恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます

恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます

last updateLast Updated : 2025-06-30
By:  鷹槻れんUpdated just now
Language: Japanese
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夫に離婚届を叩きつけられ、家も居場所もなくした学校図書館司書の桃瀬穂乃(ももせほの)。 行き場のない夜、無愛想な小学校教師・梅本一臣(うめもと かずおみ)が差し伸べたのは、冷たくて優しい“仮”の同居生活だった。 こじらせ教師と傷心司書。 心の距離が縮まるたび、秘密と過去が彼らを試す—— これは、「恋人未満の彼」との、逃げ場みたいな恋のはじまり。

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Chapter 1

1.都市伝説的な①

「あっ。うなちゃん、ダメだよっ」

近所の大きな運動公園をお散歩中、私たちを小走りに追い越して行った男性が、黒いものを落とした。

それを愛犬〝うなぎ〟がすかさずパクッと咥えるから、私は慌てて彼女をたしなめる。

うなぎはビーグルみたいな毛色をした、体重一〇キロちょっとの中型犬ミックスです。耳は柴犬みたいにピンと天を突いた立派な立ち耳で、目の色は虹彩が色素薄めのアンバー。

だからかな? なんとなく目つきが鋭い強面さんに見えてしまうから、しょっちゅう男の子に間違われてしまうの。

だけど残念! うちのうなぎは正真正銘の、可愛い可愛い女の子です!

うなぎは、目の上にチョンチョンと乗っかった四つ目とも呼ばれる白毛の麻呂眉があって、私はそれを彼女のチャームポイントだと思っているの。

本当、いつ見てもうちのうなちゃんは、カッコよくて、めちゃくちゃキュートです!

そんなうなぎが嬉しそうに口に入れているのは、ずんずん遠ざかっていくスウェット姿の男性が落とした黒い手袋(片一方だけ)。

このところうなぎのお散歩コースに時々落ちているんだけど、もしかしてあの人……都市伝説で読んだことがある、『片手袋を落とすバイト』の人なのかしら?

私は小さい頃から都市伝説が大好きで、道路に落ちている片手袋は、そういう怪しいバイトの人の仕業だと読んだことがあるの。

何でも地上げ屋さんが、タンポポやミントみたいに繁殖力旺盛で駆除がしづらい植物の種を仕込んだ片手袋を、狙っている場所に落とすことでその土地や畑の価値を下げて、安く立ち退かさせるための手段にしているとかなんとか。

ん? 胡散臭い? 私ももちろんそう思ってる。

きっと、実際は作業車が荷台なんかに乗せていた軍手が落ちただけ、とか……ポケットや鞄に入れたつもりの手袋が、何かの拍子に落っこちただけ……とかそういうのが大半だろうな。

でも、都市伝説マニアとしては『手袋落としのバイト説』も捨てがたいのです!

うなぎから手袋を取り上げると、私は落とし主の男性を追いかけた。

「あのぉ、もしもしそこの人ぉー! 手袋を落としましたよぉー!?」

軽く駆け足で長身男性を追いかける私の横を、うなぎが嬉しそうにじゃれつきながら並走する。

[穂乃(ほの)しゃ、それ、いつ投げてくれましゅか?]

まるでそんなことを言っているみたいにワクワクした目つきで私が握る手袋を見上げているのを感じるけれど、この手袋はもう、絶対うなちゃんにはあげないんだからね!?

運動といえば、朝晩欠かさず一時間ずつ歩く、この子のお散歩ぐらい。

それだってしょっちゅううなちゃんが【ワンコ通信】のために立ち止まってはにおいを嗅いだりなんかするのに付き合いながら……だから、そんなに運動にはなっていないと思うの。

走ったりするのが苦手な私は、ほんのちょっと頑張っただけで、情けなくも息切れしてしまった。

「あ、あのっ、そこの、かたっ! お願い……だから、止まっ……て、くださ……っ!」

はぁはぁ言いながら懸命に呼びかけたら、うなぎが情けない飼い主を励ますみたいに「ワン!」と吠えてくれた。

そうして――。

「ああ! うなちゃ……、ダメぇ!」

つるりと私の手をすり抜けて、うなぎに繋がったリードの持ち手がポトリと地面に落ちてしまった。

慌てて手を伸ばしたけれど、後の祭り。リードの持ち手は、まるで私を嘲笑うみたいにうなちゃんに引きずられて、ザザァーッと地面を擦りながら逃げて行く。

私は眼鏡がズレてぼやけた視界で、それを呆然と見送った。

そうこうしている間にも、うなぎは重石=私がいなくなって軽くなった身体を持て余したみたいに、前方の男性めがけて物凄いスピードで駆け寄って行ってしまう。

(あーん、これ! 犬が苦手な人だったら大惨事だよぅ!)

