うちのお母さんは、まるでシンデレラみたいにお金持ちの家に嫁いだ。 セレブ妻になったあとも、美人だしお金もあったけど――肝心な「居場所」だけは、どこにもなかった。 お父さんは仕事に夢中で、おばあさんは知らんぷり。お母さんが頼れるのは、私とお兄ちゃんだけだった。 ……はずなのに、お兄ちゃんはお父さんのそばにいる秘書さんのほうが好きだった。 「ママなんてただ飾りみたいな存在だ!新しいママが欲しい!」って騒いで、ごはんも食べないで抗議する始末。 お父さんはぬるく叱っただけ。おばあちゃんは「子どもの冗談でしょ」なんて笑って済ませた。 でも私は見たんだ。お母さんの目が、泣きそうに潤んでたのを。 その目の奥に、きらりと光る決意を込めて、お母さんははっきりこう言った。 「私、離婚するわ」
Lihat lebih banyak謝家には、謝家なりの生き残り方があるってこと。だから、必要以上に首を突っ込むつもりはなかった。私たちは私たちの「小さな畑」をコツコツ耕して、いずれはそれを広げていくつもりだった。お母さんの背中を見て、私は少しずつ、嫌いだった勉強とも向き合えるようになった。つまらなくて、眠くて、何度も投げ出しそうになった。でも、そのたびに思い出した。お母さんがどれだけ頑張ってきたかを。だから私は――歯を食いしばって、もう一度ペンを握る。そうすると、また少し、前に進める気がした。お母さんは、ずっと「楽しく学ぶこと」を大事にしてた。無理に勉強させることは絶対にしなかった。だからこそ――私は、自分から机に向かえるようになった。高校を卒業して、私は県外のいい大学に合格した。ちょうどその街に、お母さんが分社を展開しようとしていて、話はあっという間にまとまった。「じゃあ、一緒に引っ越ししようか!」ふたりで荷造りして、新しい生活にわくわくしていた、その矢先――どこからか噂を聞きつけた蓮くんが、家の前に現れた。私たちの車のフロントにまわり込んで、ドンドンと運転席の窓を叩いた。お母さんが窓を少し開けると、彼は車体にしがみつくようにして、必死な声を上げた。その手の指先は、ぎゅっと力が入りすぎて真っ白だった。「母さん……母さんは、僕にとってこの世界で最後の優しさなんだ……お願い、行かないで。もし……あの時、あんなこと言わなければ、母さんは許してくれた?僕を置いて行かずに、まだ一緒にいてくれた……?」お母さんはじっと彼を見つめたあと、前を向いた。「蓮、もうすぐ夏が終わるわ。風邪ひかないように、ちゃんと上着を着てね。それと、これからは『奥畑社長』って呼びなさい」蓮くんの目に、たちまち涙がにじんだ。肩を震わせ、何度も深呼吸して、震える声でかすかにうなずいた。お母さんはアクセルを踏んで、車はまっすぐに進み出した。バックミラーの中、蓮くんの姿はすぐに遠く、小さくなって、やがて消えた。私とお母さんは、新しい街へ向かった。そこには、きっと――私たちにとって、もっと広くて明るい未来が待っている。
お母さんがお父さんを見舞うと聞くたびに、蓮くんは――まるで何かに突き動かされるように、真っ先にその場所へ向かった。だけど彼は、ただそっと遠くから見ているだけ。お母さんのぬくもりを、こっそり盗むように眺めては――その視線に気づかれそうになる前に、逃げるように姿を消していた。「お兄ちゃん、大丈夫?」私は、久しぶりにその呼び方を使った。あれ以来、もう「お兄ちゃん」なんて呼ぶこともなかったのに――でも、今の彼はまさに「悔やんでも悔やみきれない」って顔をしていて、その言葉しか出てこなかった。蓮くんの顔には、かつての生意気な少年らしさはどこにも残っていなかった。薄暗い小部屋の片隅で、頭を抱えてうずくまる姿には、藤崎グループの後継者としての威厳も強さも、影すらなかった。「大丈夫だ」無理やりそう言って笑う彼は、どこか壊れかけた機械のようだった。「母さんには、僕が来たこと内緒にして。じゃ、じゃあな……」何かを言いかけて、でも言えないまま――彼はまた、足早に逃げていった。……きっと、お母さんの顔を見る勇気がなかったのだろう。あの日、あの食卓でつけられた傷は、もうとっくに癒えているはずなのに。でも――心に突き刺さったあの棘だけは、いまだに抜けきっていないのかもしれない。やがて、おじいちゃんがこの世を去り、お父さんも第一線を退いた。蓮くんはまだ未熟、藤崎グループの舵取りを任せるには危うい。そんなとき、あの女王様だったはずのおばあちゃんが――すっかり焦った様子で、お母さんの元を訪れた。「澪……私、昔は本当にバカだった。あなたに辛く当たって、でも、あなたは本当に立派な人だったわ……どうかお願い。蓮と藤崎グループを、もう少し見守ってくれない?これまでの努力を、無駄にしたくないの」その声は、かつてのような高慢さではなくて、どこか哀願めいた響きを帯びていた。ちょっと大げさな言い方だったし、正直そこまで切羽詰まってるわけでもなかった。それでもお母さんはにこりと笑って、その頼みを受け入れた。「大した話じゃないわ。心配しないで」まるで、昔おばあちゃんが「子どもの冗談でしょ」って笑いながら言ったあのときの口ぶりみたいに。
