LOGIN16歳の誕生日。私は自分へのご褒美に、一番おいしいケーキを買ったんだ。 でもその日、ケーキに手をつける前に、喧嘩ばかりしていた両親は私の目の前で離婚届に判を押した。 だから結婚した日、私は夫の松田宏樹(まつだ ひろき)に、「もし離婚したくなったら、誕生日ケーキを贈ってくれればわかるからね」と言った。 宏樹は私を抱きしめて、「安心して。もう、うちで『誕生日』なんて言葉は二度と出てこないから」と言ってくれた。 7年後、宏樹の誕生日に、若い新入社員が内緒で誕生パーティーを企画した。しかし、宏樹は、彼女の顔をひっぱたいて、会社から追い出してしまった。 あの日、私はこの人を選んで本当に良かったって、心の底から思ったんだ。 そして3ヶ月後、私の誕生日に、追い出されたはずの若い新入社員が、いつの間にか夫の秘書になっているのを、私はその時初めて気づいた。 彼女は、私のところにわざわざ特別な誕生日ケーキを届けてきた。 私が電話で宏樹に問いただすと、彼はただ冷たくこう言った。「遥も良かれと思ってやったことなんだ。水を差すようなことはするなよ」 私は一瞬、言葉を失って、そのまま電話を切った。 やっぱり、両親は間違っていなかったんだ。誕生日ケーキっていうのは、離婚届と一緒に味わうものなんだって、私はやっとわかった。
View More「離婚したくないんだ、優香。なあ、一度だけでいいから、俺を許してくれないか?君の気に入らないところは、全部直すからさ。会社にとっても、俺にとっても、君が必要なんだ」必死に訴えかけてくる宏樹を見ても、私の心は少しも揺れなかった。「でも、私が一番あなたを必要としていたとき、あなたは遥さんのところへ行ったのよ。もうあなたへの愛情はないわ。これ以上、協力することもない。これ以上つきまとうなら、警察を呼ぶから。今の私は国のために重要な仕事をしているのよ。どうなるか、わかるでしょ?」私はそう言い捨てて、足早にその場を去った。涙を誰にも見られたくなかったから。結婚して10年。私に対する宏樹の態度は、どんどん適当になっていった。私は仕事で忙しい宏樹を理解しようと努めていたのに、彼はこっそり他の女と浮気していた。我慢すればするほど、宏樹からの仕打ちは酷くなるばかりだった。……宏樹は、どうしても離婚したくないとごね続けていた。彼は、離婚協議書の署名は自分の意思でしたものではないと、裁判を起こしたのだ。それで、離婚の話も滞ってしまった。私が毎日浮かない顔をしているのを見かねて、勇太が研究院を通して宏樹に圧力をかけてくれた。宏樹自身は離婚したくなくても、会社が彼のわがままを許さなかったのだ。研究所が圧力をかけてくれたおかげで、宏樹はようやく離婚に同意してくれた。そして、プロジェクト707も正式に始まった。それからの5年間は、毎日がとても充実していた。私も、翔と正式にお付き合いを始めた。彼と私は、本当に相性が良かった。あらゆる面で、お互いを補い合えた。翔といると、これまで経験したことのない幸せを感じることができた。プロジェクトが終わると、私たちはまとまったボーナスを受け取った。気分転換に、昔住んでいた街に戻ってみることにした。でも、街の様子はすっかり様変わりしていた。かつては勢いのあった松田グループの本社ビルも、今では別の新興企業のものになっていた。ある交流会で、私たちは宏樹と再会した。彼は、必死に周りの人に媚を売って取り入ろうとしていた。見るからに、あざとい商売人みたいな雰囲気が漂っている。いつもブランド物のスーツを着てたのに、今、身につけてる服は、なんだか古ぼけて見
……「優香さん、ぼーっとしてないで。こっちに来て果物でも食べなよ」先輩たちの声で、私ははっと我に返った。私は急いで個室の中へ向かった。テーブルを囲んでいると、ふと翔と目が合ってしまった。途端に顔が熱くなるのを感じた。彼がこんなにかっこいいなんて、今までどうして気づかなかったんだろう。歓迎会が終わると、勇太は私を医薬研究院まで案内してくれた。「プロジェクトは一週間後からだ。それまでの数日間は、翔に君の案内を頼んでおいたから、研究院の環境に慣れるといい」「はい、わかりました」私を見送った後、勇太はもどかしそうな顔で翔を見ていた。「好きな子にはもっと積極的にいかんか。もう何年も経つのに、いつまでも奥手じゃだめだぞ。俺がこうしてチャンスを作ってやったんだから、あとは自分で掴め」よく見ると、翔の口角が微かに上がっていたのがわかっただろう。「はい。今度こそ、彼女を俺のそばから離しません」その頃、宏樹はソファにぐったりと座り込んでいた。スマホに届いた秘書からのメッセージが、彼の虚ろな目に光を灯した。【社長、奥さんは医薬研究院にいらっしゃいます】宏樹は秘書に航空券を手配させると、床に落ちていた上着を拾い上げ、空港へと急いだ。彼にばったり会ったのは、私が翔と一緒に外での調査から戻ってきた時だった。私たちが楽しそうに談笑しているのを見て、宏樹は怒りを爆発させた。彼は見るなり翔に殴りかかった。「友達だと思っていたのに、俺の妻に手を出すとは何事だ!」翔は鼻で笑うと、軽蔑したような顔を向けた。「誰がお前の友達だ。優香さんのためじゃなかったら、お前みたいなクズと付き合うわけないだろ」私は急いで翔をかばうように後ろに立たせ、宏樹に向かって叫んだ。「いい加減にして!」宏樹はそれでようやく拳を下ろしたが、今度は私を掴もうと手を伸ばしてきた。「行くぞ、俺と帰るんだ」「どこに帰るのよ。私たち、もう離婚するんだから!宏樹、離して!」抵抗しても無駄で、私は宏樹に引きずられるしかなかった。翔がさっと前に出て、私の腕を掴む宏樹の手を掴んだ。その声は鋭かった。「彼女が離せと言っているのが聞こえないのか?」翔の手に、ぐっと力が込められていく。しばらく睨み合った後、宏樹の方が先に手を離した。
