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あなたと永遠の別れを

あなたと永遠の別れを

By:  はんじゅくチーズCompleted
Language: Japanese
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婚約者に人前で結婚を破棄された翌日、私は飛行機に乗って江松市へ向かった。 彼は恋人を慰めながらこう言った―― 「早乙女清枝(そおとめ きよえ)は小さい頃から甘やかされて育った。少し騒げば自分で戻ってくるさ。君が気に病むことはないよ」 友人たちは、私がなおも墨谷基成(すみや もとなり)に未練を抱き、また何か騒動を起こすのではと恐れていた。 だが、私はすでに、別の人の求婚を受け入れていたことを彼らは知らなかった。 今回の江松行きは、嫁ぐための旅だったのだ。 結婚式が近づく中、私は基成からこれまで贈られた物を一つ残らず箱に詰めて送り返した。 かつて宝物のように大切にしていた、あの想い出のネックレスさえも。 これからは、時だけが流れ、あなたとは二度と交わらない。

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Chapter 1

第1話

墨谷基成(すみや もとなり)が人前で婚約破棄したあの光景を、私は今でも思い出すたびに顔が熱くなる。

宴会場は満席だったにもかかわらず、静寂に包まれていた。

まるで空気が凍りついたかのように、呼吸の音さえはっきりと聞こえた。

基成にしっかりと手を握られていた白河月美(しらから つきみ)が、しばらくしてからおそるおそる口を開いた。

「基成くん、やめて……清枝はまだ若いんだから……」

「若い?もうすぐ二十六だろ?」

会場の隅から皮肉な声が聞こえた。

ひそひそと交わされるささやきが、場の空気をさらに重苦しくする。

私は意地になって基成の服の裾を掴んだ。現実を受け入れたくなかった。

けれど、彼を見上げたときには、すでに目が潤んでいた。

「清枝、俺にそんな酷いことを言わせたいのか?」

基成はシャンパンを置き、ゆっくりと立ち上がった。

「何度言ったら分かる?俺たちは家同士の政略結婚に過ぎない。俺は君を愛していないし、これからも愛することはない」

「じゃあ、どうして私が恋愛することを許してくれなかったの?」

私は涙交じりに抗議した。

「君は俺の『名目上』の婚約者だからだ。くだらない真似をされて恥をかくのは、早乙女家と墨谷家なんだよ」

「じゃあ、卒業式の夜、どうしてキスしたの?」

基成の目に、一瞬だけ嫌悪の色が浮かんだ。

「酔っぱらって絡んできたのは君のほうだろう」

私は思わず笑った。でも、涙は止まらなかった。

「でも、この数年、あなたのそばに他の女の人は一人もいなかった。本当に、私に対して何の感情もなかったの?」

「それは、まだ本気で好きになれる女と出会っていなかっただけだ」

基成は月美の肩を抱いた。

「これが最後だ。よく聞け。

俺が好きなのは月美で、彼女と結婚する。

今までの君の小細工なんて、今回は全部通用しない」

月美は基成の胸に身を寄せて言った。

「基成くん……」

基成は彼女に顔を近づけて、キスをした。

月美も彼の首に腕を回し、情熱的に応えた。

私の婚約披露宴の場で、彼は何の遠慮もなく他の女と人前で愛し合っていた。

その瞬間、私は卒業式の夜の、あのキスを思い出した。

同じように情熱的で、同じように甘くて、私はあの夜の夢に、四年間も酔いしれていた。

彼の心には私がいると、信じて疑わなかった。

基成は墨谷家の本宅を出て行き、月美と共に、川沿いの高級マンションに引っ越した。

引っ越しの日、彼はわざわざ友人たちに私へ知らせないよう口止めしていた。

きっと、また私が騒ぎを起こすのを恐れていたのだろう。

けれど今回は、私はもう取り乱したりしなかった。

彼の会社のビルの前で泣きながら待ち伏せするようなこともなかった。

ただ、胸の奥がひりつくような痛みに襲われたあと、私は無理やり自分に言い聞かせた。

――もう忘れよう、と。

