俺はルイス・ヴィスコンティ。ヴィスコンティの第二王子だ。
兄ーー王太子エルミニオの輝く影に隠れ、宮廷では「無能な王子」と囁かれている。 王位は遠く、誰も俺に期待していない。 時々、そんな俺の心の奥で何か疼くことがあった。夏の海辺と、誰かの優しげな笑顔ーーそれはすぐ消え去ってしまう、幻のような記憶。
あれは一体何だったのだろう?だがそれよりも、最近、俺の頭を悩ませるのはリーア・ジェルミの存在だった。
銀髪、儚い笑顔を見るたび、胸が締め付けられる。 だがこんなもの、愛じゃない。 それよりもっと歪で凶悪な… 彼女を縛りたい、閉じ込めたい。 そんなどす黒い衝動に苛まれる。 俺は兄に劣等感を抱くだけでなく、こんなにも最低な男だったのか?その夜、王宮の小広間では悲惨な光景が広がっていた。
頭上のシャンデリアが月明かりで暗く光り、すぐ近くで運河の水音が響いていた。 兄エルミニオの冷酷な声が広間いっぱいに響いた。「ロジータ・スカルラッティ!
リーアに毒を盛ろうとした罪は、俺への… いや、ヴィスコンティ王家への反逆に等しい! よって、婚約は破棄し、ここでお前を処刑する!」ロジータの深紅のドレスが床に広がり、いつも自慢していた金髪が、みすぼらしく揺れる。
彼女は兄を愛しすぎ、嫉妬からリーアに毒を盛った。 将来、王太子妃になるかもしれないリーアを毒殺しようとした。 だからこの断罪には、正当性がある。 そう思い込もうとし、俺は彼女の最期から、一瞬だけ目を逸らした。 しかし、次に見るとエルミニオの剣は容赦なくロジータの心臓を突き刺し、彼女の真紅のドレスはさらに濃く染まっていた。かつては同じ『星の刻印』を持っていたロジータを、あんなにも残酷に。
碧い瞳に涙が滲み、やがて彼女は膝を崩した。「エルミニオ様……、私……、私は、あなたを……!ゴホッ!」
震える声。
リーアがエルミニオの背後に立ち、華奢な体を寄せ、涙を流す。「エルミニオ様、怖い…」
その儚さに俺の胸が痛んだ。
リーアが俺にもああしてくれたら… 違う。今はこんなことを考えている場合じゃない。 エルミニオはロジータの心臓を突き刺し、血まみれの剣を手放した。 ヴィスコンティ王家の不思議な力が宿る剣。 エルミニオはその手で、怖がるリーアを優しく慰めた。 ロジータの瞳に絶望の色が宿る。 数少ない関係者たちの冷たい視線。 誰もロジータを助けようとはしない。彼女が悪女だから。 …このまま死ぬのか? スカルラッティ家の令嬢、兄の婚約者だった女。 俺も、ただ見ているはずだった。 だが、ロジータがエルミニオを見つめる切ない瞳にーーその姿に胸が締め付けられた。 報われない自分自身を見ているようで。 リーアに歪な思いを抱く、未来の自分を見ているようで。 その瞬間、運命の相手を待ち侘びている俺の右手の『星の刻印』が、輝きはじめた。 ロジータ・スカルラッティを助けろ、と。ヴィスコンティ王宮の小広間。月明かりでシャンデリアが冷たく光り、重みで鈍く軋む。吹き抜けの円柱の隙間から、運河の水流の音が聞こえる。エルミニオが冷酷な目で、ためらいもなく私の胸を剣で突き刺す。22年間、ロジータとして生き、エルミニオを必死に愛した記憶が私を苦しめる。ただ彼に愛されたかった。ロジータの感情は、痛みよりも、醜い嫉妬と果てしない絶望で崩壊寸前だった。「やめてーー!エルミニオ様。お願い……」だが、その時、一人の男性が優しく私を包み込んでくれた。「七央、大丈夫だ。それは全部悪い夢だ。俺がお前の側にいる。だからーーー」「理佐貴《りさき》…?」彼はそっと私の涙を拭き、血に染まる真紅のドレスを着た私を抱きしめてくれた。慈愛にあふれた手つき。優しい眼差し。その瞬間、闇に染まっていた私の心がパァッと弾け、明るい太陽の光に照らされる。