เข้าสู่ระบบアフタヌーンティーから数日後。
佳苗は昼休みにスマートフォンを眺めながら、ひとりで悩んでいた。
次は自分がデート先を決める。
そう宣言したものの、いざ探し始めるとなかなか難しい。
雄吾なら、大抵の店には行ったことがありそうだ。高級な場所を選んでも、先日のホテルには敵わない気がする。
「何見てるんですか?」
同僚に声をかけられ、佳苗は慌てて画面を伏せた。
「今度、夫と出かけようと思って」
「デートですか?」
「まあ……そう」
「いいですね。榊原さん、最近忙しかったですもんね」
言われて、佳苗は少しだけ笑った。
自分ではそれほど意識していなかったが、仕事に夢中になっていたのは周囲にも分かっていたらしい。
だからこそ、今度は自分から雄吾を誘いたかった。
◇
その日の夕方、高瀬に呼び止められた。
「榊原さん」<
日曜日。「今日は私についてきてね」 玄関でそう宣言すると、雄吾が靴を履きながら佳苗を見る。「随分自信ありそうだな」「いっぱい調べたから」「期待していいのか?」「もちろん」 そう言い切ったものの、実は少しだけ緊張していた。 雄吾が連れていってくれた高級ホテルのような豪華さはない。 佳苗が選んだのは、少し離れた街にある大きな水族館だった。 休日らしいことをして、一緒にのんびり遊びたい。 ただそれだけで選んだ場所だ。「水族館か」 到着した雄吾が建物を見上げる。「どう?」「いいんじゃないか」「その反応、薄くない?」「まだ入ってないだろ」「そうだけど」 少し不満に思いながら中へ入ったものの、十分もしないうちに佳苗のほうが夢中になっていた。「雄吾、見て。あれすごい」「見てる」「大きい!」「佳苗」「何?」「さっきから俺より魚しか見てないぞ」 振り向くと、雄吾が呆れた顔をしていた。「水族館なんだから魚を見るでしょう?」「俺とのデートじゃなかったのか?」「雄吾も一緒に見ればいいじゃない」 佳苗は笑いながら雄吾の腕を引いた。 大きな水槽の前では、青い光の中を魚の群れがゆっくり横切っていく。 しばらく並んで眺めていると、雄吾がふいに佳苗の手を握った。「どうしたの?」「別に」「はぐれないよ?」「知ってる」 それでも離すつもりはないらしい。 佳苗もそのまま指を絡めた。 館内を一通り回ったあと、ショップへ立ち寄る。「これ、可愛い」 佳苗が手に取ったのは、小さなペンギンのぬいぐるみだった。「欲しいのか?」「見るだ
アフタヌーンティーから数日後。 佳苗は昼休みにスマートフォンを眺めながら、ひとりで悩んでいた。 次は自分がデート先を決める。 そう宣言したものの、いざ探し始めるとなかなか難しい。 雄吾なら、大抵の店には行ったことがありそうだ。高級な場所を選んでも、先日のホテルには敵わない気がする。「何見てるんですか?」 同僚に声をかけられ、佳苗は慌てて画面を伏せた。「今度、夫と出かけようと思って」「デートですか?」「まあ……そう」「いいですね。榊原さん、最近忙しかったですもんね」 言われて、佳苗は少しだけ笑った。 自分ではそれほど意識していなかったが、仕事に夢中になっていたのは周囲にも分かっていたらしい。 だからこそ、今度は自分から雄吾を誘いたかった。 ◇ その日の夕方、高瀬に呼び止められた。「榊原さん」「はい」「この前の件、来週から試験的に始めることになりました」「本当ですか?」「ええ。しばらく確認をお願いすることになると思います」「分かりました」 自分が関わったものが実際に使われる。 嬉しくて、佳苗は自然と笑顔になった。「ありがとうございます」「こちらこそ。助かりました」 短いやり取りを終えて席へ戻る。 以前なら、この嬉しさをそのまま家へ持ち帰って、真っ先に雄吾へ話していただろう。 もちろん今日も話したい。 けれど――。「……また高瀬課長の話になるな」 小さく呟いて、佳苗は笑った。 雄吾の顔が簡単に想像できてしまう。 ◇「ただいま」「おかえり」 帰宅すると、雄吾は先に帰っていた。「雄吾、今度の日曜って空いてる?」
