LOGIN二十三回目の結婚式当日。 正木池羽(まさき いけば)は、またしても彼の義妹・和泉榎(いずみ えのき)の「自殺騒ぎ」で式場を飛び出した。 残された私は、嘲笑にさらされた。 「また捨てられた花嫁だ」「縁起でもない」―― 誰もが私を哀れみ、笑った。 けれど私は信じていた。 「すぐ戻る、結婚しよう」 そう言った池羽の言葉を、今回も。 ……そして、今回も裏切られた。 怒り狂う招待客をなだめ、散らかった会場を片づけ、ようやく家に戻った時には、夜も更けていた。 書斎の前を通りかかった瞬間、ドアの向こうから池羽の声が聞こえた。 「榎は精神的に不安定なんだ。付き添うのは当然だろ。 春日部(かすかべ)は、百回式を延ばしても俺から離れないよ」 ……ごめんね、池羽。 今度こそ、期待を裏切ってあげる。 涙をこらえながら、スマホを開く。 そして幼なじみの木戸真弓(きど まゆみ)にメッセージを送った。 【三日後、私たち結婚しよう】
View More池羽は、榎の不正に巻き込まれ、有罪判決を受けた。出国を禁じられ、監視下に置かれる。その知らせを聞いた桜は慌ててシオリスに飛んできた。そして、私の前で膝をつき、ズボンの裾を掴んだ。「これまでのことは全部、私たちが悪かった。春日部さん、お願いだから息子を助けて……池羽を救ってくれたら、また家族に戻れるじゃない」――泣き崩れるその姿を、私はただ無表情で見下ろしていた。そこへ真弓が帰ってきた。長い一日を終えた疲れと共に、怒りが顔に浮かぶ。「ここは僕たちの家です。出ていってください」彼はできるだけ穏やかに言った。だが、桜はその場にへたり込み、地面に張りついたまま動かない。まるで「助けなければ死ぬ」とでも言いたげに。――本当に、親子そろって同じ血。往生際の悪さまでそっくりだ。真弓は警察に電話を入れた。桜は不法侵入で身柄を拘束され、そのまま追放。監視リストに登録され、二度と私の前に現れることはなかった。それからしばらくして。次に池羽と榎の名前を聞いたのは、新婚旅行に向かう飛行機に乗る直前のことだった。助手が息を弾ませながら報告してきた。「榎さん、出産できないと知って、完全に狂ったみたいです。精神病院に入れられたけど、脱走して……」その後のニュースは、まるで悪夢だった。池羽が法廷へ護送される途中、榎が群衆をかき分けて飛び出した。「池羽、死ねええええ!」甲高い笑い声とともに、何度も何度もナイフを突き立てた。人々は悲鳴を上げるだけで、誰も止めに入らなかった。桜が人波をかき分けて駆け寄った時には、池羽はもう、動かなかった。榎はその場で取り押さえられたが、精神疾患があるとして起訴は免れ、再び施設に収容された。だが――ある夜。監視員が目を離したわずかな隙に、階段から転げ落ちて、そのまま息を引き取った。「米沢さん、まさに因果応報ですね!」助手は嬉しそうに語った。けれど私は、ただ一言だけ告げた。「……もう、その話はしないで」過去の人たちは、もう過去のままでいい。私は、もうそこにはいない。私と真弓はミナリアへ飛び、極光を追いかけた。空を裂くように流れる光の下で、真弓がそっと私の頬に口づけを落とす。その瞳は、光を映して青く輝き、まるで「君