お父さんは、昔から仕事の鬼だった。けど――お母さんは違う。お母さんは、仕事も家庭もちゃんとバランスを取って、私の気持ちを何より大切にしてくれる。対してお父さんは、藤崎グループを引き継いでからというもの、まるでブレーキの壊れた列車みたいに働き詰めだった。そして、当然のように――限界が来た。倒れたのは突然だったけれど、本人もどこかで予感していたのか、会社にはきちんと緊急時の指示を残していて、大混乱にはならなかった。そのタイミングで、蓮くんが本格的に英才教育を受け始めた。学校も休学して、朝から晩まで会社の基礎から学びながら、実務にも少しずつ関わっていく。彼は次第に、見た目も、立ち居振る舞いも、お父さんにそっくりになっていった。だけど、お父さんの身体はもう、前線に戻れるほどの余裕はなくなっていた。机に向かうのもしんどくて、ちょっとした打ち合わせすら疲れるらしく、いっそ会社を放任状態にしていた。そんなお父さんのもとへ、お母さんがたまに顔を出すようになった。ふたりは、昔を懐かしんだり、これからのことをぽつぽつと話すような、そんな静かな関係になっていた。「初めてお前と会ったとき、すごく痩せてて、目も赤くて……父に『将来の妻だ』って言われて、深く考えずにうなずいたな。お前が素晴らしい女性だってことは、ちゃんとわかってた。この十年、お前は本当にいろんなことをしてくれた……でも、今の俺には立ち止まる余裕がない。藤崎家の人間として、お前を自由にできなかった。それが心苦しくて、だから――お前が離婚を望んだとき、反対はしなかった。たぶん、お前にはもう、自由が必要だったんだ」お母さんは、彼のためにリンゴの皮を静かにむきながら、優しく微笑んで言った。「司、もう謝らなくていいのよ。私は今、とっても幸せ。これまで選んできた道に、ひとつも後悔なんてないわ。今の私は、自信を持って歩いている。そして、これから先も、もっと良くなると信じてる」お父さんは、それを聞いて――ほんの少し、何かをこらえるように目を伏せた。……たぶん、心のどこかに、うっすらとした後悔があるのかもしれない。でも彼は、それを表に出すことはなかった。部屋の空気は、どこかあたたかくて、もう過去を責め合うようなものではなかった。けれど――そのすぐ
「あなたは、私の子ども。だから私は、無条件であなたを愛してる。でも、あなたが私を愛するには――条件があった。私はその愛に何度も傷ついて、何度も心をえぐられて、命を半分落としかけたわ。でも……私は、諦めなかった。自分で自分を救って、ようやく、ここまで来たの。あなたは何度も私を探しに来た。戻ってきてって。でも、私がいた過去は、痛みしか残らなかった。あそこに戻っても、私はまた壊れてしまう。だけど、あの家を出たからこそ、私は『私』を取り戻せたの。――さて。私がどっちを選ぶと思う?」蓮くんは、その言葉に完全に言葉を失っていた。口を開きかけて、でも何も出てこなくて――ただ、黙って一歩後ろに下がり、お母さんの前に、まっすぐな道を開けた。その背中は、どこか切なくて、でももう遅いとわかっている諦めがにじんでいた。……その後、お母さんと司さん――つまりお父さんの間には、仕事上の関係として頻繁な連絡が生まれた。むしろ、結婚していた頃の十年より、ずっと密だった。お母さんの才能がようやく正当に評価され、追い風に乗って、事業はますます拡大。ついには、お父さんまでもが「すごいな」と声を上げるほどになった。そんなある日――お父さんが、お母さんを藤崎家に夕食に招待した。しかも「ビジネスパートナーとして」。その栄誉に預かった人物は、過去に数人しかいない。だからこそ、藤崎家の人々は、皆どこかピリッとした空気をまとっていた。あのおばあちゃんも、あいかわらず上品な装いではあったけれど、どうにも反応が鈍く、昔のような勢いはなかった。もう以前のように偉そうに話すこともなく、むしろ丁寧にお母さんと会話を交わし、その才覚を何度も褒め称えていた。お母さんは――にっこりと微笑んで、それをさらりと受け取る。そして手にした赤ワインを、静かに、でも確かに――一気に飲み干した。その所作ひとつひとつが、誰よりも魅力的だった。かつてお母さんを軽んじた人たち――お父さんもお兄ちゃんも――その目には、どうしても抑えきれないほどの想いが浮かんでいた。けれど、お母さんは――ふわりと袖を揺らしながら、まるで風のようにその場を離れた。持ち帰ったのは、自分の未来に必要なものだけ。未練も、過去も、置いてきたまま。
