로그인玄関のドアが閉まる音を聞いて、一気に緊張が緩む。和彦は安堵の吐息を洩らすと、次に鷹津を睨みつけた。
「南郷を挑発してどうするんだ」「俺が相手をしなかったら、あいつはネチネチとお前に絡み続けたぞ」「だからといって――……」 鷹津と長嶺組は、反目しつつも利用し合うという関係を築いているが、だからといって同じ手法が他の組織に通じるとは限らない。特に、手駒が多いであろう総和会には。南郷のあの余裕は、たかが一介の刑事など恐れていないという自信の表れだ。だからこそ、その南郷を挑発したあとのことを考えると、和彦は空恐ろしくなるのだ。 和彦の側にやってきた鷹津が顔を覗き込んでくる。揶揄するようにこう声をかけてきた。「なんだ。俺の心配をしてくれてるのか?」「……あんたを狂犬だと、よく言ったものだと感心していたんだ。誰彼かまわず噛みつく」 鷹津が左手で頬に触れてこようとしたので、その手を邪険に振り払う。すかさずその手を握り締められた。「―** 組員二人が乗った車が走り去る光景を、和彦は玄関前に立って眺める。 てっきり一泊して帰るものだと思っていただけに、リビングで三田村とわずかな時間話しただけで、車に引き返す姿を見て驚いたのだ。この別荘には離れがあるため、組員二人が宿泊したところで、手狭になることも、存在が気になることもない。それでも慌ただしく帰っていったということは、賢吾に厳命されているのかもしれない。 もしくは、組員たちが気をつかってくれたのか――。「……余計な手間をかけさせたみたいだな……」 和彦がぽつりと洩らすと、車を見送って戻ってきた三田村にこう言われた。「そんなことを言われたら、夜中だろうが遠慮なく先生を叩き起こして、仕事をしてもらっている俺たちの立つ瀬がない。先生にゆっくりしてもらうためだ。あいつらも、手間どころか、先生を休ませてやれると、ほっとしているさ」「ぼくにつき合わされるあんたも同じ気持ちか、気になるところだ」 いつもの三田村であったなら、誠実で優しい言葉で応じてくれるはずだ。だが今日は、違った。 ふっと表情を曇らせた三田村が、らしくなく視線を逸らす。「先生のバッグを、二階に持っていこう。部屋はもう整えてある」 目の前を通り過ぎた三田村の背を、訝しみながら和彦は見つめる。三田村の様子が、明らかにおかしかった。いつもであれば、こちらが気恥ずかしくなるぐらい、真摯で優しい眼差しを向けてくれる男が、和彦を直視しようとしないのだ。「三田村――」 階段に足をかけようとした三田村に声をかけようとしたところで、外で車のエンジン音がした。和彦は足を止めて振り返る。「まさか、総和会からつけられた護衛の人間……」「俺よりも早く来て、いろいろと準備をしてくれていたようだ。先生と親しくしているということで、つけられたんだろ」 総和会から派遣された護衛は、もしかして南郷ではないだろうかと身構え――怯えていた和彦だが、三田村のその言葉を聞き、それは杞憂だったと知る。 ほっとすると同時に、玄関の扉の
** 連休初日から慌ただしいと、後部座席のシートに体を預けた和彦は、ほっと息を吐き出す。 賢吾に言われるまま、数日分の着替えなどを急いでバッグに詰め込み、急き立てられるように車に押し込まれたのだ。 じっくりと服を選ぶ余裕もなく、和彦の今の格好は、ジーンズとTシャツ、かろうじて掴んできたジャケットという軽装だった。車で移動するだけなので、ある意味、正しい選択だったかもしれない。 業者の到着を部屋で待つという賢吾とは、玄関前で別れた。長嶺組組長という多忙な身でありながら、〈オンナ〉の部屋にまで気を配らないといけない立場というのは、少しは同情してもいいのかもしれないが、和彦の連休の予定をすべて無視してくれたことで、差し引きゼロといったところだ。 もっとも、台無しにされたといって怒るほど、立派な計画を立てていたわけではないのだが――。 和彦はわずかにウィンドーを下ろす。