うなぎは強面だけど、心根はとっても優しいレディです。

だからね、相手に噛み付いたり飛びついたり……そういうことはしないと思うけれど、それでも突然犬が近付いてきたら、びっくりして転んじゃうかもしれないよ。

私の心配をよそに、うなぎは嬉しそうにスウェット姿の男性の周りを何周もグルグルと走り回る。

「えっ、あ、……ちょ、なっ。……犬っ!?」

うなぎのグルグル攻撃に二の足を踏んで立ち往生する男性の姿に申し訳なさいっぱい。ふたりに近付いた私は、罪悪感に身体を縮こまらせながらやっとのこと、うなぎのリードを握った。

彼、どうやら耳にワイヤレスイヤホンを付けて何かを聴きながら走っていたみたい。

通りで背後から呼びかけても気付いてくれなかったわけだ……。

耳からイヤホンを抜き取る彼の手元をぼんやりと眺めてそんなことを思った後、私はハッとしてぺこりと頭を下げた。

「ひゃぁぁぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、ホントにごめんなさい! うちのうなぎが突然飛び出してきて……きっとびっくりさせちゃいましたよね!?」

下向くと同時、眼鏡がまたしてもズルリとズレて、視界が歪む。

地面を見つめながら眼鏡のつるを戻した私に、頭上から「うちの……うなぎ?」という声が降ってくる。

「あ、うなぎはこの子の名前です。背中が黒くてツヤツヤしてるから……」

私の気持ちなんて知らぬげにヘラリと笑顔を浮かべるみたいに大きく口を開けたうなぎが、私たちを見上げて「ワン!」と吠えた。

まるで自己紹介しているみたいね。

「これはまた……面白い名前を付けられたもんだ」

どこか無愛想に聞こえるけれど、低くて優しい声音に恐る恐る顔を上げたら、男性とバッチリ目が合った。

(ヒッ)

それと同時に思わず心の中で悲鳴を上げてしまったのは、目の前の彼がうなぎの強面顔(こわもてがお)に、勝るとも劣らないヤクザさんっぽい……それはそれは怖そうなお顔立ちをなさっていたからだ。

(こっ、声だけ聞いてたら優しそうだったのに!)

心の中で勝手に『詐欺だよぅ!』と付け加えながら、私は不意にうなぎのリードを持つ手とは逆の手に握りしめたままだった手袋のことを思い出した。

「あ、あのっ。違ってたらすみません!もしかして、貴方......片手袋を落とすバイトとかしてる〝闇バイトの方〟です、か?」

まるで裏社会の人みたいな見た目の男性に、私ってば夕闇迫る晩冬に、一体何を言っているんでしょうね!?

