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【16】『私の髪、返して』

Author: 猫宮乾
last update Last Updated: 2025-07-22 17:41:03

 思い出したのは朝のことだ。

 なお最悪な事に、朝起きると俺は、時島の腕を抱きしめて寝ていた。

「うわぁあ!!」

 思わず驚いて俺は声を上げた。時島は起きていたのか眠っていたのかは分からないが、その時目を開けると、淡々と俺に向かって掠れた声を放った。

「起きたか? よく、眠れたみたいだな」

「え、あ」

「スノボで疲れたから、ぐっすり眠れたんだろう」

 そんなやりとりをした朝だった。時島の顔色からは、時島が眠れたのかは分からない。

 ――これを思い出すと、非常に恥ずかしくてならない。

 だから、まともに時島の顔を見られない。そのせいなのか、紫野の申し出には、若干安堵していた。紫野の方が気楽だ。

 ただ……何故なのか時島は大丈夫だが――例え、紫野であっても『男と個室で二人きりになる』という状況になると気づいてしまい、無意識に生唾を飲み込んでいた。ゴクリと音が響いた気がする。時島が大丈夫な理由も不明だが。直感としか言えないのだ。

「何かあったのか?」

 時島の言葉で、俺は我に返った。すると紫野が、まだ青い顔で、小さく頷いた。

「昨日、寝る前に、シャワーに入ったんだよ」

 このホテルは、大浴場の他に、各客室にも、シャワーがついている。

「そうしたらさ、髪を洗ってたら……後ろに誰かがいる気配がしたんだ」

「それで?」

 俺は、興味津々で続きを促しながら、味噌汁のお椀を持つ。

「洗い終わってから鏡を見たら、真後ろに女がいて、言うんだよ」

「なんて?」

 俺は味噌汁の椀を置いた。すると紫野が、自分の髪を押さえた。

「『私の髪、返して』……その後、髪の毛を引っ張られた気がした。で、な? 即、出てから寝たんだよ、俺。怖い話してたから、怖がってただけだと思ってな」

 そう言う部分では、紫野は図太いと思う。

「そしたらさ、夢を見たんだ――すごい綺麗な長い髪をした女が、俺の部屋……というか、恐らく焼け落ちた部屋なんだろうな……あそこ。あの位置。若干今よりも古いけど、窓から見える景色が、今の俺の部屋と同じ所に泊まっていたんだ。髪を櫛で梳かしてたな。一緒にいた母親も、『本当に綺麗な髪ね』とか言っててさ」

 時島は何も言わずに耳を傾けている。

「その数時間後、火事が起きた。そうしたら、その髪の長い女は逃げ遅れて、大火傷を負ったんだよ。顔も頭も大火傷。一命は取り留めて、A市の病院に入院したらしいんだ。A市って何処だよって感じなんだけどな、俺には」

 A市は、このホテルから約一時間半ほど先にある。俺は知っている名前だった。

「それでな、火傷のせいで、どんどん髪が抜けていくんだ。母親は、それでも残った髪を櫛で梳かしてやるんだけど、それも抜ける原因。ただ、綺麗な髪を維持する為に、元気な頃も櫛で毎日梳かしてたから、火傷後も梳かさずにはいられなかったみたいなんだ。それで結局亡くなったらしい。その女だったんだよ、風呂で俺が視たのは」

 概要はこうだった。

 なお、この時の紫野は、真っ青なままで――火傷の詳細な様子などを交えて、もっと長い間、話していたと思う。

 さてその後は、スノボに出かけた。

 ただ、その間中、俺は考えていた。

 紫野が語った怖い話について――では、ない。

 夜、紫野と二人きりの部屋で、俺はしっかりと眠れるのだろうか。

 三泊四日の予定で来ている以上、部屋を変わった場合、残りの二日間、紫野と俺は同じ部屋になるのだろう。紫野の事は信頼しているし、何かがあるとは思わない。ただ恐怖は拭えないのだ。どうすれば良いのだろう? 少し考えてから、俺は決意した。

「なぁ、やっぱり一人の方の部屋では、俺が寝る」

 俺が夕食の席でそう言うと、時島と紫野が目を見開いた。そこに漂った気まずさが嫌で、俺は曖昧に笑った。

「ほ、ほら! オカルト話集めてるし、興味があるからさ」

「左鳥がそう言うんなら良いけど、朝、俺が言ったのは、本当の話だぞ?」

 紫野が何度か瞬きをしてから、時島を見た。時島は腕を組んで、俺を見据えている。

 二人の視線を交わすように、俺は黙々と棒々鶏を食べる事にした。

 溜息が出そうになったが堪える。背中を冷や汗が伝っていった。

「――三人で、俺達の部屋で寝るって言うのはどうだ?」

 その時、時島が提案した。なるほど、その手があったかと、俺はホッとした。

 俺は、三人以上ならば、問題なく過ごす事が出来るのである。

 安心した俺は、先に席を立つ。大浴場に出かけようと思ったのだ。

 時島と紫野は、もう少し酒を飲みたいと言っていた。

 なので一人、俺は廊下を歩く。

 大浴場には、俺の他、昨日も会った、えびす顔のおじさんがいた。

「お兄さん、酔ってるね」

 話しかけられたので、俺は笑顔で頷いた。汗をシャワーで流し、ゆっくりとお湯に浸かった時だった。

「酒を飲んで風呂に入ると危ないよ」

「そうですね」

 確かに、それはそうだ。そう思って俺は頷いた。するとおじさんが不意に俯いて、苦笑した。

「昔ね――出張で、この辺に来ていた二人組がいたんだよ。小さな居酒屋の経営者と大酒飲みの常連客でねぇ」

 唐突に始まった雑談に、俺は首を傾げた。どこか辛そうな顔をしておじさんが話すからだ。

「それでね、片方が大層酔っぱらっていてね、ここの風呂に長々と入っていたら……心筋梗塞を起こして死んでしまったんだよ」

「え」

「実はそれは、私なんだ」

 そう言った瞬間、おじさんの姿が掻き消えた。

 俺は、ポカンとするしかなかった。

 部屋に帰ってこの話をすると、紫野は――『初日は自分達三人しかいなかったぞ』と首を捻るし、時島は何も言わずに溜息をついた。

 その後は、何事も起きなかった。平和にスノボを楽しんでから、俺達は帰路に着いた。

 三年生と四年生の間の春休みは、このようにして過ぎていったのである。

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