外は雲一つない晴天で、初夏らしく気温は高いが、車内に吹き込んでくる風は爽やかだ。ドライブ日和ともいえ、こういう日に自分で運転をして、好きなところに出かければどれだけ気持ちがいいだろうかと、つい想像してしまう。 ただ最近は、運転は組員任せが当たり前になってしまい、かつてほど自分で運転してみたいという衝動が薄れた気がする。 朝食を抜いたこともあり、途中、目についた店に立ち寄って早めの昼食をとった以外では、車はひたすら走り続ける。観光地巡りが目的ではないので、これは仕方ないだろう。連休ということで、めぼしい場所はどこも混雑しているため、そもそも車を停めてもらう気にもならない。 賢吾や千尋が同乗していないということもあり、組員に許可をもらった和彦は、ウィンドーを全開にする。 スモークフィルム越しではない景色をしっかりと目にすることができて、それだけで非常に満足だ。「普段の送り迎えのルートだと、先生には息苦しい思いをさせていますからね」 そう声をかけてきたのは、助手席に座っている組員だ。和彦の護衛として、クリニックの送迎もほぼ彼が務めているため、そのことを言っているのだ。 和彦は風で乱れる髪を掻き上げ、笑いながら応じる。「決まっ
護衛と聞いて、まず和彦が思い浮かべた男の存在を、賢吾は察したのかもしれない。「今の先生の表情を見て思い出した。――そろそろ、俺への隠し事を話す気になったか?」 大蛇の化身のような男の追及を、これ以上避けることはできない。いつかは、打ち明けなければならなかったのだ。 それにしても朝から重い話題だと、そっとため息をついた和彦は、慎重に言葉を選んで打ち明ける。「……この間、総和会からの仕事で治療に行って、患者が目を離せない状態だったから、詰め所のような部屋で一泊したんだ」「ああ、そんなことがあったな。報告は受けている」「その部屋で休んでいて……、誰かに、体を触られた」「『誰か』、か?」 冷然とした賢吾の声に、和彦は体を強張らせる。危うく、ある男の名を口にしそうになったが、寸前のところで堪える。賢吾の、静かな――静かすぎる反応を間近で感じていると、とてもではないが言えない。 獲物に狙いを定めた大蛇が、身を潜める光景が脳裏を過ったからだ。一度身を起こしてしまうと、獲物の四肢を引き千切る残酷さと、容赦のなさを発揮する。「顔は、見ていない……。触られただけだから、騒ぎにしたくなかったんだ」「長嶺の男たちが大事にしているオンナに手を出すなんざ、ずいぶん度胸のある男だな。単なるバカの命知らずか、それとも、長嶺を……俺を恐れないだけの後ろ盾を持っているのか――」 まるで独り言のように話しながら、賢吾の手に頬をくすぐられる。その感触が優しいからこそ、和彦はあることを本気で危惧し、たまらず忠告していた。「……ぼくのことで、誰かと揉めたりしないでくれ。前に聞いたことがあるんだ。ぼくと会長のことで、長嶺組と総和会の関係が微妙になっていると。それが事実かどうかはわからない。だけど、今回のことが原因で、本当に総和会との関係がこじれたら……」「他の奴が言ったなら、自惚れるなと鼻先で笑う台詞だが、先生が言うと、シャレにならねーな。一年ちょっと前なら、長嶺組の世間知
普段から組員が出入りし、何かと世話を焼いてくれているため、自分が知らないところで他人が部屋に入ることに抵抗はない。ただ和彦が驚いたのは、賢吾の周到さだ。つい数日前に食事をしたときは、何も言っていなかったし、匂わせもしていなかった。「それはかまわないが……、どれぐらい時間がかかるんだ? 夕方ぐらいまでなら、ぼくは外で適当に時間を潰しているが」「残念だな。ガラスやドアをひょいっと入れ替えるだけじゃねーんだ。バルコニーに面した窓には特殊ガラスを入れるが、これが、厚みがあってな。今のサッシにハマらないそうなんだ。だから、サッシそのものを替える。ちょっとした改装工事だな」「……つまり、一日じゃ終わらないということか」 肯定するように賢吾の息遣いが笑った。 