どうしてずっと忘れていたんだろう——。川崎《かわさき》理佐貴。前世でとても大切だった、恋人のことを。「は……っ!」止まっていた呼吸をするかのように目覚めると、見慣れない灰色の天井が目に入った。吊り下がる星型のランタン。ヴィスコンティ王宮にはよくある光景。両脇にあるステンドグラスから暖かな太陽の光が差し込み、今が朝であることを告げている。「あれ……あ!そうだ。私、昨夜…」ズキっと錘《おもり》を乗せられたような痛みが胸いっぱいに走り、思わず両手で押さえつけようとするとー左手がグンっと何かに引っ張られた。「え?」ーーええ!ルイス!?見るとルイスが私の手を掴んだまま、ベッドに伏せて眠っていた。栗色のウェーブした髪が、子犬みたいだ。小さな銀のピアスが片方の耳の隙間から覗いている。白くてきれいな肌。柔らかそうな頬&he
目覚めたロジータは、今までとはどこか雰囲気が違っていた。 エルミニオに殺されかけたショックで? それに俺と契約結婚だと?何を言っているんだ。 しかし、ロジータが言っていることは妙に的を得ていて驚く。『はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。 その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。』確かに、今の俺の立場は危うい。 瀕死のロジータを衝動的に助け、しかも禁忌の力を使った。 彼女が言っていることも分からなくはない。 ロジータが俺に惚れ、結婚したとなれば、二人が命を狙われる可能性は低くなるだろう。 エルミニオも、実の弟の妻となれば、手出ししづらいはずだ。 だが、それだけではロジータの提案は受け入れられない。 第一に俺はリーアを愛していたし、ロジータと契約結婚するリスクの方が高かった。 まず、俺がロジータを助けたのを知ったエルミニオは怒り狂うだろう。 あの時の賛同者たちも敵に回す。 それに、ロジータの実家の勢力を考えると、エルミニオに反逆の意思ありと捉えられる可能性もある。 スカルラッティ家は、ヴィスコンティでも高名な家門で、莫大な財産、軍事力などを有している。 王権を強化したい王ーー父にとってロジータは、なくてはならない存在だった。 それゆえにエルミニオはリーアを愛していながら、長い間ロジータと婚約破棄ができなかったのだ。 確かに自分たちの身を守るため、契約結婚に賭ける価値もあるが、その分リスクも大きい。 俺はロジータの提案を断った。 だが彼女は断ったにも関わらず、しぶとく食いついてきた。『私…いえ、この世界は小説の世界です。 私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。』ついにロジータは完全におかしなことを口走り始めた。 彼女が言うには、ここは小説の世界であり、自分たちは決められた物語《ストーリー》によって動かされているという。 さらには、最近俺がリーアヘの歪な思いに苦しんでい
ロジータの処刑は、エルミニオたちの独断である。スカルラッティ家の権力を考えれば、これは許されない行為だった。だからエルミニオたちは、密かにこの小広間でロジータの処刑を決行した。エルミニオがあえて星の力が宿る剣を使ったのは、刺殺痕が残らないからだ。「死んだか?」「…虫の息です。あとは手順通りにやりますので、殿下はご心配なく。」関係者たちは、その場でロジータが病死したかのように偽造し、床の血を拭き取る。誰かに発見させるため、あえてロジータを放置し、その場を去る。そういう計画だった。エルミニオは、愛するリーアを虐げる女を密かに始末した。何とも美しい愛だと、人は言うだろう。