「凛河さん、私も一緒に行きます!」手渡された公文書を見て、彼は指が震えた。傍らの部下がすぐに言った。「救助隊は全力で捜索中です!」誰もその船に乗った人の生存を信じてはいなかった。ただ凛河の心を落ち着かせているだけだった。凛河は公文書を受け取り、かすれた声で言った。「行くぞ……」……「第五倉庫で人質が拘束されています。人質は重要な幹部です。上司からの指示は『いかなる犠牲を払っても人質の安全を確保せよ』です!」凛河は大股で現れ、誰かが急いで状況を説明し、低い声で言った。「隊長、ご愁傷さまです……」彼は足を止め、目が一瞬冷たく光った。「何を言ってるんだ!
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第10話
「3、2、1!」ちょうど犯人が菫を引っ張ろうとした瞬間、全員が一斉に動き出した。照準が合い、銃声が鳴り響き、犯人の眉間を正確に射抜いた!凛河は鋭く叫んだ。「菫!伏せろ!」だが菫はまるで怖すぎて呆然としているかのように、銃声とともに叫び声をあげ、振り返って裏口へ猛ダッシュした。彼女の動きが犯人に反応する隙を与え、狙撃手は動けなくなった。隊員たちが突入し、凛河の顔色が変わった。「気をつけろ!」激怒した犯人が飛び上がり、尖った刃を菫の背中に向けた。危機一髪の瞬間、凛河が飛びかかり、菫を勢いよく押しのけた。肩に鋭い刃が走り、血が流れた。彼は呻き声をあげ、菫を引き連れて後退した。「逃げろ!」撤退しようとしたその時、背中に強い力がかかった。なんと菫が彼を押し出したのだ!凛河はバランスを崩し、刃物を持つ犯人にぶつかってしまった。「プスっ!」冷たい刃が腹部を貫き、凛河は目を見開いた。犯人の狂気じみた顔が目前にあった。背後の菫が叫んだ。「違う、私じゃない!」隊員たちが駆けつけて犯人を地面に倒し、凛河も倒れ込んだ。彼の目にはまだ信じられない様子が浮かんでいた。菫が自分を押し出したのか?激しい痛みで凛河は膝をつき、血が制服にすぐに染み込んだ。「隊長!」「隊長!しっかりしてください!医者を……」凛河は考える暇もなく、完全に闇に飲み込まれた。目を開けた時、最初に感じたのは腹部の激痛だった。「隊長!やっと目を覚ましました!」凛河は口を開こうとしたが、かすれた声しか出られなかった。「任務……」「隊長、安心してください!幹部は軽傷です。二人の犯人のうち、一人は射殺され、もう一人は逮捕されました!」凛河は荒い息を何度かつき、必死に隊員の手を握り締めた。「す……菫は?」目覚めても、彼は前の出来事を信じられなかった。空気が一瞬止まり、隊員の表情がぎこちなくなった。凛河の鋭い視線を受け、彼はついに口を開いた。「あの……逃げました。今も行方を追っています」凛河の顔が一瞬、虚ろになった。逃げた?どこへ?彼は急に体を起こし、腹の血が包帯を染み透らせていたが構わず、大股で外に向かって歩き出した。「俺が探す!」隊員たちが慌てて止めに入った。互いに
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