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娘に三発撃った夫を、私はもう愛せない

娘に三発撃った夫を、私はもう愛せない

Por:  野菜好きな木偶Completado
Idioma: Japanese
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深田麻実(ふかだ あさみ)の夫である深田博之(ふかだ ひろゆき)は、警察の特殊急襲部隊随一の狙撃手だった。任務での命中率は百パーセント。これまで、ただの一度として的を外したことはなかった。深田麻実(ふかだ あさみ)の夫である深田博之(ふかだ ひろゆき)は、警察の特殊急襲部隊随一の狙撃手だった。任務での命中率は百パーセント。これまで、ただの一度として的を外したことはなかった。 けれど今回の救出作戦では、彼は実の娘、深田晴菜(ふかだ はるな)に3発もの銃弾を撃ち込んだ。4発目でようやく犯人を仕留めた。 すべては、麻実の姉である高月綾子(たかつき あやこ)を無事に逃がすためだけに。 救急車の中で、麻実は震える両手で娘を抱きしめていた。小さな体からとめどなくあふれ出す鮮血が、彼女の視界をどこまでも赤く染め上げていった。 病院へ搬送されたものの、晴菜は右手と左脚を切断することとなり、かろうじて一命を取り留めた。 綾子は、かすり傷ひとつ負っていなかった。 誰もが、博之は職務を全うするため、あの引き金を引いたのだと信じている。 だが、麻実だけは知っていた。あの引き金を引いたのは、彼自身の私情からだったのだと。 けれど今回の救出作戦では、彼は実の娘、深田晴菜(ふかだ はるな)に3発もの銃弾を撃ち込んだ。4発目でようやく犯人を仕留めた。 すべては、麻実の姉である高月綾子(たかつき あやこ)を無事に逃がすためだけに。 救急車の中で、麻実は震える両手で娘を抱きしめていた。小さな体からとめどなくあふれ出す鮮血が、彼女の視界をどこまでも赤く染め上げていった。 病院へ搬送されたものの、晴菜は右手と左脚を切断することとなり、かろうじて一命を取り留めた。 綾子は、かすり傷ひとつ負っていなかった。 誰もが、博之は職務を全うするため、あの引き金を引いたのだと信じている。 だが、麻実だけは知っていた。あの引き金を引いたのは、彼自身の私情からだったのだと。

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Capítulo 1

第1話

麻実は取り乱し、博之の職場に押しかけたこともあった。彼の拳銃を奪って胸元に銃口を突きつけ、半狂乱で問い詰めた。どうしてなの、と。

博之は落ち着き払った声で答えた。

「スコープの向こうで、犯人がナイフで綾子の首を切りつけたのが見えた。次の瞬間には人質を殺すつもりかもしれない。賭けには出られなかった。

あの3発は、晴菜の命を奪わずに犯人を仕留める最善の選択だった。すべて計算し尽くした上でのことだ」

その声は少しも乱れることなく、静かに響き渡った。

「犯人を仕留める。それが俺の職務だ」

拳銃を構える両手がわななき、麻実の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「じゃあ誓える?綾子のためじゃないって」

博之は目を伏せ、何ひとつ答えようとはしなかった。

その沈黙が、麻実の胸を締めつけた。力なく手から拳銃が滑り落ち、彼女は体を折り曲げ、声もなく泣き崩れた。

彼が覗き込んでいたスコープに映っていたのは、綾子ただひとりだったのだ。実の娘の命が風前の灯火であったあの瞬間、彼の頭を占めていたのは、もうひとりの女をどう守るかということだけだった。

