تسجيل الدخول「奥様、お帰りなさい。どちらへ出かけていたんですか?」
「……」
帰宅した香織は、たまたま邸宅の前で日菜乃と遭遇した。美佐子に会っただけでもひどく疲れたのに、逃げた先で日菜乃にまで遭遇してしまうとは。
今日は何てツイてないんだろう。
「……ちょっと用事があったのよ」
「そうだったんですね!言ってくれたら、私が運転手に頼んで送ってさしあげたのに」
「……」
羽川家の人間からことごとく嫌われている香織は、正式な妻となったにもかかわらず、羽川家の所有する車に未だに乗ったことが無かった。
これまで開かれたパーティーも亮太は先に一人で車に乗って行ってしまうため、残された香織は徒歩か公共交通機関を使って移動するほかなかった。
一方、愛人である日菜乃は既に羽川家の女主人のような扱いだった。人目を気にすることなく亮太と常に行動を共にし、まるで彼の妻であるかのように振舞っていたのだ。
香織は惨めな気持ちを抑えきれなかった。
「奥様、何だか目元が赤いですよ、どうかなさったのですか?」
「……何でもないわ」
香織は顔を背けた。
日菜乃は心配そうに香織を見つめ、彼女の顔に手を伸ばした。
「もしかして、泣いていたんですか?奥様、一体何が――」
「何でもないって言ってるでしょう!」
「キャアッ!」
香織が日菜乃の手を振り払うと、彼女は後ろに倒れこんだ。
「ッ……!」
母親に会ったあとで心に余裕のなかった香織は、力の加減ができなかったのだ。
まずい、こんなところ、誰かに見られでもしたら――
そう思ったのも束の間、突然後ろから強い力で肩を掴まれた。
強引に振り向かされた香織は、相手の顔を見る前に強い衝撃を受け、わけもわからないまま吹き飛んだ。
それと同時に頬に鈍い痛みが走った。
「あ……」
顔を上げた香織の視界に、見慣れた顔が映った。
冷たい目で彼女を見下ろしていたのは亮太だった。
「お前、日菜乃に何をしているんだ」
「亮太……」
彼は倒れこんだ香織をさらに痛めつけようと、再び手を振り上げた。
――「社長、やめてください!私が先に奥様に失礼なことをしたんです!」
それを慌てて止めに入ったのは日菜乃だった。
「日菜乃……」
彼は自身にしがみついて懇願する日菜乃を視界に入れると、すぐにいつもの顔に戻った。
「奥様は……ただちょっとイラついてただけですよ。本当は優しい方だということ、私は知ってますから!」
「しかし、今のでお腹の子に何かあったら……」
「大丈夫ですよ、私たちの子ですから!きっと元気に生まれてくるはずです!」
「……そうだな、俺が心配性になりすぎていたようだ」
亮太は日菜乃を優しく腕に抱きしめた。香織にとってそれは、前世で見慣れた光景だった。
香織が日菜乃に苦言を呈すたびに、彼女は目に涙をためて亮太に泣きついていた。
本当は誰よりも強かな女であるにもかかわらず、好きな男の前ではか弱い女の子であるかのように振舞う。前世の経験から、彼女のやり口は嫌というほど理解していた。
「……茶番ね、別に止めなくてよかったのに」
「奥様……?」
香織の言葉に、亮太は顔を真っ赤にして彼女の胸倉をつかんだ。
「日菜乃に助けられたというのに、なんという言い草だ!」
「私は助けてなんて言ってないわよ」
「何だと?相変わらず性根の腐った女だ!」
「社長やめて、奥様は素直になれないだけよ!」
日菜乃は香織の胸倉をつかんでいる亮太の腕にそっと手を置いた。
亮太の手の力が弱まったその隙に、香織は彼の腕を振り払った。
これ以上日菜乃に助けられるという屈辱に耐えられなかったのだ。
立ち上がり、スカートの埃をさっさと払うと、香織は亮太を見下ろした。
「亮太、あなたは昔から視野が狭いわね」
「……何だと?」
「自己中心的で、絶対に自分が正しいと信じて疑わない。そこがあなたの欠点よ」
「お前に何がわかるんだ!」
亮太は声を荒らげた。
今にも香織にとびかかろうとする亮太を、日菜乃がおさえ込んだ。
「今回のことは忘れないわ。あなたが私を殴ったこと、一生恨ませてもらうから」
「好きにしろ、先に手を出したのはお前のほうだろう」
一部始終を全て見ていたわけでもないのに、双方の話も聞かずに香織が悪だと決めつけるのは前世から変わっていなかった。
香織は未だに座り込んだままの二人を置いて屋敷へと入っていった。
