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第一話「消えゆく一日」

Author: 河内謙吾
last update Last Updated: 2025-10-23 11:54:06

──アラームが鳴り、スマホを探る手が音を止める。

「……あと5分……」

 神谷 想(かみや・そう)、33歳。

IT企業に勤める、ごく普通のサラリーマン。

 目を閉じたまま再び布団に沈み込む。10分後、再びアラームが鳴った。

「……くあぁぁ……」

 大きくあくびをしながら、身体を起こす。

眠い目をこすり、いつもどおり洗面所へ向かった。

 洗顔をし、歯を磨く。

ふとスマホを手に取り、日付を確認する。

──5月23日(金)午前7時10分

「もう金曜日か。1週間、早いな……」

 何気ない朝。変わらぬ日常。

 朝起きて、仕事へ行き、週末は読書とゲーム。

何の変哲もない、いつもの日々──の、はずだった。

 きっかけは、ほんの些細な違和感だった。

──夜。

「やべっ……シャンプー切れてたんだった。

 今日は水洗いで……あれ?」

 風呂場の棚に、なぜか満タンのシャンプーボトルが置かれている。

その足元には、空になった詰め替え用の袋。

「……俺、買ったっけ……?」

 考えても思い出せない。

だが深く考えるのも面倒で、想は小さく笑ってつぶやく。

「ま、いいか。」

 その日を境に、微妙な違和感が少しずつ増えていった。

──テレビのリモコンがいつの間にか場所を移動している。

──歯ブラシが、朝起きた時点で濡れていた。

──スーパーで買ったはずの牛乳が冷蔵庫になかった。

「……最近、物忘れ多いな……」

 思い切って病院を受診することにした。しかし、医師の診断は、あっけないものだった。

『脳にも身体にも異常はありません。ストレスや睡眠不足の影響かもしれませんね。

 しっかり休養をとってください。』

「……まぁ、大きな病気じゃなくて良かった」

 とはいえ、記憶の曖昧さは気になる。

そこで想は、自分用の“行動記録カレンダー”を作ることにした。

 予定、買い物、感じたこと──

とにかく何でも、思いついたことをその日の欄に書き込んでいった。

 これが、想像以上に効果を発揮した。

「書いたことを思い出す」だけでなく、

「書こうと意識する」ことで、記憶の抜けが減ったのだ。

 毎朝カレンダーを見て、出かける。

毎晩、1日の記録を書き込む。

 それはいつしか、日課となっていた。

──月末。

 想は壁にかかったカレンダーを破ろうとして、手を止めた。

──文字で埋め尽くされた1ヶ月の記録。

 買い物リスト、同僚との会話、夜に見た夢まで書かれている。

自分の生活の断片が、そこにぎっしり詰まっていた。

──ただ、水曜日を除いて。

「……ん?」

 他の曜日にはびっしり書き込みがあるのに、

なぜか水曜日だけ、白紙か、数行しか書かれていない。

「たまたま……? 水曜日って、そんなに何もしてないのか……?」

──理由はわからない。

 けれど大したことでもないと判断して、想はカレンダーを破り捨てた。

 その夜も、いつもと同じように眠りにつく。

 この小さな違和感が、やがて“すべての記憶”に関わる運命を動かしはじめている。

 このときの彼はまだ──知る由もなかった。

第1話 了

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