だが俺は、なぜか初めから納得がいかなかった。「エルミニオ様、私、やっぱり怖いわ。ロジータ様に恨まれそうで…」「リーア。ロジータはもう死ぬんだ。何の心配もいらない。」エルミニオはリーアの腰を引き寄せ、絶命しかかっているロジータをゴミのように眺めた。誰もが彼女は死んだと思った。「行くぞ、ルイス。」「兄さん。俺は………もう少ししてから行きます。」しばらくして関係者たちが去り、次にエルミニオとリーアも立ち去った。小広間は静寂に包まれていた。ロジータは床に崩れ、呼吸も微弱だった。心臓を突き刺されたのだ。まだ生きている方が不思議だった。だが顔が真っ青だ。…間違いなく死にかけている。『刻印』までもが、俺を引き止める。「くそ…!」咄嗟に腕を掴み、俺はロジータを抱き上げた。彼女はあまりにも軽く、まるで羽のようだった。ロジータのドレスの肩紐がずれ、ふと白い肩が覗いた。「ルイス…様?」弱々しい、碧い瞳が俺を不思議そうに見つめた。「……今は黙っていろ。」
俺はルイス・ヴィスコンティ。ヴィスコンティの第二王子だ。兄ーー王太子エルミニオの輝く影に隠れ、宮廷では「無能な王子」と囁かれている。王位は遠く、誰も俺に期待していない。時々、そんな俺の心の奥で何か疼くことがあった。夏の海辺と、誰かの優しげな笑顔ーーそれはすぐ消え去ってしまう、幻のような記憶。あれは一体何だったのだろう?だがそれよりも、最近、俺の頭を悩ませるのはリーア・ジェルミの存在だった。銀髪、儚い笑顔を見るたび、胸が締め付けられる。だがこんなもの、愛じゃない。それよりもっと歪で凶悪な…彼女を縛りたい、閉じ込めたい。そんなどす黒い衝動に苛まれる。俺は兄に劣等感を抱くだけでなく、こんなにも最低な男だったのか?その夜、王宮の小広間では悲惨な光景が広がっていた。頭上のシャンデリアが月明かりで暗く光り、すぐ近くで運河の水音が響いていた。兄エルミニオの冷酷な声が広間いっぱいに響いた。「ロジータ・スカルラッティ!リーアに毒を盛ろうとした罪は、俺への…いや、ヴィスコンティ王家への反逆に等しい!よって、婚約は破棄し、ここでお前を処刑する!」ロジータの深紅のドレスが床に広がり、いつも自慢していた金髪が、みすぼらしく揺れる。彼女は兄を愛しすぎ、嫉妬からリーアに毒を盛った。将来、王太子妃になるかもしれないリーアを毒殺しようとした。だからこの断罪には、正当性がある。そう思い込もうとし、俺は彼女の最期から、一瞬だけ目を逸らした。しかし、次に見るとエルミニオの剣は容赦なくロジータの心臓を突き刺し、彼女の真紅のドレスはさらに濃く染まっていた。かつては同じ『星の刻印』を持っていたロジータを、あんなにも残酷に。碧い瞳に涙が滲み、やがて彼女は膝を崩した。「エルミニオ様……、私……、私は、あなたを……!ゴホッ!」震
栗色のルイスの髪が、さらりと揺れる。「はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。 その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。 この傷が癒えれば、私はヴィスコンティ国を去りますので、それまでと思えば…」「去るのか?国を?お前が?」「え?ええ。命を狙われると分かっていて、ここに居続けるのは危険です。 それで、結婚する理由についてですが… 私がルイス様に助けられて、惚れたというのはどうでしょう。」「お前が俺に?ありえない。おかしくなるほど、兄を愛していたくせに。」「まあ、聞いてください。とにかくそれで私たちが結婚してしまえば、エルミニオ様は私が諦めたと思うはずです。 ルイス様を好きになり、エルミニオ様には何の未練もないと分かれば、私を殺そうとは思わなくなるはずです。 