その頃、柚果はある人物に一連の出来事を報告しに行っていた。「――失礼します、日菜乃さん」軽く扉にノックをし、部屋に入る。彼女が訪れていたのは日菜乃と亮太の住む羽川家の本邸だ。この邸宅が日菜乃のものとなってからまだ日が浅い。中に入ると、日菜乃がまるで女帝のように足を組んで座っていた。あながち間違いではない。柚果にとって日菜乃は救いの女神であり、全ての女性の頂点に君臨する女王様だったのだから。そんな彼女だから、ついて行くことを選んだのだ。「あの女を捕まえたと聞いたわ」「はい、日菜乃さん。日菜乃さんが用意した郊外の小屋に閉じ込めています」「そう、ご苦労様」日菜乃は満足そうに笑みを浮かべた。その顔を見た柚果はほっとしたのか、安堵の息を吐いた。最近の日菜乃は毎日のように機嫌が悪そうだった。原因は主に亮太だったが、柚果はそのことを知らなかった。香織の存在が彼女をそうさせているに違いないと思い込み、今回の件を実行したのだ。この拉致監禁を企み、提案したのはまさに柚果だった。(思えば、この方との付き合いももう十年近くになるのね……)柚果は目の前に座る日菜乃の顔をじっと見つめた。この世の全ての男を跪かせる日菜乃は、いつだって彼女の憧れの存在だった。だから、こんなとんでもないことだって彼女のためなら平然とやってのけた。「日菜乃さん、香織はいかがいたしましょう?」「そうね……二度と調子に乗れないよう、痛い目に遭わせてやりなさい」「かしこまりました」日菜乃は冷たく言い放った。表情は最初とまるで変わっていない。「すべての罪はあの男に着せたらいいわ。元より、そのためにアイツを雇ったんだから」「はい、日菜乃さん」柚果は頷き、部屋を出て行った。元々監視役の男はすべての罪を被せるために柚果が雇った犠牲者だった。自分たちの目的のためなら、知らない誰かの犠牲など気にも留めない。羽川邸の廊下を歩きながら、柚果は笑みを零した。(本当、あのお方には困るわ……)日菜乃はもはや、良心など持ち合わせていなかった。そんな彼女についている柚果も似たようなものである。――彼女たちにはもう、人の心など残ってはいない。***香織は男の縄を解き、何とか脱出しようと試みていた。「ところで、ここはどこなのかしら?」「さぁ、俺もあの女に車で送られただけだから詳しい場所まではわから
「ねぇ、その女について知っていることは他に何かないの?」「特に何も……顔と名前くらいだ」男は香織を見上げてぶっきらぼうに答えた。柚果の手下である彼なら何か情報を得られると思ったが、どうやら彼には何も伝えられていなかったようだ。(首謀者は顔すら現わさないし……一体何者なのかしら)香織はじっくりと考え込んだ。一体誰がこんな犯罪紛いのことをしたのか。きっと香織を強く憎んでいるものの仕業だろう。彼女がこのような目に遭うことで得をするような……。「ねぇ……首謀者の顔は知らないって言ってたけど、声くらいは聞いたんじゃないの?」香織の問いに、男が顔を上げた。「え?あぁ……そうだな。若い女の声だったよ。二十代前半から半ばくらいの」「……」香織の脳裏に、一人の女の顔がチラついた。山川日菜乃。やっぱりあの女の仕業だと考えるのが自然だった。だが、手掛かりは何もない。彼女と決めつけるのはまだ時期尚早だった。(だとしたら、亮太はこの件を知っているのかしら……知っていたとしても日菜乃のやったことなら全てもみ消すでしょうね)改めて、自分はとんでもない人を敵に回してしまったのだなと実感した。「なぁ、そろそろこの縄を解いてくれねえか?窮屈でたまらねえんだ」「……」香織は冷たい目で男を見下ろした。首謀者が別にいるとはいえ、彼も香織拉致監禁の片棒を担いだことに変わりはなかった。「あなた、失敗したことが知られたらただでは済まないでしょうね」「……な、何だと?」男の顔色が一瞬にして変わった。「このような事態になった以上、あの女はあなたを生かしておくつもりはないわ。私が縄を解いたところで、どちらにせよ終わりよ」「な……そんな……」日菜乃は危険な女だった。もし彼女が今回の一件を計画していたとしたら、きっと彼は生きては帰れないだろう。いや、このような計画に協力させたところで生かしておくつもりはなかったのかも。自ら毒を飲み、香織にその罪を着せるような女なのだから、そのようなことを企てていても変ではない。「あなたはどちらにせよ終わりなのよ」「……」男は真っ青な顔で絶句している。仲間に引き入れるなら今だ。そう思った香織は咄嗟に口を開いた。「少なくとも、私なら……解放されたあとあなたが刑務所へ行くことにならないようにしてあげることくらいなら可能よ」「ほ、本当か!
