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2話

ผู้เขียน: Amy
last update วันที่เผยแพร่: 2026-08-14 13:46:58

帰宅したのは、午後11時を回ってからだった。

ダイニングの照明をつけると、テーブルに白い花束が置かれていた。10本のバラに、金色の数字をかたどった飾り。朝にはなかったものだ。

【結婚10周年おめでとう】

小さなカードには、直哉の字でそう書かれている。

昼間なら、喜んで花瓶を選んだかもしれない。今は、壇上で麻里奈の腰を抱いていた手が花屋でこれを受け取る姿しか浮かばなかった。

花束には触れず、契約書の封筒をテーブルへ置いた。

直哉は30分ほど遅れて帰ってきた。玄関で靴を脱ぎ、リビングに私がいるのを見ると、少しだけ眉を上げた。

「起きてたのか」

「話すんでしょう」

「明日でもいい。疲れただろ」

冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、立ったまま半分ほど飲む。イベントが成功した夜の顔をしていた。頬にわずかな赤みがあり、口元にはまだ笑みの名残がある。

「麻里奈さんとは、いつから?」

直哉はペットボトルのふたを閉めた。

「仕事の関係なら、入社したときからだ」

「壇上で妻と呼ぶ関係」

「言葉尻をつかむなよ」

椅子を引き、私の向かいへ座る。視線だけは外さなかった。営業先で不都合な質問を受けたときと同じ顔だ。

「麻里奈には発信力がある。器に興味のない人間にも、継景の価値を届けられる。今日だって、彼女を前に出したから取材が集まった」

「私が聞いたのは仕事の評価じゃない」

「仕事と私生活を切り離せない時期があった。それだけだ」

「今も続いてる?」

数秒待っても、答えはなかった。

直哉が答えないことが、そのまま答えになった。

ひざの上で両手を組む。指が冷たかった。怒鳴りたいわけではない。

泣いて謝らせたいわけでもない。ただ、10年間一緒に暮らした相手の口から、事実を聞きたかった。

「いつから?」

「1年半くらい前だ」

数字があまりに簡単に出てきて、息が止まりそうになった。

1年半。

私が母の一周忌を終えたあと、仕事へ戻れずにいたころだ。直哉は毎朝コーヒーを入れ、無理をしなくていいと言った。夜になると、広報戦略の会議だと言って出かけていた。

「離婚するつもりだった?」

「そこまでは決めてない」

「麻里奈さんには?」

「紗季」

直哉は私の名を低く呼び、テーブルの上へ手を置いた。

「今夜のことと、俺たちの10年は別だ。会社も家庭も、感情だけで切れるほど単純じゃない」

「別にしたのは、あなたでしょう」

「だから話し合おうとしてる」

話し合いという言葉を使いながら、直哉は私に何も尋ねない。どうしたいのか。何を失ったのか。1つも。

「修復室の名前を消したのも、話し合った結果?」

封筒から更新契約書を出した。

直哉の表情が、ようやく変わった。

「それは組織再編だ。来期から修復部門をブランドへ統合する。窓口が2つあると顧客が混乱するからな」

「佐原修復室は私の個人事業よ」

「分かってる。だから契約を更新するんだろ。実務は今までと変わらない」

「名前だけ消える?」

「もう職人個人を前に出す時代じゃない。チームとして見せたほうが仕事は広がる。紗季は作業に集中できるし、悪い話じゃない」

私の仕事から名前を外し、麻里奈を修復監修として載せる。それを、私のためだと言う。

「報酬も下がってる」

「固定分が減るだけだ。案件数が増えれば、出来高で今より上がる」

「写真と工程記録を、会社が期限なく使えることになってる」

「広報に必要だからだ」

「私物も?」

「細かい条件は事務に聞いてくれ」

直哉は椅子から立ち上がった。もう話は終わったという合図だった。

「今夜は寝よう。契約のことは来月までにゆっくり決めればいい。麻里奈のことも、落ち着いてから話す」

私の肩へ手を伸ばしかける。触れられる前に、椅子を引いた。

「署名はしない」

直哉の手が止まった。

「今日はそう思ってるだけだ」

「違う。内容を確認するまでは、署名しない」

「紗季の仕事は継景から来てるんだぞ」

「継景の修復は、私がしてきた」

声を荒らげたわけではない。それでも直哉は、初めて聞いた言葉のように私を見た。

私は契約書を封筒へ戻し、ダイニングを出た。

寝室には行かず、自宅を出て、継景本社ビルへ向かった。

修復室の隣にある小さな休憩部屋で夜を明かした。