勇太は、わざと怒ったふりをした。「まったく、君は。俺が会いたくて迎えに来てやったのに、からかうなんてひどいじゃないか」勇太が間に入ってくれたおかげで、私と翔との間の気まずい空気が少し和らいだ。翔との間には、ちょっとした誤解があったのだ。あの頃、彼は宏樹と同じ寮の部屋だった。私は人に頼んで宏樹の机に手紙を置き、学校の講堂に来てくれるよう伝えてもらった。告白するつもりだった。ところが、手紙を届けた人が机を間違えてしまった。そして、翔の机の上に置いてしまったのだ。よりによって、翔がその約束の場所に現れて、しかもめっちゃ早く着いてたんだから。その時、私は自分で書いた告白の原稿を読んでて、もう真ん中くらいまで進んでいた。相手の名前は冒頭に書いていたから、翔には、私が宏樹への手紙を読んでいるとは分からなかった。私が一方的に喋り続けて、やっと最後のところまで来た。「だから、私の彼氏になってくれる?」私の後ろに立っていた翔が、すぐに答えた。「いいよ」その返事に、背を向けていた私は飛び上がるほど驚いた。振り返ると、翔が手にしていたのは、私が書いたピンク色の封筒だった。私がまるで幽霊でも見たかのようにビクッと後ずさるのを見て、翔も不思議そうな顔をした。私はとっさに、床に落ちていた原稿を隠そうとした。でも、彼に見られてしまった。【宏樹、好きだわ】翔がじっと見つめてくるので、私は気まずい思いで説明するしかなかった。「あの手紙、たぶん、届けた人が間違えちゃったみたいで……」翔は鼻で笑うと、手紙を床に投げ捨てた。「次からは……手紙の冒頭に、ちゃんと相手の名前を書くことだな」でも、手紙が間違って届けられるなんて、分かるわけないじゃない。あの時の光景は、今でもはっきりと目に焼き付いている。あの時の翔は、怒りで顔色が変わっていた気がする。レストランへ向かう道中、話していたのはほとんど私と勇太だけだった。翔は、時々、相槌を打つくらいだった。個室へ向かうと、先輩たちが次々と心のこもったプレゼントを渡してくれた。こんな温かい雰囲気を味わうのは、本当に久しぶりだった。少しお酒が進んだころ、私は一度トイレに立つことにした。トイレから戻る途中、先輩たちが大きなケーキを運んでいるのが見え
「宏樹さん……」その言葉を最後まで言えずにいると、宏樹はもう行ってしまった。遥は、去っていく男の後ろ姿を、憎しみに満ちた目で見つめていた。車に乗り込んだ瞬間、宏樹はデパートの大型スクリーンに映る私に関するニュースを目にした。先生たちが、私を歓迎するために特別に手配してくれたものだ。「優香、これくらい派手にした方が格好がつくだろ。俺に任せておく」あまり目立ちたくなかった私は、苦笑いを浮かべるしかなかった。【科学研究班、新任研究員――松田優香(まつだ ゆうか)】スクリーンの中で生き生きとしている私の姿に、宏樹は呆然と立ち尽くした。あんなにも生命力に溢れていた私は、彼の記憶の中にしか存在しないはずだったのに。勇太はあくまで私の参加を歓迎してくれただけで、プロジェクトの内容については公には何も触れなかった。あれは、国家の機密プロジェクトなのだ。宏樹はよく知っている。勇太が関わるプロジェクトは、少なくとも数年はかかるものばかりだ。そして、プロジェクトの途中で家に帰ることは許されない。そう考えた途端、宏樹は苛立ちからアクセルを強く踏み込んだ。私がまだ家で荷造りをしていることを、彼は期待していた。ドアを開けるなり、宏樹は真っ先に玄関の靴箱に目をやった。一足も減っていないのを見て、彼の焦燥感は少しだけ和らいだ。実際、私はあの家の物を一つも持ってきていなかった。家にあるものは、多かれ少なかれ宏樹と遥の気配が染み付いているから。思い出すだけで吐き気がするような物には、触れたくもなかったのだ。宏樹は、探るように呼びかけた。「優香、いるのか?優香?」宏樹は家の中を、私の姿を探し回った。そして慌てて秘書に電話をかけ、私の行方を捜索させた。電話を切ると同時に、彼は部屋の明かりをつけた。そこに置かれたウェディングドレスの宝石が、光を受けてきらきらと輝いていた。宏樹の視線も、その輝きに吸い寄せられた。彼はこのドレスを目にした時、私が着ればきっと似合うだろうと思ったのだ。だが、うっとりと見惚れる間もなく、宏樹はその下に置かれた離婚協議書に気が付いた。色々な取り決め事項があったから、離婚協議書は分厚かった。そのほとんどは、私の特許権に関するものだった。私は財産分与を一切求めな