賢吾が決めたのなら、和彦は文句を言うつもりはない。和彦の身の安全のためだというなら、なおさらだ。ここまでしなければならない状況というのは怖くもあるが、逃げられないのなら、受け入れるしかない。 連休が始まったばかりだというのに慌ただしいなと、そっとため息をつこうとしたとき、さらに賢吾が驚くべき発言をした。「工事の間、本宅に泊まればいいと言いたいところだが、せっかくの連休中、いつもと変わり映えのしない過ごし方もつまらんだろう。だから、オヤジに話をつけて、別荘を押さえた。冬に一度、先生も行ったことがある別荘だ。今は気候もいいから、のんびりと過ごせるぞ」 和彦は目を丸くして、まじまじと賢吾の顔を見つめる。やや呆れつつ、こう言っていた。「人の貴重な休みを、なんだと思ってるんだ。なんでもかんでも、ぼくに相談もなく勝手に決めて……」「気に食わんか?」「忙しいあんたが、ぼくのためにあれこれ気を回してくれることは、ありがたいと思う。だけど、少しぐらいはこっちの都合を考えてもいいだろ」「生憎、俺は仕事があって、動けん。だからこそ先生の都合を考えて、三田村を護衛につけるんだが、それも嫌か?」 あっ、と声を洩らした和彦は、次の瞬間には顔をしかめる。「――……喜ぶ顔も
そう皮肉を言い置いて、鷹津がリビングを出ていく。他人のことは言えないだろうと思いながら、鷹津の背を見送った和彦だが、ふと、あることを思い出して、慌ててあとを追いかける。しかし、鷹津の姿は玄関のドアの向こうに消えるところだった。 靴を履いて追うべきだろうかと逡巡している間に、すっかりタイミングを失う。和彦は軽く息を吐き出すと、くしゃくしゃと自分の髪を掻き乱す。 思い出したのは、実に些細なことなのだ。 何日か前に、賢吾と一緒に夕方の街を歩いているとき、和彦は鷹津を見かけた気がした。鷹津も、こちらを見ていたように感じ、ただそのことを確認したかっただけだ。見間違いかもしれないし、仮に鷹津がいたとしても、何か問題があるわけではない。 次に会ったとき、覚えていれば聞けばいい。その程度のことだ。 忘れている確率のほうが遥かに高いだろうが、と心の中で呟いて、和彦はキッチンに向かう。 南郷は苦手だが、だからといって花に罪はない。可憐な花に相応しい花瓶で活けてやろうと思いながら、ワイシャツの袖を捲くり上げた。**** 寝返りを打った拍子に、指先に硬い感触が触れた。和彦は夢うつつの状態で、これは一体なんだろうかと、緩慢に思考を働かせる。 いよいよ連休に突入するということで、夜更かしをする気満々だった和彦は、ハードカバーのミステリー小説をベッドに持ち込んだのだ。眠くてたまらなくなったにもかかわらず、続きが気になって仕方なく、目を擦りながら読んでいたのだが、本を閉じた記憶がない。 指先に触れる感触は、その読みかけの本だと見当をつけ、安心したところで再び意識を手放そうとする。が、叶わなかった。 前触れもなく、まばゆい光が瞼を通して目に突き刺さる。和彦は低く呻き声を洩らすと、もぞりと身じろいで布団に頭まで潜り込む。一体何事かと、目を閉じたまま考えたが、心当たりは限られる。 睡眠を中断された不満を小声で洩らし、渋々布団から顔を出す。薄暗かった室内は、すべてのカーテンを開けられたおかげで、清々しい陽射しが満ちていた。「――連休初日にふさわしく、今日は天気がいいぞ、先生。五月晴れという