夜、数人の友人と近くの店で食事をしていたときのこと。

会計のタイミングで、偶然月美に出くわした。

「清枝、基成くんもここにいるの。挨拶していかない?」

私は穏やかに首を振った。

「ごめんなさい、友人と約束があるので……行かないわ」

すると月美の目に、ふいに涙がにじんだ。

「清枝、私、自分の家柄があなたほど立派じゃないことは分かってる。

でもね、お願いだから、目上の人の前で私の悪口を言わないでくれない?」

私は驚いて彼女を見つめた。

「白河さん、私はあなたについて、目上の人の前で何も言ったことはない」

月美は涙を浮かべて続けた。

「分かってるの。あなたは基成くんの許嫁だったし、彼のことをずっと愛していた。

急に私たちの関係を受け入れろと言われても、戸惑うのは当たり前だと思う。

でも、清枝、同じ女性として、譲り合う心を持ってほしいの」

私は昔から、思ったことをそのまま口にしてしまう性格だった。

この言葉を聞いた瞬間、思わず声を荒げた。

「白河、お願いだから適当なことを言わないで……」

言い終わらないうちに、月美の身体がふらりと揺れ、ひざまずいて崩れ落ちた。

「清枝、本当にお願い……」

私は驚いて、とっさに彼女を支えようとした。

けれど、手が触れる前に、彼女は全身の力を失ったかのように後ろへ倒れ込んだ。

「清枝、何をしているんだ!」

背後から基成の怒声が響いた。

次の瞬間、ものすごい力で私は突き飛ばされた。

腕が鉄の手すりに激しくぶつかり、鋭い痛みが体中を駆け巡った。

「基成、違うの、これはただの誤解で……」

「まだ言い訳するつもりか!こんな手口、いつまで続ける気だ!」

基成は月美を抱きしめ、私を睨みつけた。

その視線は、私の全てを否定するように冷たかった。

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第1話
墨谷基成(すみや もとなり)が人前で婚約破棄したあの光景を、私は今でも思い出すたびに顔が熱くなる。宴会場は満席だったにもかかわらず、静寂に包まれていた。まるで空気が凍りついたかのように、呼吸の音さえはっきりと聞こえた。基成にしっかりと手を握られていた白河月美(しらから つきみ)が、しばらくしてからおそるおそる口を開いた。「基成くん、やめて……清枝はまだ若いんだから……」「若い?もうすぐ二十六だろ?」会場の隅から皮肉な声が聞こえた。ひそひそと交わされるささやきが、場の空気をさらに重苦しくする。私は意地になって基成の服の裾を掴んだ。現実を受け入れたくなかった。けれど、彼を見上げたときには、すでに目が潤んでいた。「清枝、俺にそんな酷いことを言わせたいのか?」基成はシャンパンを置き、ゆっくりと立ち上がった。「何度言ったら分かる?俺たちは家同士の政略結婚に過ぎない。俺は君を愛していないし、これからも愛することはない」「じゃあ、どうして私が恋愛することを許してくれなかったの?」私は涙交じりに抗議した。「君は俺の『名目上』の婚約者だからだ。くだらない真似をされて恥をかくのは、早乙女家と墨谷家なんだよ」「じゃあ、卒業式の夜、どうしてキスしたの?」基成の目に、一瞬だけ嫌悪の色が浮かんだ。「酔っぱらって絡んできたのは君のほうだろう」私は思わず笑った。でも、涙は止まらなかった。「でも、この数年、あなたのそばに他の女の人は一人もいなかった。本当に、私に対して何の感情もなかったの?」「それは、まだ本気で好きになれる女と出会っていなかっただけだ」基成は月美の肩を抱いた。「これが最後だ。よく聞け。俺が好きなのは月美で、彼女と結婚する。今までの君の小細工なんて、今回は全部通用しない」月美は基成の胸に身を寄せて言った。「基成くん……」基成は彼女に顔を近づけて、キスをした。月美も彼の首に腕を回し、情熱的に応えた。私の婚約披露宴の場で、彼は何の遠慮もなく他の女と人前で愛し合っていた。その瞬間、私は卒業式の夜の、あのキスを思い出した。同じように情熱的で、同じように甘くて、私はあの夜の夢に、四年間も酔いしれていた。彼の心には私がいると、信じて疑わなかった。基成は墨谷家の本宅
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第2話