「お金を断るなんて、それこそバカのすることよ」お母さんは、交渉が一段落したところで、あっけらかんとそう言って笑った。すると、お父さんも思わず吹き出した。「お前、本当に優秀なんだな……あの頃、家庭に縛りつけてたのは、お前の才能を殺してたんだなって、今になって思うよ」お母さんは、ふっと肩の力を抜いて椅子に身を預けながら言った。「あなたが私をちゃんと評価したの、これが初めてじゃない?」その言葉に、お父さんは一瞬言葉を詰まらせ、わずかに咳払いしてから、ぽつりと。「……悪かった」その「悪かった」は、確かに遅すぎたかもしれない。でも、もしかしたら――遅すぎなかったのかもしれない。過去の無理解や軽視が、今のお母さんを作ったのだから。私はそのとき、別室で水を飲みながら静かにその会話を聞いていた。お母さんが穏やかな声で、お父さんと仕事の話をする様子を見て――心から安心できた。一方、蓮くんは――ただ呆然と、お母さんを見つめていた。目に宿るのは、懐かしさと、憧れと、取り返しのつかない後悔。彼も高校受験後、会社のことに少しずつ関わり始めた。だからこそ、今のお母さんがどれほど輝いているか――誰よりもよくわかるはずだ。でも、それはもう届かない場所にある光。……遅すぎたのだ。でも、遅かったからこそ、お母さんは再生できた。そう思うと、不思議と感謝の気持ちすら湧いてくる。夏休みも半ばを迎え、試験の結果が発表された。私はぎりぎりラインだったけど、無事にA市で一番の進学校に合格。そして――蓮くんも、同じ高校に入学していた。彼の成績は上位で、堂々のトップ層。まさに「選ばれし者」という感じ。でも私は知っている、これは藤崎家の「英才教育」の結果だ。あの家には、感情なんて存在しないことを。あるのは結果と利益だけ。蓮くんがその枠に入れるのは、「優秀だから」それだけ。そんな彼と、同じ学校になったことで、自然と顔を合わせる機会も増えた。放課後、お母さんはどんなに忙しくても、必ず私を迎えに来てくれる。だけど蓮くんを待っているのは、いつも冷たい運転手。ある日、彼は――ついに我慢できなくなったのか、こっそり運転手を避けて、お母さんのところへやって来た。「……ママ、僕のこと……まだ、好き?」
入試当日、お母さんはあのワンピースを身にまとって、私の送り迎えにやって来た。その姿は、他の保護者たちの中でも群を抜いて目立っていた。まるで、そこだけ別世界の人みたいに――上品で、静かで、美しくて。試験の期間中、なぜかお母さんの写真がメディアに取り上げられ、「最も美しいお母さん」としてトレンド入りまでしてしまった。……たぶん、蓮くんもそれを見たんだろう。SNSでそのニュースをシェアしてた。コメントには「えっ、この人が蓮のお母さん?めっちゃ綺麗で気品ある!」なんて書かれていて。――私は、想像できた。そのときの蓮くんの、苦いような、後悔に満ちた表情が。試験が終わってからは、私はお母さんと一緒に営業にも回るようになった。お母さんは自作の企画書を小冊子にまとめて、これまでの実績も添えて配っていた。その手法はかなり効果的で、話を聞きたいという企業が続々と現れたけど――それでも、お母さんは慎重に相手を選んでいた。そんなある日、スマホが鳴った。「澪、お前……今、起業してるんだって?ヘッドハンターからお前の作品集、うちに回ってきたんだ」電話の相手は――お父さん、藤崎司(ふじさき つかさ)だった。「ええ、藤崎社長」お母さんは短く答えた。その言い方には、かつて10年も連れ添った相手への未練も、情も、一切感じられなかった。「お前の企画、なかなかいい。よかったら、一度うちの会社で話をしないか?」その声はやけに柔らかくて、あの頃とはまるで別人みたいだった。――可笑しな話だった。10年も一緒にいた間、あの人はお母さんの本当の才能を一度も見ようとしなかった。それが今になって、手のひらを返したように近づいてくるなんて。でも――お母さんは、そんな過去に縛られない。落ち着いた様子で、堂々と藤崎グループに足を運び、約一時間、交渉を重ねた。そして、自分の条件をしっかりと勝ち取ってきた。
Komen