玄関のドアが閉まる音を聞いて、一気に緊張が緩む。和彦は安堵の吐息を洩らすと、次に鷹津を睨みつけた。「南郷を挑発してどうするんだ」「俺が相手をしなかったら、あいつはネチネチとお前に絡み続けたぞ」「だからといって――……」 鷹津と長嶺組は、反目しつつも利用し合うという関係を築いているが、だからといって同じ手法が他の組織に通じるとは限らない。特に、手駒が多いであろう総和会には。南郷のあの余裕は、たかが一介の刑事など恐れていないという自信の表れだ。だからこそ、その南郷を挑発したあとのことを考えると、和彦は空恐ろしくなるのだ。 和彦の側にやってきた鷹津が顔を覗き込んでくる。揶揄するようにこう声をかけてきた。「なんだ。俺の心配をしてくれてるのか?」「……あんたを狂犬だと、よく言ったものだと感心していたんだ。誰彼かまわず噛みつく」 鷹津が左手で頬に触れてこようとしたので、その手を邪険に振り払う。すかさずその手を握り締められた。「――やけにあの男と会話が弾んでいたな」 思いがけない鷹津の発言に、和彦は眼差し同様、刺々しい声を発する。「それは、皮肉で言っているのか?」「いや、本気で言っている。俺の知らないところで、南郷と何かあったみたいだな。傍で聞いていて、ムカついた」 南郷との間に、『何か』は確かにあった。だが、口には出せない。理由の一つは単純で、盗聴器を通して、長嶺組の男たちに知られるからだ。その男たちは、賢吾に隠し事は絶対にしない。すべて、報告される。 そして今、和彦の目の前にいるのは、蛇蝎の片割れである、鷹津だ。 すでに複数の男たちと同時に関係を持っている身でありながら、いまさら体に触れられたぐらい、と鷹津に言われたくなかった。事実ではあるが、きっと自分は屈辱感に苛まれると、和彦には予測できる。 さらに、鷹津が南郷への敵意を募らせる状況を恐れてもいた。 揉め事を恐れて二人を部屋に上げたのだが、予想以上に険悪さが増した状況に、和彦は後悔を噛み締める。南郷が気を悪くしようが、迂闊に花束など受け取るべきではなかったのだ
和彦が喉を反らして呻き声を洩らすと、唇を割り開くようにして指を含まされ、舌を刺激される。 ヌチュッと湿った音を立てて、内奥深くに逞しいものを呑み込まされていた。重々しく突き上げられて和彦の体を駆け抜けたのは、嫌悪感ではなく、爪先から頭の先まで駆け抜けるような肉の悦びだった。口腔から指が引き抜かれ、声が抑えられない。「あっ、あっ、やめ、ろ――……。こんなの、嫌だ……」「体は嫌がってない。尻に入れられた途端、涎の量が増えたぜ、先生。知らない男のものだとは言っても、具合のいい道具だと思えば、抵抗は少な
「俺に捨てられたくない、というふうに聞こえるな、その言葉は」「耳がおかしいんじゃないか」 減らず口、と呟いた賢吾が、少し手荒に和彦の髪を掻き乱す。「――俺は、先生を捨てるつもりも、気に障ったからといって傷つけるつもりもない。ヤクザは手品師じゃないからな、簡単に死体をパッと消せるってわけじゃないんだ。死体の始末は、おそろしく手間と時間がかかる」 よく考えてみれば怖い発言なのだが、なぜだかこのとき、和彦は込み上げる笑いを堪えられなかった。 くくっ、と声を洩らして笑うと、賢吾も目元を和らげる。「俺は先生を汚したくない。俺の
「今日は、お仕置きじゃないぜ? 先生に対するご褒美だ。先生も三田村も忙しい中、楽しむ時間を作ってやったんだ」「だからあんたは、性質が悪いと言うんだっ……」 どれだけ和彦と三田村が密やかに関係を深めても、それは賢吾の許しがあってのものだ。そのことを忘れないよう、賢吾はこんな形で思い知らせようとしている。もちろん、和彦も三田村も拒めないのを承知のうえで。 和彦の上から賢吾が退き、三田村が呼ばれる。まるで機械のように無機質な動作で三田村がのしかかってきたが、蕩けた内奥の入り口に押し当てられたものは、熱く硬く張り詰めている。
本人が言う通り、秦の額にはじっとりと汗が滲んでいた。折れた肋骨どころか、全身が痛くてたまらないのだろう。「……中嶋くんが鎮痛剤を買ってくるまで、黙っていろ。市販のものだから、そう強い効き目は期待できないだろうが、少しは楽になる――」 秦の右手が後頭部にかかり、和彦は全身を強張らせる。ゆっくりと頭を引き寄せられると、逆らえなかった。それどころか、秦の胸に体重をかけないよう、必死にベッドに手を突いて自分の体を支える。 これは、和彦の優しさでもなんでもない。患者に対する医者としての当然の気遣いだ。そこを秦は逆手に取った。