「清枝、早く彼女に謝って」「基成……」「黙れ。今すぐ謝れ!」月美は彼の胸の中で小さく震え、音もなく涙をこぼしていた。その姿は、見る者の同情を誘うほどに哀れだった。私の腕はすでに青黒く腫れ上がり、皮膚の下には内出血が広がっていた。目を背けたくなるような傷。けれど、基成は一瞥すらしなかった。彼の目に映る私は、まるで罪深き犯罪者のようだった。私は口元に苦笑を浮かべ、それ以上言葉を発さなかった。「ごめんなさい」基成はわずかに驚いたように目を見開いた。だがすぐに、その視線はより冷たく鋭くなった。「謝罪の気持ちが足りない」私は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。「これで……満足?」月美は私を見つめ、唇の端をわずかに持ち上げた。そしてすぐに泣き出しながら基成に訴えた。「もういいの、基成くん……こんな謝罪、受け取れるはずないわ」基成の表情は一変し、優しさを帯びた。「清枝、前にも言っただろう。月美は他の女とは違う。君が彼女を傷つけるほど、俺は君を嫌いになる。そして彼女を、もっと愛するようになる」そう言い残し、彼は月美を抱いたまま背を向けた。私はその場にひとり立ち尽くした。どれほどの時間が経ったのかも分からない。腕の痛みは針で刺されるように鋭かったが、心は驚くほど静かだった。やっと分かった。この瞬間、長年抱き続けてきた淡い夢想が、音もなく崩れ去った。すべてが幻だった。煙のように、あとかたもなく。その夜、基成はSNSにいくつも投稿をしていた。すぐに、彼の投稿がスクリーンショットで私の元に届いた。特にキャプション部分には赤線が引かれていた。皆が私に何を伝えたいのか、私はすぐに理解した。これまでなら、私はすぐに基成のもとへ駆けつけ、声を荒げて責め立てていた。彼はいつも嫌そうな顔をしていたけれど、最後には私に折れてくれた。だから私は、彼も私を気にかけているのだと錯覚していた。そしてその錯覚が、私の歯止めを失わせていた。だが今回は、私は沈黙を選んだ。代わりに、一週間前の不在着信にかけ直した。「陸田さん、私です。清枝です。以前お話しされていた件、もう考えがまとまりました」十三歳のとき、両親が事故で亡くなった。墨谷家とは昔から親しい付き合い
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第3話
「清枝、私と基成くんの婚約式には来てくれないの?」「あなたは基成くんの元婚約者だけど、彼はずっとあなたを妹のように思っていたわ。私はその義姉になる身として、あなたの祝福が欲しいの」私は遠くの姿に目をやった。彼は高級車のそばに寄りかかり、穏やかなまなざしを浮かべていた。その瞬間、胸の中に不思議と静かな感情が広がっていった。「ええ、二人が末永く添い遂げますように。心からお祝いするわ」基成は数人の友人とテラスで酒を飲んでいた。彼の視線はたびたび安芸たちのほうへ向けられる。彼女たちがまた清枝に何かを伝えに行ったことくらい、彼には手に取るように分かった。昔からそうだった。彼のそばに他の女性が現れれば、すぐに彼女たちは清枝に報せる。すると清枝は怒って駆けつけ、騒ぎを起こす。彼はそういう面倒が何より嫌いだった。そのうち、他の女性との関係も全て断つようになった。今回も、どうせ同じ結末になると思っていた。だからこそ、清枝が江松へ行く日を選んで婚約式を開いたのだ。ただ、少しばかりタイミングが悪かった。婚約式の開始は午後七時。基成は額を押さえ、少しばかり頭を痛めていた。清枝が情報を聞いてすぐに飛行機を取れば、ちょうど式に間に合ってしまうのだ。「基成、もし清枝が乗り込んできたらどうする?」「そうだよ、お前の元婚約者だし、他の女と婚約するって知ったら、間違いなく発狂するだろ」「でも最近、あいつやけにおとなしくないか?」「お前、白河のために婚約破棄までしたのに、あの子全然騒がなかったもんな」「前なら泣き叫んでたはずだろ」基成の手にあったワイングラスが空中で止まった。口に運ぶのを忘れていた。頭の中で、友人たちの最後の一言が繰り返されていた。――清枝は、確かに最近静かすぎる。あの子らしくない。彼はよく知っていた。あの子はそんな性格ではない。何度拒絶しても、決して諦めなかった。何度倒れても立ち上がる子だった。年齢を重ねて、少しは落ち着いたのかもしれないが――基成はふと何かを思い出し、微かに笑った。ワイングラスを置きながら言った。「見てろ。あいつが大人しく済ませるような子じゃないって、俺が一番よく知ってる」「基成、お前……清枝が騒ぎに戻ってくるってことか?」基成は