池羽は、殴られたくらいでは懲りなかった。私が無視しても、またメッセージを送りつけてくる。だが、私は結婚式の準備で忙しく、スマホを見る暇もなかった。その代わり、私の両親と真弓が、彼の「暴言」の数々を目にした。画面を見終えた真弓の瞳に、冷たい光が宿る。「……まだ優しすぎたみたいだな。――まだ僕の目を盗んで、彼女にちょっかいを出すとは」父はすぐに別荘のセキュリティを呼びつけ、門前で騒ぎ立てる「亡霊」を叩き出させた。二人は何度か電話を交わした。「三日以内に、『正木グループ破産』ってニュースを見せてくれ」「三日もいらない。明日までに、シオリスから一糸まとわず出られなくしてやる」――珍しく、父と真弓の意見が完全に一致した。二人の目が一瞬光った時、背筋が少しぞくりとした。そして迎えた結婚式当日。真弓が私の手をしっかり握り、指輪を私の薬指にはめる。「ようやく、君は僕のものだ」彼の声はかすかに震えていて、唇が重なると、その強さに思わず息を呑んだ。だが――その時。木の扉が勢いよく開かれ、光が差し込む。誰もが一瞬、眩しさに目を細めた。真弓の瞳が細まり、空気が一変する。池羽だった。数人の男を引き連れ、堂々と中へ入ってくる。「木戸。調子に乗るなよ。お前ごときが春日部の隣に立てる資格があると思ってんのか!俺と春日部は、ちょっと喧嘩してただけだ。その隙に割り込むとか、見苦しいにもほどがある」会場がざわめいた。彼は背後の男たちに命じる。「やれ。全部壊せ」真弓は眉を上げ、微笑した。「……やれるもんなら、やってみろ」その時、会場の入り口に別の一団が現れた。先頭の男が池羽の前に歩み出て、胸ポケットから警察手帳を取り出す。 「集団による実名告発を受け、あなたが会社資金を不正に海外送金した疑いで、同行してもらいます」一瞬の沈黙。「な……何の話だ!俺は何もしてない!誤解だ!」叫ぶ池羽を、数人がかりで押さえつける。腕と足を掴まれ、抵抗する声が式場の外へ遠ざかっていった。――その後、式は何事もなかったかのように続いた。招待客たちは、さっきの騒ぎを『ちょっとしたハプニング』として笑い話にしていた。一方その頃、警察に連れ戻された池羽は、会社での調査を受けて
榎が池羽に駆け寄り、支えようとした。だが、彼はその瞬間、反射的に距離を取った。――そうだ。春日部がいなくなってから、誰も自分の呼びかけに即座に応えなくなったのだ。榎は毎日、バッグが欲しいだの、寂しいだの、甘えた声でまとわりついてくる。最初は慰めになると思っていたが、もううんざりだった。「……これからは、少し距離を置こう。春日部に誤解されたくない。帰国したら、会社にも来るな」榎の目が見開かれた。「どういうつもり!?私、お腹にあなたの子どもがいるのよ!そんなことしたら、罰が当たるわよ!」池羽は動揺しながら、慌てて私の方を向いた。「違う!そんなわけない!あれは俺の子じゃない!」私は無表情のまま、こめかみを押さえた。真弓が静かに合図をし、店員に二人を外へ出すよう頼んだ。池羽は出口まで引きずられながら、「俺はまた来る!絶対に!」と叫んでいた。ドレスの予約を終えると、胸の中の空気がようやく軽くなった。背後から、真弓がそっと腕を回してきた。低く落ち着いた声が耳元で響く。「安心しろ。あのクズ、もう数日は手も足も出せない」彼の唇がわずかに歪む。「……まあ、会社ごと消えてなければ、の話だけどな」その言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。――昔から、彼はそういう男だった。優しいけれど、私のためなら容赦しない。子どもの頃、成績の良かった私は、クラスの不良に目をつけられていた。彼は何も言わず、放課後にその連中を路地裏へ追い詰め、ボコボコにして帰ってきた。制服は泥だらけで破けていて、家に帰るなり母親にこっぴどく叱られていた。「お安い御用。お礼に『お兄ちゃん』って呼べばチャラでいいよ」そう言って袖を払うと、真弓は悪戯っぽく眉を上げて笑った。あの時と同じ笑顔で、今の彼が言った。「お安い御用。今度は『お礼にキス』でもしてくれればな」子どものころの私は舌を出して言った。「お兄ちゃんなんて、この先一生呼ばないからね」でも今の私は、顔を背ける代わりに、彼の首に腕を回してキスをした。一瞬、真弓の体がびくりと硬直し、次の瞬間には、彼の腕が私の腰を引き寄せ、そのキスを深くした。胸の奥から、じんわりと甘い熱が広がる。その夜、私たちは一緒に家に帰った。