香織は焦って部屋にあった長い棒を手に取った。威嚇するように男を見下ろす。そんな彼女を、男は嘲笑うように口角を上げた。「九条グループのお嬢様が……そんな物騒なもの持ってんじゃねえよ」「あなたが何をするかわからないから」「おいおい、こっちは両手足を縛られてるんだぜ?何の抵抗もできない無害な人間に暴力振るうってのか?」無害だなんて、どの口が言うのか。少なくとも先に無礼を働いたのは彼の方だ。「ここは一体どこなの?どうやったら出れるの?」「俺から情報を得たいなら、まずはその武器を下ろせ。そうしたら言えることは話してやる」「言えること……?」全ては言えないというのか。棒を持つ香織の手に力がこもった。「私が聞いたことは全部答えてもらうわよ?言える言えないなんて関係ないわ」香織は男の前で棒をかまえた。「九条グループのお嬢様は暴力的だな……俺の話もちょっとくらいは聞いてくれよ」「……」「まずはその棒を下ろせ……話はそれからだ……」このままではいつまで経っても何の情報も得られないままだ。香織は男の要望に応じることを決め、そっと棒を下ろした。床にカランッという音と共に、彼女の手から完全に離れた。「武器を捨てたわよ。さぁ、知ってることは全て話してもらうわ」「知ってることと言っても……俺はほとんど何も知らない」「ちょっと、何よそれ」男は手足を縛られたまま答えた。何も知らないとは一体どういうことか。「首謀者の顔くらいは知っているでしょう?」「いや、それすら何も……俺はただバイトでここまで来ただけだからな」「バイトですって……?」香織は眉をひそめた。「あぁ、知り合いから割のいい仕事があるからやらないかって誘われたんだ。ちょうど金に困ってたし……ただの警備員だって聞いてたのに、こんな仕事だとはな……」男は気まずそうに顔を背けた。その表情を見るに、嘘をついているわけではなさそうだ。「桜庭柚果――さっきの女のことは知っているの?」「いや、全く初対面だ。それにアイツ、桜庭って名前だったのか?持ってた身分証には川島って書いてたけど」「……何ですって?」川島とは一体誰のことか。彼女は間違いなく桜庭柚果なわけで。初対面のときも間違いなくそう名乗っていたし、社員たちからも桜庭さんと呼ばれていた。香織の脳裏に、朗らかに笑う柚果の顔が浮かび上がった。しか
香織は部屋の中で一人、退屈な時間を過ごしていた。(もう丸一日が経つのね……お父さんや有真さんが不審に思っているかも……)二人に余計な心配をかけたくなかった。何より、永遠にこの場所から出られないのだけは御免だ。香織は思い切った行動に出ることを決めた。「――すみません、どなたかいらっしゃいますか?」香織は固く閉ざされた扉に向かって声をかけた。聞こえているのかいないのか、わからない。しかし、こうでもしなければ永遠に外へは出れないだろう。香織は切羽詰まったように大声を上げた。「すみません、緊急事態なんです!どなたか、いらっしゃいませんか!」彼女は扉に向かって叫び続けた。それからしばらくして、ガチャリと鍵が開く音と同時に、固く閉ざされていたはずの扉が開いた。外から姿を現したのは、昨日柚果と共に部屋へ入ってきた見知らぬ男だった。「………………何だ?」「――えいっ!!!」香織は扉の陰に潜み、男が入ってきた瞬間を狙って棒で思いきり頭を殴った。「うぐッ――!」頭を殴られた男は床に倒れ込んだ。香織はそんな彼をじっと見下ろした。「……意識を失っているようね」衝撃で彼は一時的に気絶していた。目覚めるまでの間、香織は男を部屋にあった電気コードで手足を縛った。そのままの姿で目覚めてしまえば、女の香織は彼に勝つことができない。何の考えも無しに暴力を振るうほど彼女は馬鹿ではない。「何か持ってないかしら……スマホとか……」香織は彼のポケットの中に手を入れるが、脱出に使えそうなものは何も入っていなかった。「扉が開いているわ……あそこから外へ出られるかも……」香織は男を一人置き去りにし、開いた扉から外へ出た。家の中は案外狭く、部屋も三つほどしかなかった。