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第4話
清枝の奔放でわがままな性格とは正反対に、月美は貧しい家庭に育ったせいか、どこかおどおどしていた。話すときも、常に相手の機嫌をうかがうような口ぶりだった。あの頃――基成が最も苛立っていた時期、清枝にしつこく付きまとわれてうんざりしていた彼は、自然と月美の柔らかな物腰に心を惹かれていった。それに、過去の「近づいてくる女たち」とは違っていた。彼と月美の出会いは、偶然の「事件」から始まったのだ。男というものは、誰しもヒーロー願望を持っている。月美への想いは、それまでの気まぐれな関係とは一線を画していた。「清枝が戻ってきたって……聞いたの」月美はそう口にした途端、目元が赤く染まった。「……ちょっと、不安なの」唇を噛み、視線を落とす。「基成くん、私たち……本当に今日、婚約できるのかな……?」「余計なことは考えるな」基成は彼女の肩をそっと抱き、優しくなだめた。「俺がすぐに対処する」けれど月美は、彼のスーツの袖を掴んで放さなかった。「基成くん……怖いの。あなたが……彼女との婚約を解消したことを、後悔するんじゃないかって……」月美の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。華奢な身体で、今にも崩れ落ちそうなほど弱々しかった。「安心して、月美さん。お兄さんは清枝に一度だって本気になったことないから」安芸は目に得意げな色を宿し、冷ややかに言い放った。「清枝なんて、ただのわがままなお嬢様でしょ。すぐヒステリー起こすし、お兄さんもずっと我慢してただけよ。もう諦めたほうがいいわ」安芸の清枝に対する嫌悪感は、常に隠されていなかった。あの娘が兄と婚約したとたん、それまで彼女を可愛がっていた両親までもが、まるで未来の嫁として甘やかし始めた。表向きは「墨谷家の面子のため」と言っていたが、安芸はその態度が気に食わなかった。ここ数年、彼女の最大の楽しみは、清枝が恥をかくところを見ることだった。今、あの女は人前で婚約を破棄され、一人恥ずかしげに去った。安芸は、こんなに愉快な気分になったのは久しぶりだった。――誰が兄の嫁になっても構わない、あの女さえ除けば。だがその基成が、不意に安芸に視線を向けた。「君、あいつと仲良くしてなかったか?」「どうして仲良くできるっていうの?私は、早く二人が別れれば
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第5話
基成の胸の内には、かつての記憶が鮮烈に甦る。あの少女と出会った頃、二人の距離は誰より近かった。彼女が転んだときは、彼が抱き上げて病院へ走った。彼女がいじめられれば、真っ先に駆けつけて庇った。初めての生理に戸惑った夜でさえ、彼は店を探して必需品を買い集めた。彼女は幼い心で彼を絶対の拠り所とし、成長してからは、彼を世界のすべてだと信じた。自分も、あの無垢な依存を好ましく思っていた。いったい、いつから歯車が狂い始めたのか。月美のすすり泣きが現実へ引き戻す。そうだ、彼女が最初に変わったのだ。大人になるにつれ、家族の溺愛を受けてわがままになり、支配的で強情になった。自分が他の女性と接することを許さず、少しでも気に入らなければ声を荒げた。だからこそ、彼は次第に疲れ、距離を置いた。彼女の泣き叫ぶ引き留めも振り切り、あえて江松の学校へ送り出したのだ。​​​彼の願いはただ一つ――​彼女が成長し、分別を覚えてくれること。​​​あの怒りやすい性格さえ直れば、いつでも迎えに行くつもりでいた。​長年の情を、本気で手放すはずがない。異郷で独り放り出しておくなど、到底できない。なのに彼女は、よりにもよって今日という日に、再び好き放題に騒ぎを起こすつもりらしい。