隊員に引き離された麻実は、娘の集中治療室の前で一昼夜座り込んだ。その日を境にして、彼女は別人のように変わってしまった。

もう毎日、昼に弁当を作って博之の職場へ届けることも、立入禁止エリアの外からつま先立ちになって彼の姿を追うこともしなくなった。

毎月の収入の半分を母、高月明美(たかつき あけみ)に渡すことも、仕事帰りに明美の家事を手伝うこともやめた。

綾子の息子である高月悠斗(たかつき ゆうと)も家に送り返した。もう送り迎えも、身の回りの世話を焼くこともしなくなった。

事件から半月が過ぎ、博之はようやく病室に姿を見せた。

連れ立っていたのは、綾子と明美だった。

博之は病床の晴菜を見つめ、その瞳に痛ましげな色を浮かべながら、小さな頭を撫でようと手を伸ばした。だがその手は、麻実によって強く払いのけられた。

「触らないでッ!」

麻実は荒い呼吸で胸を大きく上下させ、目を強く閉じた。

「……出て行って」

博之は眉間に深く皺を寄せた。

「いつまでそうやって意地を張るつもりだ。

晴菜は俺の娘でもある。お前以上に、俺だって辛いんだ」

晴菜の布団を掛け直していた麻実の手が止まり、堪えきれずに涙がこぼれ落ちた。ゆっくりと振り返り、冷たく口元を歪めた。

「はっ……あなたも辛いって?

辛いなら、どうして一度も来なかったの?それなのに、傷ひとつ負わなかった綾子には、まるで犬のようにつきまとって」

病室が一瞬、静まり返る。明美は険しい顔で麻実に歩み寄ると、勢いよく彼女の頬を平手打ちし、鋭い声を上げた。

「この人でなし!綾子の夫は博之を助けて命を落としたのよ。あの子がどれだけ長い間、ひとりで子供を抱えて苦労してきたと思ってるのよ!よくも綾子に、そんなことが言えたわね!」

耳の奥で甲高い音が鳴り、麻実の頬が熱を持って腫れ上がった。

顔を覆いながら、記憶が遠い過去へと引き戻されていった。

そう、綾子の夫が博之をかばって死んだ。そのせいで、博之の休暇はいつも綾子と悠斗のために費やされ、父親代わりとして出席する保護者会も、悠斗のものばかりだった。

明美は悠斗ばかりを可愛がり、晴菜にはただの一度として笑顔を向けなかった。お年玉やプレゼントをもらうのも悠斗だけ。

家族旅行でさえ、いつもあの4人だけのものだった。

彼らは麻実の犠牲の上に成り立つ生活を、当然のように享受し続け、麻実と晴菜を家族として扱ったことは一度もない。

そばに立つ綾子の目に、今にもこぼれ落ちそうな涙が浮かんだ。

「ごめんね麻実、全部私が悪いの。博之やお母さんを責めないで……」

麻実は青ざめた顔のまま身をかがめ、意識のない晴菜の、青白い小さな顔にそっと触れ、額に唇を寄せた。

晴菜。ママがこの吐き気のするような家からあなたを連れ出すからね。これからは、これからは、ママの愛情は全部、晴菜だけのものだからね!