直哉と出会ったのは、私が26歳のときだった。

小さなギャラリーで、金継ぎを終えた器を持ち主へ返しているところを、直哉が見ていた。割れた器を漆でつなぎ、傷を金の線として残す。

壊れる前と同じに見せるためではなく、思い出のある器を、これからも使い続けるための修復だ。直哉は器そのものより、受け取った持ち主の表情に興味を持った。

「割れたものが戻ってきたとき、人ってあんな顔をするんだな」

その言葉が、うれしかった。

私の手元だけでなく、その先にいる人を見てくれる人だと思った。

結婚して3年後、直哉が継景を作ると言いだした。営業や経営が苦手な私の代わりに仕事を広げる。

修復を一部の愛好家だけでなく、もっと多くの人へ届ける。ふたりならできると、目を輝かせていた。

開業資金を工面するため、私は祖母から譲られた小さな土地を売った。

会社の株は受け取らなかった。佐原修復室は継景本社ビルの一室を借り、賃料も私が払った。継景とは、業務委託で仕事を受ける別の事業者。

そうして対等につながればいいと思っていたからだ。あのときの私は、署名する相手を疑わなかった。

午前5時過ぎ、休憩部屋のソファから起き上がった。

修復室は継景の建物の奥にあり、窓際の作業机を囲むように、乾燥棚と鍵付きの保管棚が並んでいる。

修復室の窓を開ける。まだ薄暗い空気が入り、乾燥棚の紙札がかすかに揺れた。

棚には、持ち主から預かった器が17点ある。欠けたカップ、取っ手の外れた急須、3つに割れた鉢。どれも名前ではなく管理番号を付け、受け取った日と状態を記録していた。

この部屋では、直哉の言葉より記録のほうが確かだった。

午前9時、千夏が来た。

目の下に薄くくまがある。昨夜、ほとんど眠れなかったのだろう。

「おはようございます。あの、昨日のこと……」

「先に契約を確認したい。千夏さんも一緒に見てくれる?」

「はい」

机に今年の契約書と更新案を並べた。赤鉛筆で違う箇所へ線を引いていく。

固定報酬の減額。

修復室名の非表示。

工程記録と画像の利用範囲拡大。

会社の広報方針に従うという条項。

「これ、昨日初めて渡されたんですか?」

「そう」

「来月末で今の契約が終わるのに」

千夏はページを戻し、日付を確かめた。彼女は不安になると、確認事項を順番に口にする。

「更新案の作成日は、先月12日。広報部の確認が18日。代表承認が20日。佐原さんへの提示が、昨日」

「私に考える時間を与えたくなかったのかもね」

自分で言うと、赤い線を引いた契約書が急に重く見えた。

昨夜まで、直哉が仕事では私を裏切らないという思いが残っていた。麻里奈を妻と呼んだのは許せなくても、7年間一緒に育てた仕事まで奪うとは、まだ信じたくなかった。

契約書は、私の未練より正直だった。

「佐原さん、どうするんですか」

「今ある仕事を確認する。どの器を、いつ預かって、誰が何を約束したか。まず、それを間違えないようにする」

「更新は?」

赤鉛筆を置いた。

「しない」

口にした瞬間、怖くなった。

継景から仕事が来なくなれば、来月からの収入はほとんどなくなる。この部屋の賃料も、漆や金粉の仕入れも、千夏への給与も払えないかもしれない。

直哉はその恐れを知っている。だから、私が最後には署名すると信じている。

千夏は黙って今年の契約書を閉じた。

「私、保管台帳を出します」

「千夏さんの雇用まで巻き込むことになる」

「それは、確認してから考えます。佐原さんが、確認してから決めたように」

彼女は棚へ向かい、厚い台帳を両手で運んできた。

1時間ほどかけ、預かり品を1点ずつ確認した。

棚の位置、状態、納期、持ち主の希望。午前10時を過ぎたころ、記録と現物に最初の食い違いを見つけた。

管理番号ではなく、私物として登録している欄だった。

【白椿茶碗 佐原紗季所蔵】

保管場所は、奥の鍵付き棚。

椅子から立ち、棚を開けた。

白い布を敷いた箱は、そこにある。ふたを持ち上げる。

中は空だった。

「千夏さん。白椿の茶碗、動かした?」

彼女はすぐに首を横へ振った。

「私物は触ってません。移動記録もありません」

継景の公式サイトを開いた。トップページに昨日の記念イベントの記事が掲載されていた。

壇上で笑う直哉と麻里奈。その下に、白椿の茶碗の写真がある。

記事の見出しは、こうなっていた。

【麻里奈が受け継ぐ、継景の原点】

私の名前だけでなく、母の茶碗まで、もう彼女の物語にされていた。

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