本当に手に負えない。基成は月美を抱き寄せ、柔らかく囁く。「少しメイクを直してきて。メイクさんに仕切り直してもらおう。こちらの手配が終わったら、すぐに迎えに行く。式は予定どおり始めるから、心配するな」彼女の涙を拭い、背を向けて歩き出した。月美はその場に立ち尽くし、基成の後姿を見送る。​​​なぜか、彼女の胸には拭いきれない不安が募っていた。​さっき安芸が言った通り――​​周りの誰もが、彼は本当にあの子を嫌っていると知っている。​​​なのに、たった数言のために、いとこを殴った。​​​​彼は本当に清枝を嫌っているの?​​それとも……心のどこかで、やはり特別だと思ってくれているの?館の正門へ向かった基成は、当の本人の姿を見つけられなかった。目に入ったのは、ピンク色のBMW――そして車の傍らに立つ、清枝の親友・林瑠奈(はやし るな)だけ。そうだ。この車は清枝が岡北を発つ前に友人へ譲ったはず――胸の奥で重い痛
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第6話
将来の夫に贈るつもり?その一言が胸に引っかかり、基成の心はざわついた。清枝が誰か他の男と――朝も夜も共に過ごし、寄り添い、人生を歩む?考えただけで、胸の奥から言いようのない不快感がこみ上げる。彼女はかつて、あれほどまでに自分を愛していたはずだ。なのに、他の男と結婚だなんて。姿を見せず、瑠奈に伝言を託した。その選択にも苛立ちが募る。まったく、彼女はこういうときだけ、妙に抜け目がない。「墨谷さん?」瑠奈の声に我へ返り、彼は冷ややかに言った。「清枝に伝えてください。一度渡したものは、俺のものだ。返すつもりはない。……だが、彼女が本当に望むなら、自分の口で言わせればいい」そう告げると背を向けたが、瑠奈がすぐに呼び止める。「待ってください。いま彼女に電話を繋ぐわ」冗談じゃない――と、瑠奈は内心毒づいた。清枝は間もなく新しい人生へ踏み出すというのに、その大切な指輪が元婚約者の手元にあるなんて、許せるはずがない。あの指輪を、結婚式で夫の薬指にはめてやりたい。それが彼女の願いであり、長年の想いの結晶でもある。長年にわたり、瑠奈の基成への嫌悪は日に日に増していった。​​しかし清枝はあろうことか、まったく道理をわきまえないほどに彼に夢中だった。​​​若さというはずの時間を浪費して待ち続け、結局は冷たく捨てられたのだ。​​​瑠奈は思い出すたび、基成の頬を張り飛ばしたくなるほどだった。​​​幸い、今では清枝もようやく現実を見据えることができた。​​​それどころか、さらに良い縁に巡り会えた。​​​心から友人の幸せを喜ぶ瑠奈―​―​今回の旅で、必ずや約束を果たそうと決意を新たにする。……「瑠奈ちゃん、どうしたの?」瑠奈からの電話を受けたとき、私はもうすぐ陸田家に到着するところだった。「清枝、彼に会ってきたけど……指輪、返してくれないの。あなたが本当に望むなら、本人が来いって」私は思わず、隣に座る周吾をちらりと見やった。胸の奥で小さな不安が騒ぐ。​​​私と彼はまだよそよそしい間柄だ。​​​穏やかで礼儀正しい風貌とは裏腹に、​彼の放つ気圧は圧倒的で、無視しようがない。​​​さきほど車内で仕事の電話に出た時のこと。​​三ヶ国語を自在に行き来し、​指示を下
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第7話
だからこそ、彼がその指輪を受け取ったとき、私はてっきり――この気持ちを、彼も受け入れてくれたのだと、そう思ってしまった。あの数年間は、本当にひどい夢のようだった。けれど今、その夢からようやく覚めた私は、せめて過去にけじめをつけたかっただけ。だからきっと、彼は喜んで――まるでゴミを捨てるように、あの指輪を返してくるだろうと思っていた。でも、まさか――あんなふうに言うなんて。そのときようやく気づいた。若さゆえの無謀な想いは、いつか必ず代償を払う日が来るのだと。あの指輪に特別な意味がなければ、もう返してほしいなんて思わなかった。けれど私はもうすぐ結婚する。それなのに、今もまだ基成の手元にあるなんて――周吾に申し訳が立たない。「何か困ってる?」ふいに、隣から声がした。私は驚いて顔を上げる。