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詐欺か善か③

last update Huling Na-update: 2025-12-08 20:10:52

「祈りですわ」

 と、久我を招いてくれた女性が本のようなものを開いてみせた。

「この特別な曼荼羅まんだらに向けて、朝と夜に祈りを捧げれば、あなたのお兄様の心は穏やかになり、お兄様のいる場所は天国になります」

「なるほど」

 久我は神妙な顔でうなずいた。鮮やかな色彩で描かれた曼荼羅は、どことなく魔力を秘めているように見えた。

「でも、それだけじゃありませんよ。この世であたしたちが幸福でいることもまた、あの世にいる人の心を穏やかにさせます。何故ならどんな人も、あの世で家族や大切な人を見守ってくれているからです」

 ありがちな話だが、心を動かされる人もいるだろう。特に亡くした相手への思いが強ければ強いほど、絆が深ければ深いほど。

「そのために、こうした物もあるんです。これは幸福を運ぶストラップです」

 青年が見せてくれたのは、間遠が昨日見たという三色の石と銀色のビーズが連なったものだ。

「幸福を運ぶんですか?」

「ええ、運びます。私たちは幸福の担い手となり、周りの人々に幸福を届けるんですの。すると自分も幸福になり、あの世にいる大切な方はもちろん、自分があの世へ行った時にも天国へ行けるのです」

 まるで論理的でないなと内心で否定しながら、久我は「素晴らしいですね」と返した。

「みなさん、そのストラップをお持ちなのですか?」

「ええ、もちろんです。会員のほとんどが持っていますわ」

 これで中山が永和聖会の会員であることが確実となった。おそらく依頼人の父親もまた、永和聖会に加入していることだろう。

「永和聖会は愛する人を失った者の思いにつけこむ宗教団体だった。依頼人の父親は妻を亡くしたばかりであり、一人暮らしの寂しさも手伝って、中山の言う通りにしているのだと思われる」

 事務所へ戻り、久我は得てきた情報を元に話を整理していた。

 手には温かいブラックコーヒー、話を聞いているのは神崎と間遠の二人だ。

「よって、ボランティア団体ホープ・リレーションズは永和聖会とつながっていると見ていいだろう。ただし、相手は宗教法人だ。訴えるなら複数の被害者で集まって行う方がいい。依頼人にもそう話そうと思っている」

 久我が話し終えると、神崎は言った。

「あの世なんてあるかどうかも分からないのに、馬鹿げていますね」

「まあな。だが、宗教は人生のコンパスのようなものだ。それを信じる者にとってはそれが真実となり、時に人生を切り開く鍵ともなる」

「でも詐欺はいけません。害悪でしかないので、さっさと解散させてほしいです」

 まるで分別のない子どものような極論だ。久我は苦笑し、コーヒーカップを目の前にある間遠の机へ置く。

辛辣しんらつだな、神崎は。君も神社にお参りに行ったことくらいはあるだろう?」

「ありますけど、別に信じてるわけじゃないです。神にも仏にもすがる気はありませんし、おれは自分の力で人生を切り開きます」

「頼もしいな」

 久我は皮肉を返し、突っ伏していた間遠がそのままの姿勢で口を出す。

「じゃあ、中山も誰か亡くしてるってことっすよね?」

 神崎がきょとんとし、久我は言った。

「きっとそうだろうな。僕が会ってきた信者たちはみんな、身近な人を亡くしていた」

「そう考えると、なんか悪者にしづらいっすね。詐欺はよくないことだけど、ちょっとオレは納得いかないっていうか」

 と、もぞもぞと顔を上げて椅子に座り直す。

「間遠は優しいな。だが、それを決めるのは僕たちじゃない。あくまでも僕たちは、依頼人に事実を伝えるだけだ。その後にどうするかは、依頼人次第だよ」

「うーん、それはそうなんすけど」

 間遠が首を傾げ、神崎は息をついた。

「死は必ずくるものです。誰だっていつかは親を失うし、兄弟や友達も死んで、最後は自分だって死にます。そんなことで感傷的になるのは、合理的じゃないと思いますけどね」

「……そうだな。だが、僕は思うんだ」

 久我は間遠を見つめた。

「もし間遠が亡くなっても、僕はずっと想い続けていたい。あの世で間遠が穏やかにいられるように、祈り続けていたいよ」

「なっ、永和聖会信じてんじゃねぇですよ! っつーか、オレを殺さないでください!」

 言いながらも間遠は耳まで赤くなっており、久我はそっと手を伸ばした。

「信じてはいないよ。ただ、少しそう思っただけさ。間遠も同じように思ってくれていたらいいな」

 指先が頬へ触れた途端、間遠はがたっと席を立って給湯室へ逃げこんだ。

「久我さんのバカー!!」

 と、わけの分からない文句を言いながら。

 久我はくすくすと笑ったが、すぐに神崎の冷ややかな視線に気づき、咳払いでごまかした。

「話は以上だ。依頼人に事務所へ来るよう、メールを送っておいてくれ」

「とっくにやりました」

「早いな……」

 あいかわらずの有能ぶりに、久我は再び苦笑した。

 依頼人、宮崎春香は驚いて固まってしまった。

「大切な人を、亡くした……?」

「ええ、そうです。ホープ・リレーションズの母体と思われる永和聖会は、誰もが身近な人を亡くしており、そのために幸福を祈る活動をしているんです」

「……でも、詐欺をしていたんですよね?」

 と、宮崎春香はおずおずと質問する。

 久我は正直に答えた。

「ええ、否定はできません。SNSで注意喚起している人物もいますので、もし必要でしたら、コンタクトをとってみてください」

 と、SNSの投稿をプリントアウトしたものを依頼人の前へ置く。

「分かりました」

 そう返しながらも、宮崎春香は腑に落ちない顔をしていた。

「……父は、ずっと母のことを思っていたんですね」

 ぽつりとつぶやくように漏れ出た言葉に、久我はうなずきながら返す。

「ええ、そういうことになりますね。幸福になる線香は、あの世にいる人のためにあげるものでした」

「じゃあ、穏やかになれる石は」

「それもあの世にいる人のためです。死んでなお穏やかでいてほしいと願うのは、宮崎さんにもお分かりになるのではないですか?」

 宮崎春香はゆっくりとうなずいた。

「分かります。母にはあの世で幸せにいてほしいと、私も考えたことがあります。ううん、むしろそう思うのが当然じゃないですか」

 久我は無言で彼女を見つめる。

 宮崎春香は顔を上げ、はっきりと言い放った。

「嫌なことがたくさんあって、苦しい思いもたくさんして、それでもわたしたち家族を守ってくれた母に、あの世では幸せでいてほしいと願うのは当然です」

 彼女の迷いは吹っ切れた様子だ。

「もう一度、父とちゃんと話し合ってみます。今なら、父の気持ちも分かりますから」

 久我は穏やかに微笑んだ。

「それがいいでしょう。この度は久我探偵事務所にご依頼いただき、ありがとうございました」

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