久しぶりに――夢のない夜だった。ぐっすり眠れて、朝起きた時には心が驚くほど静かだった。荷造りを終えて階下に降りると、背筋を伸ばして座る真弓の姿。「真弓くん、もう二時間も待ってるんだぞ」父が眉をひそめる。真弓は首を横に振って微笑んだ。「ううん、さっき来たばかり。おじさんがちょっと大げさなだけだよ」そのまま、彼に連れられてウェディングドレスの試着へ。私は昔から服を決めるのに時間がかかるタイプで、何十着も試さないと気が済まない。 ドレス姿でカーテンの向こうから出るたびに、真弓の目が見開かれて、言葉を失っていた。「……綺麗だ」夢でも見ているように小さく呟く。その声には、一切の嘘がなかった。私がどんなドレスを着ても、彼はちゃんと見てくれて、真剣に意見をくれる。――池羽とは、正反対。あの人と試着に行った時、榎からの電話で何度も席を外し、たまに戻ってきても、ずっとスマホをいじっていた。「そのドレス、露出多すぎ。他の男に見られたらイヤだろ。俺、嫉妬するから」……あの時感じた寒気が、いまでも骨の奥に残っている。そんな記憶を振り払った瞬間、耳の奥で、榎の甘ったるい声がよみがえった。「池羽お兄さん、私、この店のデザイナーさんにドレス作ってもらいたいの」「うん、いいよ。君の好きにしな」――まるで幻聴のようだった。だが、次の瞬間、その「幻」が現実になった。振り返ると、店の入口に池羽が立っていた。目を見開いたまま、私の姿を見つめている。「春日部……どうしてここに……そのドレス、すごく似合ってる」スタッフを呼びつけ、声を張る。「このドレス、俺が払う!」私は思わず白目を剥きそうになった。「いらない」榎は唇を噛み、目だけで火花を散らす。だが声は柔らかく、媚びたように。「春日部さんのドレス、本当に素敵。ねえ、池羽お兄さん、私も同じデザインがいいなぁ」池羽は、肩に手を回してきた榎の手を振り払った。「ちょっと黙ってろ」そして、私の方に身を乗り出してきた。「春日部、悪かった。俺、本気で反省してる。もう榎とは終わりにする。俺が愛してるのは、最初から君だけなんだ。明日の便を取った。君の分も今すぐ買う。一緒に帰ろう」掴まれた手に力がこも
池羽は、両手で髪をぐしゃぐしゃに掻き乱していた。「あり得ない……春日部が俺をあんなに愛してたのに、何も言わずにシオリスに行くなんて。それに、俺のせいで家族と縁を切ったんだぞ。今さら実家に戻れるはずがない」スマホを取り出し、何度も発信する。――結果は同じ。電源が入っていません。それでも諦めずに、メッセージを送り続けた。【春日部、怒ってシオリス行ったのか?】【もう喧嘩はやめよう。これからはちゃんと一緒に過ごす。君の好きなカスミソウも買ったんだ】【お願いだから、戻ってきて。ずっと待ってる】……返事は一通もなかった。その頃、私はすでにシオリスに到着していた。空港の到着口に、真弓が立っていた。彼は私の大きなスーツケースを二つとも受け取り、手に小さな箱を押しつけてきた。「フルーツタルト」少し照れたように、彼は小声で続けた。「自分で作ったんだ。