深く澄んだ瞳が、じっと私を見つめていた。胸の奥がざわめき、息が詰まりそうになる。隠しごとなんてしたくない――でも、まだそこまでの関係でもない。正直に話すには、少し距離がある気がして……。「ううん、大丈夫」私は首を振った。それでも、なんとしても取り戻すと心に決めた。最悪、墨谷おじさんに頼ることになっても。「ちょっと、墨谷家の方で片づけないといけない細かいことがあって」できるだけ軽い口調でそう言って、彼に笑いかけた。「でも大丈夫、私一人で何とかなるから」周吾はただ静かにうなずいた。「そう。でも、どうしても解決できないときは、清枝ちゃん……遠慮しないで言ってくれ。君はもうすぐ、僕の妻になる人だから」あまりにも自然に、そう言った。彼にそう呼ばれるのは、これが初めてではなかった。なのに――「妻」という言葉を聞いた瞬間、耳だけでなく、首筋までじんわり熱を帯びていく。私たちはもう婚約している。あと半月で、私は彼の妻になる。心の奥には複雑な想いが渦巻く。けれどそれと同時に、少しの期待と、ほのかな甘さが、静かに胸を満たしていた。彼の目を見ることができず、こっそり横目で見る。「……うん」私は小さく返事をした。周吾はそれ以上何も言わなかった。​​車は陸田家の別荘前に静かに停まった。​​彼は先に降りると、​私の側まで回ってきてドアを開けてくれた。​​ふ
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第8話
月美はすでにすべてのスタイリングを終えていた。だが、基成は依然として二階の控室にこもったままだった。月美はしばらく迷った末、やはり様子を見に行くことにした。控室の扉はわずかに開いていた。中から話し声が聞こえてくる。月美は足音を忍ばせ、そっと近づいた。「基成、清枝は本当に来ないの?」「今さら来たって、もう遅いよ」「基成、前から聞きたかったの。君は清枝のこと、どう思ってるの?幼なじみで、あんなに綺麗で純粋で、君のこと一途に想ってるのに」月美は思わず息を止めた。室内は長い沈黙に包まれた。やがて、基成がゆっくり口を開いた。「何も感じないよ。子どもの頃から決められた婚約なんて、とうにうんざりだ」基成は冷たく笑った。彼は清枝より三歳年上だった。二人の婚約が決まったとき、清枝はまだ中学生になったばかりだった。その後、清枝は見違えるように美しく成長した。基成は、彼女の卒業式の夜のことを思い出した。あのときの自分は、まるで狂っていた。あの柔らかな唇に、思わずキスしてしまった。彼女がくれた指輪も、つい受け取ってしまった。「でも、今の清枝って本当に目を引くよね」「うん、同じ界隈の男たち、みんな彼女を狙ってる」「先月のチャリティーパーティー、覚えてる?」「もちろん。あのロイヤルブルーのドレス姿で、オープニングダンスを踊ったじゃない」「ターンしたときにスカートがふわっと広がって…あれは本当に目が離せなかった…」基成は、もちろん覚えていた。あの晩の清枝は、とても嬉しそうだった。ずっと彼に話しかけてきて、新しく覚えたダンスのステップを得意げに披露していた。そのとき、月美が突然扉を押し開けた。「基成くん」彼女はシャンパンカラーのレースドレスに身を包んでいた。このドレスは、かつての基成の母親の写真をもとに特別に仕立てられたものだった。基成の母親は平凡な家の出で、自分の父親の治療費を稼ぐため、バーで働いていた。そこで起きたある事故の夜、基成の父親に命を救われた。この美談はいまも人々の間で語り継がれている。基成が何より誇りに思っているのは、両親のその愛の物語だった。おそらく、それゆえに――かつて月美を助けたとき、彼女に心惹かれたのだろう。今、
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第9話