土曜日。 佳苗は朝から、何を着ていくかで少し迷っていた。 雄吾から聞いているのは、昼前に出ることと、あまり歩きにくい靴はやめておけということだけだ。「これなら大丈夫かな」 結局、きれいめのワンピースに小さなバッグを合わせた。 部屋を出ると、待っていた雄吾が佳苗を見る。「それで行くのか?」「うん。変?」「いや。似合ってる」「じゃあいいけど……本当にどこに行くの?」「着けば分かる」 今日まで行き先を教える気はないらしい。 ◇ 車を降りた佳苗は、目の前のホテルを見上げた。「……ここ?」「ああ」 都心でも名の知られた高級ホテルだった。 エントランスを抜けた先には広々としたロビーがあり、大きな花が飾られている。 周囲を行き交う客も、どこか余裕のある雰囲気だ。「雄吾」「何だ?」「普通の服でいいって言ったよね?」「普通だろ」「私にとっては普通だけど!」 思わず自分のワンピースを見下ろす。 別に浮いてはいない。周囲にも同じような服装の女性はいる。 それでも、先にこのホテルだと知っていたら、もう少し悩んでいたと思う。「似合ってるから問題ない」「そういう問題じゃないんだけど……」「行くぞ」 雄吾はまったく気にした様子もなく歩き出した。 案内されたのは、上階のラウンジだった。 窓際の席から街を一望できる。「もしかして、ここでご飯?」「アフタヌーンティー」「えっ」 佳苗はメニューを開き、並んでいる写真に目を輝かせた。 季節の果物を使ったケーキやタルト、小さなサンドイッチ。 可愛い。
金曜日の夜。 佳苗が帰宅すると、雄吾はダイニングテーブルでスマートフォンを見ていた。「ただいま」「おかえり」「今日は早いね」「佳苗よりはな」 最近は仕事が少し忙しく、佳苗の帰宅が雄吾より遅くなる日も増えていた。 とはいえ今日は七時を少し回った程度だ。「ご飯、どうする?」「その前に、来週の土曜空いてるか?」「来週?」 佳苗はバッグからスマートフォンを取り出し、予定を確認した。「空いてるよ。何かあるの?」「じゃあ空けといてくれ」「だから、何?」「出かける」「どこに?」「まだ言わない」「ええ?」 佳苗が怪訝な顔をすると、雄吾は平然としている。「朝から?」「昼前でいい」「服は?」「普通でいい。歩きにくい靴だけやめとけ」 そこまで聞いても、まるで分からない。「なんで急に?」「出かけたいから」「それだけ?」「ああ」 佳苗はじっと雄吾を見た。 昨日までそんな話は一度もしていなかった。「……もしかして」「何だ?」「私が最近、仕事ばっかりだから?」 雄吾の視線が一瞬だけ逸れた。 佳苗は思わず笑う。「やっぱり!」「何がやっぱりなんだ」「雄吾、私と出かけたくなったんでしょう?」「夫婦なんだから普通だろ」「そうだけど」 否定しないところが、かえっておかしい。 佳苗は雄吾の向かいに座った。「別に予定を作らなくても、毎日会ってるよ?」「家で飯食って寝るだけなのと、出かけるのは違う」「それはそうだけど」「最近、休みの日もお前が仕事の話ばか
雄吾が嫉妬している。 一度そう分かってしまうと、佳苗には以前まで気づかなかったことまで見えるようになった。「今日、少し遅くなるから」 朝、出かける前にそう告げると、雄吾が時計を見た。「何時くらいだ?」「七時半くらいかな」「また打ち合わせ?」「うん」「高瀬もいるのか?」 佳苗は思わず雄吾を見る。「いるけど」「そうか」 それだけ言って、雄吾はコーヒーを飲む。 別に止められたわけではない。 嫌な顔をされたわけでもない。 けれど、今の質問が必要だったのかと考えれば、たぶん必要ではない。「気になるの?」「何が?」「高瀬課長」「別に」「昨日は気に入らないって言ってたのに?」