香織を閉じ込めていた部屋、キッチン、そしてつい最近まで誰かが暮らしていた痕跡が色濃く残るリビング。それらを全て通り、香織は出口を探した。「きっとここが玄関ね……このドアが開けば外に出られるわ……!」香織は外に続く扉を強い力で押してみるが、ビクともしなかった。まるで外側から何者かが押さえつけているかのように動かない。(嘘でしょう……?)肝心の玄関の扉は、部屋と同じように固く閉ざされていて開かなかった。香織はショックを隠しきれなかったが、一度倒れている男の元へ戻った。部屋の中を歩き回り、何とか脱出する方法が
忠嗣は警察へ連絡を入れたが、警察はすぐには動かなかった。「しばらくは様子を見てください」「ちょっと、どうしてですか!娘が行方不明だっていうのに」近くにある警察署を訪れた有真は、署内で声を荒らげた。「娘さん、既に成人しているんでしょう?子供でもないんですから……」「あの子はそういうことをする子では……」「二十五歳の女性なら、親に無断で外泊することだってありますよ。普段実家で暮らしているならなおさら。たまには親から離れたいとも思うでしょう」警察官は有真の言葉を遮った。彼は事の重大さを捉えていないようだった。「ですが……」「それにしてもあなた、ずいぶん若いですね?二十五歳の娘がいるって言ってましたけど……ということは、十歳で産んだんですか?」警察官はニヤニヤ笑いながら有真に尋ねた。「……香織さんは私の夫の連れ子です。血は繋がっていません」有真はこれ以上は何を言っても無駄だと思い、そのまま警察署を立ち去った。あまりにも無礼な警察官の態度に、我慢の限界だった。「私も香織さんを探そうかな……日中は時間があるし……」今日はちょうど何の予定もない。忠嗣は外せない用事で捜索には加われないから……そう思っていたそのとき、有真はある人物とたまたま遭遇した。「……あれ?あなたはもしかして、福本さん?」「……あなたは、香織の……」偶然、出会ったのは前に九条邸を訪れた福本礼音だった。「はい、継母の九条有真です」有真は軽く自己紹介をした。礼音は有真から後ろにある警察署に視線を移した。たった今、彼女がここから出てくるところを目撃していた。「……こんなところに何の用で?」「あぁ、それは……」有真は他人である礼音に言うべきか悩んだが、彼なら何か知っているかもしれないと思い、説明した。「実は、香織さんがいなくなってしまったんです」「……何だと?」礼音は眉間にシワを寄せた。香織がいなくなったとは一体どういうことか。「それはいつからですか?」「昨日からです。香織さんから友達の家に泊まると連絡が入ったのですが……電話をかけても一向に繋がらなくて」「……」礼音は平静を装っていたが、内心気が気ではなかった。「……事件の香りがしますね」「ええ、私もそう思います。ですが、警察はあてになりません」彼の言葉に、有真は頷いた。二人とも、ちょうど同じ考えが頭
二人が部屋から出て行ったのを確認すると、香織はそっと起き上がった。「行ったみたいね……」部屋の扉に手をかけてみるが、どれだけ押してもうんともすんともしなかった。どうやら再び閉じ込められてしまったようだ。こんなことになるんなら、二人が入ったあのときに殴ってでも強引に外へ出るべきだったかな。しかし、犯人が二人だと確定しているわけではないため、その行為は危険だった。(どうすればここから出られるのかしら……)それに、柚果の言うあの方とは一体誰なのか。どのような目的で、私をここに監禁しているのか。皆目見当もつかない。「私、拉致監禁されるほど誰かの恨みを買ったのかしら……」考えても全くわからなかった。前世では当然、このようなことはなかった。ドアも窓も開かないし、スマホも無いから外へ連絡を取る手段もない。香織の目の前が絶望で暗く染まっていった。「あーもう、誰か助けて!」その叫びは誰にも届かないまま、消えていった。***その頃、有真と忠嗣はあまりにも遅い香織の帰宅を不審に思っていた。「香織は……まだ帰ってこないのか?」