麻実は振り返り、博之を見据えると、静かな声で告げた。

「離婚しましょう、博之」

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松坂 美枝
松坂 美枝
死ぬほど愛されるか死ぬほど嫌われるかしか向けられない主人公の話 実の娘に酷いことするクズ男の理由もずっと嫌われてた母親の理由も身勝手ばかり それでも生まれ変わったらまた最初からと言える主人公をどう思うかは読者に委ねられる
2026-10-05 09:46:35
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20 Capítulos
第1話
麻実は取り乱し、博之の職場に押しかけたこともあった。彼の拳銃を奪って胸元に銃口を突きつけ、半狂乱で問い詰めた。どうしてなの、と。博之は落ち着き払った声で答えた。「スコープの向こうで、犯人がナイフで綾子の首を切りつけたのが見えた。次の瞬間には人質を殺すつもりかもしれない。賭けには出られなかった。あの3発は、晴菜の命を奪わずに犯人を仕留める最善の選択だった。すべて計算し尽くした上でのことだ」その声は少しも乱れることなく、静かに響き渡った。「犯人を仕留める。それが俺の職務だ」拳銃を構える両手がわななき、麻実の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。「じゃあ誓える?綾子のためじゃないって」博之は目を伏せ、何ひとつ答えようとはしなかった。その沈黙が、麻実の胸を締めつけた。力なく手から拳銃が滑り落ち、彼女は体を折り曲げ、声もなく泣き崩れた。彼が覗き込んでいたスコープに映っていたのは、綾子ただひとりだったのだ。実の娘の命が風前の灯火であったあの瞬間、彼の頭を占めていたのは、もうひとりの女をどう守るかということだけだった。隊員に引き離された麻実は、娘の集中治療室の前で一昼夜座り込んだ。その日を境にして、彼女は別人のように変わってしまった。もう毎日、昼に弁当を作って博之の職場へ届けることも、立入禁止エリアの外からつま先立ちになって彼の姿を追うこともしなくなった。毎月の収入の半分を母、高月明美(たかつき あけみ)に渡すことも、仕事帰りに明美の家事を手伝うこともやめた。綾子の息子である高月悠斗(たかつき ゆうと)も家に送り返した。もう送り迎えも、身の回りの世話を焼くこともしなくなった。事件から半月が過ぎ、博之はようやく病室に姿を見せた。連れ立っていたのは、綾子と明美だった。博之は病床の晴菜を見つめ、その瞳に痛ましげな色を浮かべながら、小さな頭を撫でようと手を伸ばした。だがその手は、麻実によって強く払いのけられた。「触らないでッ!」麻実は荒い呼吸で胸を大きく上下させ、目を強く閉じた。「……出て行って」博之は眉間に深く皺を寄せた。「いつまでそうやって意地を張るつもりだ。晴菜は俺の娘でもある。お前以上に、俺だって辛いんだ」晴菜の布団を掛け直していた麻実の手が止まり、堪えきれずに涙がこぼれ落ちた。ゆっくりと振り
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第2話
そのひと言に、病室が静まり返った。博之の眉間に皺が寄り、指先が知らず知らずのうちに強張った。明美の顔色が見る間に険しくなり、ベッドの上で意識を失っている晴菜を指差して怒鳴った。「そんな足手まといを連れて、離婚した後で誰があんたの面倒を見てくれるっていうの!私が面倒を見るなんて、あてにしないでよ!」麻実は静かに答えた。「私の娘は、自分で育てます。誰の助けもいりませんから」ドアを開け、まるで赤の他人にでも向けるような、よそよそしい声で言い放つ。「晴菜には静かな環境が必要なんです。出て行ってください」博之が大股で踏み出し、彼女の手首を掴んだ。その瞳の奥には、本人すら気づいていない深い動揺がはっきりと滲んでいた。「お前……っ」綾子が涙声で口を開いた。「麻実、こんなことまでして、晴菜をちゃんと見ていなかった私を責めたいの?」