リーアに嫉妬する理由がなくなるのですから。」「そうだが…!それだと、お前はよくても俺には何の得が? 確かに俺にはまだ星の刻印の相手が現れず、婚約者もいないが… それにロジータ。お前の実家、スカルラッティ家の勢力を考えてみろ。 だからお前は兄の婚約者だったんだろう? もし俺と結婚するとなれば、兄に反逆を企てていると言われかねない。 …悪いが、付き合い切れない。」だめ、ルイスが行ってしまう! このままじゃまた、私は物語に引き込まれ、エルミニオに命を狙われ続ける! 運命を変えて、傷が癒えたら、この小説の舞台、ヴィスコンティから逃げるのよ! それが私が生き残る最後の手段だわ!「ルイス様、これを聞いても断りますか? 今から私はおかしなことを言います。 ですが、全て真実ですので、どうかお聞き下さい。 私…いえ、この世界は小説の世界です。 私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。 本来ならあのまま小広間で、息絶えたはずです。」「ロジータ?一体何を…」ルイスは分かりやすく目を見開いた。「そしてルイス様。 あなたも、リーアを愛し、彼女を塔に閉じ込め、殺される運命なのです。」動揺を隠しきれない、ルイスの琥珀色の瞳が揺れる。「戯言を…!どうかしているんじゃないのか?ロジータ・スカルラッティ!」普段は温厚なルイスが怒り、戸惑う様子を見せた。「戯言じゃありません。
それは、ヴィスコンティ王家に伝わる治癒力——禁忌とされる力——の名残だ。「私、生きてる…痛っっ?!」「ロジータ、大丈夫か?」ルイスの声は低かったが、気遣いを感じた。力強い彼の腕が私の肩を支えてくれた。「ルイス…様? 私なぜ…生きて…!っ!」 胸の痛みが私の言葉を途切れさせる。ルイスはふと視線を逸らし、無愛想に返事した。「その様子だと、小広間で兄に刺されたのは覚えているようだな。ロジータ、あの後お前はもがき苦しみ、生死の境を彷徨《さまよ》っていた。だが、俺の力で…かろうじて命は繋いだ。しかし傷は思った以上に深い。ヴィスコンティ家の星の能力が宿る剣で、心臓を刺されたのだ。回復するには時間がかかる。だから今はむやみに動くな、悪化する。」彼の左手に、星形の刻印が光る。まだ相手が見つかっていない、ルイスの刻印。運命の相手がいないというだけで、微かな侘《わび》しさが滲んでいる。痛みに耐えながら、私は眉を顰めて尋ねた。「なぜ…私を?ルイス様。あなたは私を嫌っていたでしょう。」そう告げると、ルイスは大きな溜め息を吐いた。「勘違いするな。お前のことは相変わらず嫌いだ。リーアを虐げ、兄に媚びるお前の姿は、いつも見るに耐えなかった。だが…あの小広間で、兄に踏みにじられるお前を…なぜか放っておけなかったんだ。それに、俺の『星の刻印』が命じたんだ。お前を救えと。」「刻印が?…それについては、よく分かりませんが。ルイス様。助けてくれたことは感謝しています。ですが、私を救ったことがエルミニオ様たちにバレたら、あなたも無事では…」しかも禁忌の治癒力を使ったのだから、厳罰は免れないはず。けれど人の心配をよそに、ルイスは想定内だと目を細める。「お前…何か雰囲気が変わったな…?あ、いや、分かっている。ただ…あの時は…実は俺にも、よく分からない。俺の星の刻印が反応した意味も。とにかく、勝手に助けた責任は取る。傷が癒えるまでは、ここにいてもいい。だが、その後の面倒は見切れない。癒え次第、出て行ってくれ。」出て行くといっても、どこに?実家に?けれど私の命を狙っているのは王太子のエルミニオ。もし追跡されたら、勝ち目なんてあるの?それに、容赦なく心臓を突き刺されたのだ。王家の禁忌の力でも治りきらず、まだ猛烈に疼いてる。それ