……口に合うか分からないけど」――まさか、真弓がまだ私の好物を覚えているとは思わなかった。「……ありがとう」一瞬、喉の奥が詰まって、視界が滲んだ。慌てて袖で涙を拭う。その様子に気づいた真弓が、眉をひそめた。「君が止めなきゃ、僕とっくにあいつぶん殴ってたからな」私は答えず、彼もそれ以上は何も言わなかった。車で家まで送ってもらう。玄関を開けると、父がソファに座っていた。険しい顔つきで、腕を組んでいる。「前に言っただろう、あの男を一度家に連れて来いって。『忙しい』とか言って、ずっと誤魔化して。彼にひどいことをされたとき、どうして俺たちに言わなかったの?」母が慌てて父を押しのけた。「帰ってきただけでいいじゃない。見なさいよ、春日部、こんなに痩せちゃって……」父はため息をつき、怒りを飲み込むように目を細めた。その時、真弓が静かに口を開いた。「ご安心ください。春日部のことは、僕がちゃんとお世話します。それに、僕の両親ももうこちらに向かっています」真弓の行動の早さに、私は少し驚いた。言葉の通り、彼の両親はすぐに玄関に現れた。軽く挨拶を交わすうちに、話は自然と「結婚」の方向へ進んでいった。気づけば、結婚式の日取りが来週に決まっていた。真弓は分厚いノートを取り出した。ページいっぱいに、手書
翌日。池羽は出勤し、家には私と榎だけが残った。沈黙が、空気を押し潰すように重い。私はスマホで助手に連絡し、今夜のフライトを確認していた。そこへ、榎が腰を押さえながらのそのそと近づいてきた。「昨日あんなに『いい子』ぶっても、池羽お兄さんは絶対あんたなんか好きにならないから!」顔を上げると、彼女の目がキラリと光った。まるでスイッチを押されたみたいに、止まらなくなる。「本当はね、昨日桜さんが言ってた通りよ。私のお腹の子、池羽お兄さんの子なの」わざとらしくお腹を突き出して、得意げに笑う。その時、スマホが震えた。――助手からのメッセージ。【雨天のため、フライトが遅延しております】私は眉をひそめた。榎はそれを「怒りの反応」だと勘違いして、さらに声を張った。「七年も一緒にいて子どもができないって……まさか春日部さん、子どもなんて欲しくないとか?」口元を手で押さえ、くすっと笑う。「知らなかったでしょ?彼、いつも言ってるの。『春日部はベットの中でも死んだ魚みたいでつまらない。やっぱり榎といる時が一番興奮す』って」彼女は私が取り乱すと思っていた。泣くか、怒鳴るか。けれど、私はただ頷いただけだった。「……そう」もう、何も感じなかった。一昨日までの「未練」も「希望」も、全部どうでもよくなっていた。私は助手に別の便を予約させた。お腹が鳴る。仕方なくキッチンに向かう。冷蔵庫には、昨夜池羽が医者に相談してまで書き写した「妊婦用メニュー」が貼ってあった。朝早くに買い物までして、「ちゃんとこれ通りに作れよ」って、彼は何度も念を押していた。もちろん、全部私の嫌いな食材ばかり。私は無表情のまま料理を並べた。榎はご飯を数口食べたあと、急にお腹を押さえてしゃがみ込む。顔が真っ青で、額に冷や汗。冷めた目で見ていると、彼女はすぐに池羽へ電話をかけた。「池羽お兄さん、私、春日部さんの作ったご飯食べたら、お腹が……すごく痛いの……これって……赤ちゃん、死んじゃうのかな……」――完璧な演技。電話の向こうで、池羽の声が慌てふためく。「榎、落ち着け!すぐ帰る!」会社から家まで三十分。それなのに、十分もしないうちに玄関が開いた。息を切らした池羽が榎を
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