麻実は氷のように冷え切った目で姉を見据えた。「最初に人質にされたのはあなただけだったでしょ。晴菜までわざと巻き込んだんでしょう」博之の表情が一瞬で凍りつき、麻実の手を乱暴に振り払って言い捨てた。「馬鹿げてる」麻実は目を伏せ、手首に残る赤い痕を見つめ、自嘲するようにふっと笑いを漏らした。明美は彼女を指差し、怒りに震えていた。「あんたの心はどこまで腐ってるの!?実の姉さんのことを、そんな風に思うなんて!」綾子は目を赤く腫らし、しゃくり上げるような涙声を漏らした。「ここ数年、博之に迷惑をかけてきたのはわかってる。でも彼がいなかったら、私ひとりでどうやって生きていけばよかったのか……本当にわからなかったの」言い終えるなり、綾子は身を翻し、病室を飛び出していった。博之がひどく心配そうな顔つきになり、すぐさまその後を追う。「綾子……っ!」明美は胸を痛めたような顔をすると、振り返って麻実を憎々しげに睨みつけ、腕を掴んで無理やり連れ出しながら、鋭く言った。「早く綾子に謝りなさい!許してもらえるまで、ちゃんと頭を下げるのよ!」麻実は抵抗する間もなく、明美に屋上まで引きずられていった。綾子は屋上の縁に立ち、今にも落ちそうにふらついている。博之は少し離れた場所から、いつも冷静沈着なはずの声を、初めてこれほどまでに乱しながら叫んでいた。「綾子、早まるな。こっちへ降り
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第3話
博之と綾子は救助用のエアマットに落下したおかげで、かすり傷ひとつ負わなかった。博之の情報が一切表に出ないことに気づいたマスコミは、代わりに綾子への取材に殺到した。自宅に押しかけた取材陣の前で、綾子は目に涙を浮かべていた。壁には、殉職した夫に贈られた顕彰状が、ひときわ目立つ場所に飾られていた。「晴菜をちゃんと守ってあげられなかった。全部、私のせいです……」明美がその肩を抱き、涙を拭う。「あなたのせいじゃないわ。全部麻実が薄情なせいよ。私の躾が悪かったんだわ」夫を殉職で亡くし、女手ひとつで子どもを育ててきた綾子。その境遇は世間の同情を集め、非難の矛先は一斉に麻実へと向けられた。【旦那さんは職務中に命を落としたのに、その妹が綾子さんを屋上まで追い詰めたなんて。こんなひどいことをする人、許せない】【普段からどれだけ綾子さんをいじめてたのかしらね……】【娘さんが障害を負ったって聞いたけど、自業自得でしょ!】そうした書き込みを見つめながら、麻実は指の関節が白くなるほどスマホを強く握りしめ、無表情のまま画面を消した。「ママ、どうしたの?」ベッドの上で体を丸めていた晴菜が、青白い顔で目を瞬かせながら、心配そうに麻実を見上げる。麻実は柔らかく微笑み、娘のそばに座って白湯をひと口飲ませ、そっと頭を撫でた。「ううん、ママは大丈夫だよ」晴菜は安心したように頷いたものの、しばらく迷った末、また小さな声で尋ねた。「じゃあ、パパはどうしてまだお見舞いに来てくれないの?もしかして……晴菜がこんな体になったから、パパは晴菜のこと、嫌いになっちゃった?」麻実は言葉に詰まり、目頭が熱くなった。うつむき、娘をそっと抱きしめる。「……っ!そんなことないよ。晴菜がどんな姿になっても、パパとママにとって、ずっと一番大切な娘なの。パパはただ、忙しすぎるだけ……」晴菜は、点滴の針が刺さった無事なほうの小さな手で、麻実の涙をそっと拭った。あまりにも健気だった。「ママ、泣かないで。晴菜、そんなにパパに会いたいわけじゃないもん。ママがいてくれれば、それでいいから」麻実の涙は、もう止まらなかった。晴菜が目を覚ましてからのこの数日間、彼女は一度も痛いと口にしたことはなかった。毎日ひとりで耐え、唯一願っていたのは、博之に会いに来てほ
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第4話