「気に入らないのと、気になるのは違う」「同じじゃない?」「違う」 きっぱり言い切られて、佳苗は笑った。「じゃあ、行ってきます」「ああ。遅くなるなら連絡しろ」「分かってる」 玄関を出る直前、振り返る。「雄吾」「何だ?」「ちゃんと帰ってくるからね」「当たり前だろ」 そう答えた雄吾の機嫌が、ほんの少しだけ直った気がした。 ◇ その日の帰宅は、予定より早かった。「ただいま」「おかえり」 雄吾はソファに座っていた。 佳苗は時計を見る。「七時前だ」「見れば分かる」「思ったより早く終わったの」「そうか」 相変わらず素っ気ない。 けれど、テーブルには佳苗の分の夕食が用意されていた。「待ってた?」「飯はまだ食ってない」「それ、待ってたって言うんじゃない?」
翌日の打ち合わせは、佳苗が思っていた以上に順調に進んだ。 別部署の担当者から実際の処理方法を聞き、どこを共通化できるのかを整理する。「この項目だけ、契約ごとに分けた方がいいと思います」 佳苗が資料を指すと、高瀬が頷いた。「理由は?」「ここまで共通化すると、例外処理のときにかえって確認が増えるので。入力する人にも分かりにくくなると思います」「確かに。では、そこは残しましょう」 あっさり採用されて、佳苗は少し驚いた。 以前なら、自分はただ指示されたものを作る側だった。 今は違う。 自分の意見を聞かれ、それが実際の仕事に反映されている。「榊原さん、この部分のたたき台をお願いできますか?」「はい!」「急がなくて大丈夫です。通常業務を優先してください」「分かりました」 打ち合わせを終えて席へ戻る途中、佳苗は自然と笑っていた。 もっとできることを増やしたい。 そんなふうに仕事について思ったのは、初めてかもしれなかった。 ◇ 結局、その日は予定より三十分ほど遅くなった。 マンションへ帰ると、雄吾はすでにリビングにいた。「ただいま」「おかえり」「今日の打ち合わせ、すごくうまくいったよ」 靴を脱ぎながら話し始めると、雄吾がこちらを見る。「例のやつか?」「そう。私が言った案、そのまま採用してもらえたの」「よかったな」「うん。高瀬課長がちゃんと理由まで聞いてくれて――」 そこで、雄吾の眉がわずかに動いた。「また高瀬か」「え?」「いや」 佳苗は首を傾げた。「何?」「お前、最近そいつの話ばかりしてないか?」「そうかな?」「してる」 妙に即答されて、佳苗は記憶を辿った。「新しい課長なんだから、仕事の話をしたら出てくるでしょう?」「それは分かってる」「じゃあ何?」 雄吾はしばらく黙った。 佳苗が不思議そうに見ていると、やがて視線を逸らす。「……気に入らないだけだ」「何が?」「お前が毎日、ほかの男に褒められたって嬉しそうに帰ってくるのが」「え」 佳苗は目を瞬いた。 意味を理解するまで、少し時間がかかった。「もしかして、嫉妬してる?」「悪いか?」「……本当に?」「なんでそこで驚くんだ」「だって、仕事だよ?」「分かってる」「高瀬課長は上司だし」「それも分かってる」「私、仕事の
恵が帰ったあとも、佳苗はしばらく動けなかった。 心臓が嫌なほど脈打っている。 あの目。 一瞬だけ見せた、冷たい視線。 前世では最後まで気づかなかった。 恵はずっと、自分から奪うことを楽しんでいたのだ。「……っ」 佳苗は唇を噛み締める。 怖い。 けれど、それ以上に悔しかった。 どうして自分は、あんな人たちのために命まで懸けてしまったのだろう。 テーブルの上に置かれた結婚写真が目に入る。 幸せそうに笑う自分。 悟の腕に寄り添って、未来を信じ切っていた頃の自分。 ――滑稽。 佳苗は震える手で写真立てを伏せた。 もう戻れない。 戻りたくもない。 今度こそ終わらせ
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。