だけどそう思ったのは、目の前の彼――極道さん?――も同様だったらしい。

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1.都市伝説的な①
「あっ。うなちゃん、ダメだよっ」 近所の大きな運動公園をお散歩中、私たちを小走りに追い越して行った男性が、黒いものを落とした。 それを愛犬〝うなぎ〟がすかさずパクッと咥えるから、私は慌てて彼女をたしなめる。 うなぎはビーグルみたいな毛色をした、体重一〇キロちょっとの中型犬ミックスです。耳は柴犬みたいにピンと天を突いた立派な立ち耳で、目の色は虹彩が色素薄めのアンバー。 だからかな? なんとなく目つきが鋭い強面さんに見えてしまうから、しょっちゅう男の子に間違われてしまうの。 だけど残念! うちのうなぎは正真正銘の、可愛い可愛い女の子です! うなぎは、目の上にチョンチョンと乗っかった四つ目とも呼ばれる白毛の麻呂眉があって、私はそれを彼女のチャームポイントだと思っているの。 本当、いつ見てもうちのうなちゃんは、カッコよくて、めちゃくちゃキュートです! そんなうなぎが嬉しそうに口に入れているのは、ずんずん遠ざかっていくスウェット姿の男性が落とした黒い手袋(片一方だけ)。 このところうなぎのお散歩コースに時々落ちているんだけど、もしかしてあの人……都市伝説で読んだことがある、『片手袋を落とすバイト』の人なのかしら? 私は小さい頃から都市伝説が大好きで、道路に落ちている片手袋は、そういう怪しいバイトの人の仕業だと読んだことがあるの。 何でも地上げ屋さんが、タンポポやミントみたいに繁殖力旺盛で駆除がしづらい植物の種を仕込んだ片手袋を、狙っている場所に落とすことでその土地や畑の価値を下げて、安く立ち退かさせるための手段にしているとかなんとか。 ん? 胡散臭い? 私ももちろんそう思ってる。 きっと、実際は作業車が荷台なんかに乗せていた軍手が落ちただけ、とか……ポケットや鞄に入れたつもりの手袋が、何かの拍子に落っこちただけ……とかそういうのが大半だろうな。 でも、都市伝説マニアとしては『手袋落としのバイト説』も捨てがたいのです! うなぎから手袋を取り上げると、私は落とし主の男性を追いかけた。 「あのぉ、もしもしそこの人ぉー! 手袋を落としましたよぉー!?」 軽く駆け足で長身男性を追いかける私の横を、うなぎが嬉しそうにじゃれつきながら並走する。 [穂乃(ほの)しゃ、それ、いつ投げてくれましゅか?] まるでそんなこと
last updateLast Updated : 2025-06-05
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だけどそう思ったのは、目の前の彼――極道さん?――も同様だったらしい。 どすの利いた声で「はぁ? 何言ってんだよ、あんた」と吐き捨てられ、ギロリと睨まれた私は、今度こそ「ヒィッ!」と声を上げて後ずさった。 「す、すみません! わ、私、闇バイトなんて知りません! 気のせいでした! 忘れてください!」 そうでした! 確か例のバイト、片手袋は誰にも気付かれず、スマートに落とさないといけなかったはずですし、落としたことを誰かに気付かれただけならまだしも、バイトでしたことだとバレたらきっと大事に違いないのです! 見られたらどうなるのかは分からないですけど、見た側が「見ぃ〜たぁ〜なぁ〜?」というおどろおどろしいセリフを投げかけられてピンチに陥るのは、日本のホラーのセオリー。 指摘した私がバカでした! 「こ、これ、お返しします!」 これ以上、眼前の大男に何かを喋らせてはいけない! そう思った私はとっさに強面ヤクザさんの眼前へ、手にしていた片手袋をぐいっと突き出した。 が、その途端。 「ワン!」 待ってました! とばかりに愛犬うなぎが私の手から手袋を奪取してしまう。 「ああああ!」 慌てて取り返したけれど、後の祭り――。 元々うなぎのヨダレで若干湿っぽかった手袋は、追いヨダレで悲惨なことになってしまった。 (はぅ、こんなドロドロの状態ではとてもお返し出来そうにありません!) 私は恐る恐る彼を見上げると、再度頭を下げた。 「あ、あのっ。わ、私っ、杉岡穂乃と言います。この公園にはいつも今くらいの時間にこの子のお散歩に来ています。確か極……」 ついうっかり、〝極道さん〟……と言いそうになったのを慌てて封印すると、何とか無難そうな言葉に置き換えて続ける。 「……あ、貴方様も毎日同じ時間にここでランニングしていらっしゃいます、よ、ね?」 今日までこんな風にしっかり対面したことなんてなかったから、彼がこんなに怖いお顔をなさった方だとは露ほども知りませんでしたが、ランニングなさっているお姿はかねがねお見かけしていました! 私の決死の言葉に、男性は意外にも「で? 何が言いたい?」と先を促してくれる。 あれ? 案外いい人かも……? (い、言い方はつっけんどんでめちゃくちゃ怖いですけどね!?) そんなことを思いながら、私はフルフルと震える声を懸命に落ち着
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last updateLast Updated : 2025-06-17
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3.ヤクザさん(?)の正体⑤
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last updateLast Updated : 2025-06-18
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4.さよならの雨と、拾われた夜①
 五月に入ったばかりという今日、まだ梅雨ではないけれど、外はあいにくの雨模様だった。「ごめんなさい、孝夫さん。今日は月に一度の委員会活動の日で残業なの」 私の勤め先の青葉小学校では、毎月大体第四月曜日の五時間目が、各委員会の定例集会になっている。  校内にいくつもある様々な委員会所属の五・六年生たちが、各々定められた場所へ集まってイベントの取り決めをしたり、日々の反省会をしたり……。月によってやることはまちまちだ。  私が担当する図書委員会の児童らは、図書室に集まって定例会をする。  基本的には教員免許を所持している司書教諭の白石先生が主体になって議事進行をなされるのだけれど、図書委員会では学校図書館司書の私も白石先生の補佐として委員会活動に参加するのがずっと続いてきた習わし。  今年度初の委員会発動は年度はじめでバタバタしていた絡みで、四月が飛んだから、第一月曜日の今日が委員会活動に割り当てられていた。 年間行事予定表へ視線を落としながら夫の孝夫さんに声を掛けたら「はぁ? 何で今日。いつも月末辺りだっただろ」と、あからさまに溜め息を落とされる。  さすがに頭のいい人だ。委員会活動が大体第四月曜日に開かれていたことを覚えているみたい。 「今回は年度初めでごたついていて、四月の第四月曜日に出来なかったから今日になったの」  ごめんなさい、と付け加えながら答えたら、「ふーん。……で、俺の夕飯はちゃんと支度して出るんだろうな?」と返ってきた。それはある意味想定の範囲内の質問だったから、私は電子レンジの中へワンプレーと料理が用意してある旨を告げる。 「申し訳ないけど電子レンジで温めてもらえますか?」  炊飯器は孝夫さんのいつもの帰宅時刻に合わせて仕掛けておいたから、炊き立てのご飯も食べられるはず。 「はぁ? わざわざ疲れて帰ってきた亭主に飯、温めて食えって言うのかよ? すっげぇ面倒くせぇんだけど!? あー、もういいや! それお前が食えよ。俺、外で食って帰るから」  チッと舌打ちして「ホント使えねぇ女」とわざと聞こえるように私を罵ってから、「あー、あと。お前がいなくてもクソ犬が騒がねぇようにしっかり躾けとけ。ホントあいつ、お前がいないってだけでうるさくて仕方ねぇ」と付け加えてくる。 「はい……。ごめんなさい」  ケージの中、良い子にお座りをし
last updateLast Updated : 2025-06-21
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