しばらくして、博之が病室から出てきて、わずかに罪悪感を滲ませながら言った。「悠斗が熱を出したんだ。まずは悠斗に使わせる」麻実は拳を強く握りしめた。「晴菜こそ、あなたの娘でしょう!」博之は不快そうに眉をひそめた。「悠斗だって、俺の息子同然だ」麻実はかつてのように反論することなく、唇の端を歪めると、俯いてタオルで晴菜の顔を拭いた。博之は麻実が黙り込んでいるのを見て、一瞬ためらった後、無言で歩み寄り、晴菜の顔を拭くのを手伝おうとした。しかし、その指先が麻実の手の甲に触れた瞬間、彼女はさっと手を引いた。「私に触らないでッ!」博之は一瞬、呆気に取られた。以前のふたりは、喧嘩をするたびにこうして関係を修復してきた。麻実はいつもそこで折れ、目を赤くしながら素直に彼の腕の中に収まったものだった。博之はふつふつと湧き上がる怒りを抑え込み、冷ややかに警告した。「綾子に絡むのはやめろ」言い終えると、彼はそのまま病室へと入っていった。最初から最後まで、晴菜に一度も目を向けることはなかった。晴菜は堪えきれず涙をこぼし、しゃくり上げながら言った。「ママ、晴菜、何か悪いことした?どうしてパパは、晴菜より悠斗くんの方が好きなの?」麻実の胸が締めつけられた。彼女は身をかがめて、晴菜をきつく抱きしめ、掠れた声で、ひと言ずつ区切るように言った。「晴菜、あなたは何も悪くない。悪いのは、パパよ。ママが一番大切に思っているのは晴菜よ。これからはママだけについてきて、いい?」晴菜は大きく頷いた。「うん!晴菜、ママさえいればいいの」それから数日間、晴菜は個室に戻ることができず、病棟内の一時待機用スペースに置かれた簡易ベッドで過ごすことになった。通りかかる人々は、好奇心と同情の入り混じった目を晴菜に向けた。晴菜はただ、毛布にくるまりながら小さく体を丸めていた。麻実は胸が張り裂けそうだった。病室から漏れ聞こえる綾子と悠斗の笑い声に、とうとう我慢の限界に達し、彼女は病室に飛び込んだ。悠斗はベッドでのんびりとポテトチップスを食べながら、備え付けのテレビを眺めていた。床には空になったお菓子の袋が散らばっていた。麻実は怒りを堪えながら、力任せに悠斗のベッドを外へ押し出し、代わりに晴菜のベッドを中へ押し入れた。綾
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第5話
麻実はほどなく、新しい病院の設備の整った個室へと移った。晴菜を寝かしつけた後、男から再び電話がかかってきた。「他に、俺にできることはあるか?」麻実は笑った。「離婚したいの」彼はすぐに答えた。「今すぐ手配する」麻実は一瞬呆気に取られ、それから思わず笑ってしまった。「ふふ……博之に目をつけられるのが怖くないの?」彼は真剣な声で言った。「知ってるだろ。お前を好きになった時から、覚悟はできている」麻実は唇を噛んだ。「……私、どうしたらいい?どうすればこの恩を返せる?」電話の向こうで、彼は一瞬黙り込んだ。何かを考えているようだった。「うちの会社で働けよ。働いて、借りを返せばいい」麻実は驚きの声を上げた。「それだけ?」彼は真剣な声で言った。「お前ほど仕事ができる人材が来てくれるなら、得をするのは俺の方だ」彼女の懸念を察したように、彼は続けた。「うちの会社には、医療・リハビリ分野で最先端の義肢技術がある。それに週休2日で、残業は一切ない」麻実は迷わず答えた。「わかった。行くわ」男は笑った。声にはどこか気だるげな甘さが滲んでいた。「3日後、晴菜を連れて来てくれ。航空券はもう手配してある」麻実は承諾した。電話を切った後、彼女は小さく息を吐いた。晴菜をヘルパーに預け、麻実は荷物をまとめに家へ戻った。家の中はがらんとしていた。博之のものは、もうほとんど残っていなかった。彼のものは、少しずつ綾子の家へと運ばれていたからだ。服も、靴も、寝具も、歯ブラシまで、すべて持ち出されていた。綾子が暗闇を怖がるからという理由だけで、博之はもうこの家に泊まることさえなくなっていた。麻実はふと、家の中の空気が息苦しいほど冷たく感じられた。彼女は取り乱しそうになる心を慌てて抑え、自分と晴菜の荷物を簡単にまとめ始めた。その時、畳んでいた肌着の間から、1枚の小さな写真が滑り落ちた。博之と自分の写真だった。仕事の性質上、ふたりには一緒に写った写真がほとんどなかった。麻実は自分が持っている唯一の博之の写真に自分の姿を合成して、まるで本物のようなふたりの写真を作っていた。写真の中の彼女は満面の笑みを浮かべ、博之の頬にぴったりと寄り添っている。まるで、この世で一番仲睦