周吾との結婚式は、二週間後に決まった。確かに、時間は非常に限られていた。だが、陸田家はこの結婚式に特別な思い入れを抱いており、何年も前から準備を始めていた。そのため、忙しい中でもすべては順調に進んでいた。理恵さんが教えてくれた。周吾は幼い頃、大病を患ったことがあるという。回復した後、陸田家は特別に高名な占い師を招いて彼の運命を占わせた。その結果、「二十八歳の六月までに結婚すれば、一生無事で順風満帆、出世する運命にある」と言われたそうだ。陸田家の人々は皆、非常に縁起や運命を重んじる。理恵さんが最初にこの縁談の話を電話でしてきたとき、すでに私と周吾の生年月日を照らし合わせ、相性を占っていた。そして「ふたりはまさに天が結んだ理想の組み合わせだ」と太鼓判を押されたのだ。だからこそ、私がこの婚約を受け入れたとき――陸田家の人々は心から喜んでくれた。数々の貴重な贈り物が届いた。中でも、私の心を打ったのは、周吾の祖母が遺した家宝のネックレスだった。周吾がそれを手渡してくれたとき――私は感動しつつも、申し訳なさを感じた。本来、彼に贈るべきものは、父がかつて母に贈ったあの指輪だった。だが今、その指輪は他人の手にある。私の気分が沈んでいるのを察したのか――周吾は私を庭園に誘った。「清枝ちゃん、元気がないみたいだけど?」彼は私を気遣うように、やさしく見つめてきた。私の首元には、ネックレスが穏やかな光を放っていた。その価値は、私の想像を遥かに超えるものだった。私は昔から、人に優しくされるのが苦手だ。誰かに親切にされると、その分返さなければという気持ちになってしまう。彼に贈るべきものを真剣に考えてみたが、どれ一つとして彼にふさわしいとは思えなかった。ただでさえ、罪悪感と気まずさで心がいっぱいだったところに――周吾のやわらかなまなざしを前にして、なぜだか分からないが、基成を諦めると決めたときも、二十年以上暮らした岡北を離れたときも、基成が指輪を返してくれなかったときも、私は一度も泣かなかったのに。このときだけは、堪えきれず涙があふれ出した。周吾は明らかに戸惑っていた。彼は物腰柔らかく、教養もあり、立ち居振る舞いも申し分ない名家の子息。だが、女の子を慰めることには不
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第10話
私はちょうど江松に来たばかりで、目立つようなことはしたくなかった。基成とのことにも、きちんと終止符を打たなければならない。岡北を離れるときはあまりに急だったため、家の使用人たちは私の持ち物をほとんどすべて、江松へと運んでいた。そこには、彼がこの数年間、私のために心を込めて選んでくれた贈り物も含まれていた。その中に一つ、限定版の宝石ネックレスがあった。それは私の十五歳の誕生日に、彼が自ら私の首にかけてくれたものだった。当時の私は、それを宝物のように大切にしていた。かつて気分が落ち込んだとき――そのネックレスを見れば、たちまち元気を取り戻せた。ネックレスのように肌身離さず持つ贈り物は、特別な意味を持つものだ。でも、ようやく私は気づいた。人が本当にあなたのことを好きではない場合。あるいは、その感情に一点の濁りがあるなら。たとえあなたが彼の婚約者であっても、それは、すべてが空虚なのだ。ましてや、物など何の意味もない。贈り物の数々をひとつひとつ整理しているとき、私の心は、驚くほど静まり返っていた。最後に、ジュエリーボックスが空になったとき、胸の中はかつてないほど軽くなっていた。ちょうどそれらを梱包して送ろうとしていたとき――スマホに数件の微信メッセージが届いた。牧場のスタッフからの連絡だった。私が飼っていたコーギーが病気になってしまったという。一日中ぐったりとしていて、食事も口にしないらしい。動画を見た瞬間、私は思わず目頭が熱くなった。スタッフは「きっと寂しがってるんですよ」と言った。私は以前、毎週のように会いに行っていた。でも今回は、もうずっと顔を見せていなかった。私はすぐに電話をかけた。「早乙女さん、ちょうど墨谷さんがこちらにいらっしゃいますので、代わってもらいますね」一瞬戸惑う私の耳に、基成の低く落ち着いた声が響いた。「清枝。あの犬を飼い始めたとき、君はどう約束したか、もう忘れたのか?」もちろん覚えている。墨谷家の家訓は、選んだペットには最後まで責任を持てというものだった。大切に育て、決して途中で放棄してはならない。「でも、私が江松を離れたのって……あなたが望んでたことでしょう?」「清枝」基成は冷たく笑った。「君がそんなに素直だ
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