「ええ、旦那様。一応香織さんから連絡はあったのですが……」有真の元には、香織から帰宅が遅くなるという連絡が入っていた。そして、今日は友人の家に泊まって行くということも。しかし、有真と忠嗣はそのメッセージを不審に感じていた。「香織が急に外泊するだなんて……今までそんなことは一度も無かったというのに……」香織は昔から真面目で、朝帰りなんてしたこともなかった。そのせいで今、九条邸の空気はピリピリしていた。「……もしかすると、香織さんの身に何かあったのではないでしょうか」「……」有真の言葉に、忠嗣は黙り込んだ。彼もまた、娘の異変を感じ取っていたようだ。「だって明らかに変ではありませんか。電話をかけてみても、繋がらないんですよ?」「……そうだな」有真は香織のスマートフォンに何度も電話をかけたが、昨日からずっと繋がらないままだ。以前の香織ならともかく、今の彼女が有真からの電話を無視するとは考えにくい。「さっき会社に連絡してみたのですが、出社していないそうです。無断欠勤なんてするような人ではないというのに」「……」明らかに異様ともいえる事態だった。忠嗣はポケットから自身のスマホを取り出した。「……今、九条家の者で周辺を捜
有真は結婚する十年前まで、忠嗣の経営する会社の社員として働いていた。彼女は一般家庭の生まれだったが、努力を重ねて有名大学を卒業後、大企業へと就職することができた。そんな有真は、学生時代から明るい性格でクラスの人気者だった。絶世の美人というわけではなかったが、穏やかで優しく、いつだって周囲に気さくに振舞うその姿は男女問わず魅了した。――そんなところが、彼を虜にしたのかもしれない。彼女が九条グループに入社してから一ヵ月、有真は広い会社内で迷子になっていた。(道に迷っちゃったわ……会議室はどこかしら……)会議が始まるまではあと少しだ。入社早々遅刻するわけにはいかない。有真は焦っていた。彼
夜になり、ドキドキ初出勤を終えた香織は九条邸へと戻った。結婚前はどんな小さな用でも車で送り迎えをしてもらっていた香織だったが、今日は歩きだった。(職場まではそう遠くないし……運動のためにも歩こう)羽川家では車に乗れないのが普通だったせいか、歩きに慣れてしまったようだ。しばらく歩くと、羽川家の邸宅に到着した。(今でもここへ帰るのは慣れないわね)香織はそう思いながら鍵を使って中に入った。「香織さん、おかえりなさい」「ただいま、有真さん」帰宅した香織を、継母の有真が出迎えた。夜ご飯を作っている最中だったのか、長い髪を一つにまとめてエプロンを着ていた。有真は忠嗣の二十歳年下で、香織の
それから一週間後。「初めまして、九条香織です。これからよろしくお願いいたします」「……」香織は父親の会社で新入社員として入社していた。彼女を見た社員たちはしばらく固まったあと、ヒソヒソと噂話をし始めた。「九条って言った……?もしかして社長の娘さん……?」「間違いないわ。社長の娘、夫と離婚して実家に帰ったらしいわよ」「よりによって何でこの部署に……社長の娘とか気使うわー……」「……」香織の第一印象はあまり良くなかった。コネ入社、血筋が良いだけ、だとか散々な言われようだ。しかし香織はそんな中傷など気にも留めなかった。彼女が羽川家で受けた屈辱に比べれば、こんなもの大したことないか
あっという間に五日が過ぎ、パーティーの日になった。「香織お嬢様、本当によくお似合いです。会場にいる全員がお嬢様に目を奪われるでしょう!」「そうかしら?」華やかな青いドレスに身を包み、長い黒髪を結い上げた香織は、行きつけの美容院の店長――鏑木壮太(かぶらぎそうた)の手を取り、彼の車へと向かっていた。「あなたの腕がいいのよ、いつも感謝しているわ」「それはこちらのほうですよ、お嬢様。お嬢様の父君には感謝してもしきれません」壮太は優雅に香織をエスコートし、車のドアを開けた。香織が黒のSUVの後部座席に乗り込むと、壮太が運転席に座った。「あなたが運転してくれるのね」「安物の車で申し訳