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第6話
道中、母から突然電話がかかってきた。「悠斗のお迎え、行ってあげて」電話の向こうからは、パチンコ店の騒がしい音が聞こえていた。麻実はきっぱりと答えた。「行かない」母は声を荒げた。「この恩知らずが!あんたの旦那のせいで、綾子は今頃こんな苦労してるのよ……」そんな言葉は、これまで数えきれないほど聞かされてきた。耐えて、譲って、それでも返ってきたのは、ますますエスカレートしていく理不尽な仕打ちだけだった。もう聞きたくない。電話を切ろうとした瞬間、母の声が続いた。「行かないなら、明日そっちに乗り込んで話をつけるから!」晴菜が煩わされるのは嫌だった。麻実は深い溜め息を吐き出した。「……行くわ」もういい。どうせ、これが最後だから。麻実は学校の門の前で悠斗を待った。チャイムが鳴り、悠斗が友達と一緒に校門から出てくる。麻実を見つけると目を輝かせ、すぐに手を差し出した。「ねえ、5万円ちょうだい。帰りにコンビニ寄りたい。あと、新しいゲーム機も欲しいんだけど」以前の麻実なら、いつも言いなりになっていた。だが今は、淡々と答えた。「帰るわよ」悠斗はすぐさま顔を歪めて泣き出そうとした。その時、背後から誰かの手が彼の口を塞いだ。腰の曲がった老人が、鋭い刃物を悠斗の首筋に押し当てていた。濁った両目が麻実に向けられる。「動くな。動けば、この子を殺す!」周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。老人を中心に、人のいない空間が広がっていく。間もなく警察が駆けつけ、ふたりを包囲した。麻実は必死に気持ちを落ち着かせた。「何が目的なんですか……!私はこの子の保護者です。できることなら何でもします。だから、ちゃんと話してください」老人は突然、感情を爆発させた。「こいつが毎日毎日俺の孫娘をいじめて、うつ病に追い込み……飛び降りさせたんだ!」刃物が首筋に食い込むにつれ、悠斗が痛みに泣き叫んだ。麻実のポケットでスマホが不意に震えた。彼女は音を立てずに応答した。左耳のイヤホンから、博之の落ち着いた声が流れてきた。「気をつけろ。刺激するな」博之の声が、さらに低くなった。「怖がるな。俺がついてる」麻実の指先がかすかに震えた。彼女は深く息を吸い、老人と向き合った。「人を殺せば、何もかも失うだけです
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第7話
翌日、博之から電話がかかってきた。麻実は一瞬迷ったが、結局出た。博之の声は、相変わらず素っ気ない。「晴菜を連れて、どこに行ってた?」麻実は静かに答えた。「あなたには関係ない」彼は少し間を置き、わずかに声を和らげた。「明日、晴菜が好きな射撃場に行こう。喜ぶだろう」麻実は最初、行くつもりはなかった。けれど晴菜は病室にこもりきりで気分も沈んでいて、射撃場に行きたそうにしていた。その気持ちを踏みにじる気にはなれず、結局連れていくことにした。道中、晴菜はずっと興奮した様子で、車窓を流れる景色を眺めては嬉しそうに笑っていた。怪我をしてから、これほど心からの笑顔を見せるのは初めてだった。怪我をする前の晴菜は射撃の才能に恵まれていて、いつか父のような凄腕の狙撃手になりたいと夢見ていた。けれどあの事件が、その夢を打ち砕いた。麻実は娘の笑顔を見つめながら、こみ上げる涙を押し殺した。これから先、二度とこの子を傷つけさせはしない。博之は射撃場のオーナーと知り合いで、この日も貸し切りにしていた。麻実が車椅子を押して晴菜を場内へと連れていくと、見覚えのある人影が目に入った。博之が、綾子に射撃を教えていたのだ。彼女の手を包み込むように握り、立て続けに5発撃ち、そのすべてが的の中心を撃ち抜いていく。悠斗が歓声を上げた。「パパ、すごーい!」博之は満足げに笑って彼の頭を撫でた。「お前もすごいぞ」晴菜の顔から、笑みが消えていく。以前、どれほど良い成績を収めても、博之が褒めてくれたことは一度もなかった。麻実の表情が一瞬で冷え切り、車椅子の向きを変えてその場を去ろうとした。だが博之が駆け寄ってきて、その行く手に立ちはだかり、冷たく硬い口調で言った。「病院での件、綾子に謝れ。そうすれば、今回の件は不問に付してやると言っている」綾子は彼の後ろに立ち、勝ち誇ったような挑発的な笑みを向けてくる。麻実は氷のように冷え切った表情で言った。「謝る気はない」博之は強く眉をひそめた。「……意地を張るな」麻実は彼を無視して立ち去ろうとしたが、場内のスタッフに引き止められた。晴菜は車椅子から力ずくで抱え上げられ、射線上に連れ出された。麻実は必死に止めようとしたが、がっちりと押さえ込ま
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第8話
ようやく銃声が止んだ。晴菜の体は青紫の痣だらけになり、麻実の腕の中で小さくすすり泣いていた。麻実の心臓が痛み、全身が震えた。「ごめんね、晴菜……ママが連れてきたりしなければ……」博之が近づいてきて、見下ろすように言った。「ゴム弾だ。この距離なら大して痛くもない。大げさに騒ぐな」麻実は晴菜を抱いたまま、無言で背を向けて歩き出した。博之は眉をひそめた。「送っていく」麻実は無表情のまま、彼の脇を通り過ぎた。博之が一歩踏み出し、彼女の手首を掴んだ。「ここ、かなり不便な場所なんだ。車がないと動けない」麻実は足を止め、彼を見据えた。「今すぐ帰るわ」博之は彼女の生気を失ったような目を見つめ、胸の奥の苛立ちがますます膨れ上がるのを感じた。だが、その理由は自分でも分からなかった。彼は頷き、振り返って声をかけた。「今から帰るぞ」悠斗が不満げに叫んだ。「なんでだよ!まだ遊び足りないのに!」博之が冷ややかな一瞥を向けると、悠斗はびくりと身をすくめ、二度と声を上げなかった。すると、綾子が笑って言った。「まあ、ちょうど撃ち疲れたところだし、帰りましょう、博之」まるで家族3人のように片手で博之の腕に絡みつき、もう片方の手で悠斗の手を引く。腕を絡められた博之は、どこか居心地の悪さを感じたようだった。顔を上げ、麻実の表情を目にすると、その顔つきがさっと冷たくなる。それでも、綾子に腕を組まれるままにしていた。帰りの車は四輪駆動車だった。悠斗が我先にと乗り込み、いつも博之が座る助手席を占領した。博之は気にする様子もなく、2列目の席に座り、綾子がぴったりと身を寄せるように隣に座った。麻実は晴菜を抱いたまま、一番後ろの席に座った。自分の隣に座らなかったことに、博之はますます表情を険しくした。車は順調に走り続け、ある橋に差し掛かった時、助手席の悠斗が突然声を上げた。「あれ、これ何?」その言葉とほぼ同時に、カチカチという時限装置のカウントダウン音が響き渡った。博之の顔色が一変した。身を乗り出して足元を確認すると、助手席の座席の下に爆弾が仕掛けられており、カウントダウンはすでに5分を切っていた。「動くな。重量感知式の爆弾だ。少しでも荷重が軽くなれば、即座に起爆する」綾子が悲鳴を上
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第9話
轟音とともに立ち上る炎が、博之の漆黒の瞳に映り込んだ。瞳が激しく揺れ、考える間もなく炎の中へ駆け出そうとした。綾子が力いっぱいその腕を引いた。「博之、落ち着いて!行っちゃ駄目!」博之は力任せにその手を振り払い、目を赤く染めながら、足取りをふらつかせながらも燃え盛る四駆へと突っ込んでいく。容赦ない炎が、またたく間に彼の手の皮膚を焦がした。博之は瞬きひとつせず、うわ言のように繰り返した。「麻実……麻実……!」遅れて到着した警察と特殊急襲部隊の隊員たちが、素早く彼を引き戻す。博之は必死にもがき、顎を小刻みに震わせながら、顔面蒼白で叫んだ。「妻と娘が、まだ中に……俺は麻実を助けに行く……」両目を血走らせ、こめかみに青筋を浮かせながら、彼は崩れるように地面に膝をついた。涙が頬を伝い落ち、握りしめた拳の爪が掌に強く食い込む。うわ言のように彼女の名を呼び続けた。「麻実……っ」特殊急襲部隊の隊長は博之の旧友だった。これほど長い付き合いの中で、彼が泣くのを見るのは初めてだった。内心の動揺を押し殺しながら、燃え盛る車体の火が完全に消し止められるまで、力ずくで彼を押さえ続けた。現場を調べていた捜査員が周囲を確認し、博之に向かって首を振った。「現場に遺体は見当たりません」そのひと言で、博之の全身に生気が戻ったかのようだった。まるで一縷の望みにすがるように、何度も繰り返した。「麻実はきっと逃げ出した。まだ、生きているはずだ!」恐怖に押し流されかけていた理性が、少しずつ戻ってくる。博之は無理やり自分を落ち着かせた。橋の下を流れる急流を見据え、冷たく張り詰めた声で命じた。「妻と娘は、間違いなくこの橋の下の川に落ちている。今すぐ捜索を!」隊長は言った。「もう人員を向かわせている。焦るな、まずは怪我の手当てをしろ」博之は制止を振り切って立ち去ろうとし、掠れた声で言った。「……俺自身の手で、麻実を捜しに行く」隊長は眉をひそめた。「駄目だ。まずは体を治せ。捜索には全力を尽くしている」綾子が慌てて歩み寄り、彼の手を握った。「博之、まずは落ち着いて。手だって酷い火傷をしてるのに……」博之は無表情のまま、焼けただれた自分の手を見下ろした。裂けるような鋭い痛みが遅れて脳を貫いた。彼はふ
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第10話
本部長は眉を寄せて叱りつけた。「彼女は今、お前には会いたくないと言っているんだ!」博之は歯を食いしばった。「本部長。麻実は俺の妻です。どうしても一度、会って話をさせてください!」本部長は机を強く叩いた。「だから、もうお前の妻じゃない!麻実さんはお前に会うために、毎日のように食事を届けに来てたんだぞ。あんなによくできた奥さんをもらって、羨ましがらない奴なんていなかっただろう?それなのに、お前はどうだ。頭にあるのは訓練と任務のことばかり。せっかく休みが取れても、真っ先に向かうのは殉職した同僚の奥さんのところだ。事情を知らない人間が見たら、どっちがお前の妻なのか分からんぞ!」博之は背後で組んだ手をきつく握りしめ、ひと言ずつ区切るように言った。「その……綾子の夫は、俺を助けて命を落としました。俺は……」本部長は冷たく笑った。「はっ。それはお前自身の問題だろう。だからといって、どうしてお前の妻がその犠牲にならなければならないんだ?」博之は俯き、手にした離婚成立を示す書類を握りしめながら、頑なな口調で繰り返した。「俺は、麻実との離婚を認めません」本部長は呆れたように笑うと、追い払うように手を振った。「もう行け。離婚はすでに成立している。麻実さんの意思も固い。それに、ここまでこじれた原因がどっちにあるのか、お前だって分かってるだろ。今さら好き勝手言える立場じゃない」博之は青ざめた顔のまま、反論の言葉すら見つからず、ただ無言で背を向けて立ち去るほかなかった。魂が抜けたような足取りで本部長のオフィスを後にした時、突然、自分を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、拓真が外で待っていた。斜に構えて壁にもたれかかりながら、ひと言ずつ区切って言う。「麻実を捜すのはやめておけ」博之は目を細め、凍りつくような声で問いただした。「お前に何の資格があって、俺と麻実のことに口を出す?」拓真は不敵な笑みを消し、怒りを露わにした。「お前が麻実の逃げ場を奪い、この俺に助けを求めざるを得ない状況に追いやったんだろうが!」博之の瞳の奥に、瞬時に霜が張りついた。渦巻く殺気を、ほとんど抑えきれなくなる。「お前だったのかッ!」彼は一歩踏み出し、力任せに拓真の襟元を掴んだ。「麻実にそうするよう、お前が入れ知恵し
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