로그인夫の坂梨久弥(さかなし ひさや)が空港から長年想い続けてきた女性を連れて帰ってきた夜のことだった。彼は帰宅するなり、荷物を置くこともなく、妻である私、坂梨希美(さかなし のぞみ)を死んだことにして葬儀を執り行うと言い出した。 小湊未那(こみなと みな)は、久弥が少年時代から憧れ続けてきたものの、手の届かなかった高嶺の花であり、私の両親が20年もかわいがってきた養女でもある。 5年前、彼女は「恋愛に縛られたくない」と久弥を振り、ひとりで、海外へと渡った。 それから半年も経たないうちに、私のことを妹のようにしか見ていなかったはずの久弥が、突然、私に猛烈なアプローチをしてきたのだ。 初めは戸惑った。けれど彼はそれから丸2年、私に想いを伝え続け、未那への未練はとっくに断ち切ったと断言した。だから私は、彼との結婚を決めたのだ。 そして今、帰国した未那は、両親と兄の小湊崇樹(こみなと たかき)、それに久弥を名指しで空港まで迎えに来させた。 「希美だけは来ないように」と。 皆が帰宅してから、私はようやく事情を知らされた。未那は私と久弥の結婚を知ってから精神的に不安定になり、双極性障害と診断され、薬を大量に飲んだことさえあったのだという。 私がこの世にいる限り、自分の心の病は一生治らない。そう言って、皆に泣きついたらしい。 だから久弥は、あらかじめ用意していた訃報の文面を私の目の前に突きつけてきた。 「葬儀が終わったら、ここを出ていけ。周囲との連絡もすべて断て。未那の病気が治るまで、二度と俺たちの前に現れるな」 私が反論する間もなく、母が目を真っ赤にして私を責め立てた。 「未那ったら、いつもいい話しかしてこなかったから……こんなに具合が悪かったなんて知らなかったのよ!あなたが久弥くんとの結婚を強引に押し通したりしなければ、未那がここまで追い詰められることもなかったのに!」 父と崇樹も、家族のことを考えて、どうか言うことを聞いてほしいと私を説得にかかった。 けれど、当時、久弥はもう過去を吹っ切れているのだからと、彼を受け入れるように私の背中を押したのは、ほかならぬ家族自身だったというのに。 皆、すっかり忘れているようだった。私も重度のうつ病を患っているということを。 ここ数年、私は薬を欠かさず飲み、通院を続け、やっとの思いで今日まで生きてきた。それなのに今、いちばん身近な人間たちが、私自身の存在を消し去れと強要してくる。 もう、いい。 私が死ななければ未那は生きられないと皆が言うのなら、望みどおりにしてあげる――
더 보기墓誌の文字を彫り直したのは、1か月後のことだった。石材店の職人が、どのように直すかを確認した。母は墓誌に刻まれた「愛娘」の文字を、長いこと見つめていた。その横には、以前自分たちが希望して入れた、希美の名前が刻まれている。「この文字は、消してください」母は静かに言った。「私に、あの子をそう呼ぶ資格はありません」隣に立っていた久弥も、しばらく黙ったあと口を開いた。「『愛妻』も、消してください」後日、職人は指定された文字を少しずつ削り落とし、表面を磨き直した。墓誌に残ったのは、私の名前だけだった。坂梨希美。その前に誰かの呼び名もなく、そのあとに誰かの名前もない。まっさらな、私だけの名前。その年の秋、未那の件について捜査の結果が出た。薬を隠したことも、病状を偽ったことも、次々と明らかになり、彼女には、その行為に応じた処分が下された。小湊家は未那との離縁手続きを進めた。留学先の学校にも、すでに籍はなく、彼女の手元にはほとんどお金が残っていなかった。その後、小さな食堂の厨房で、彼女を見かけたという人がいた。洗い場に立ち、両手は水仕事で白くふやけていたという。彼女に気づいた客が、墓地での一件を店の従業員たちに言いふらした。翌日、彼女はその店を辞め、別の店に移った。それからほどなくして、また別の店に移った。彼女は相変わらず、自分は心の病を抱えていると言っているらしい。けれどもう、耳を貸す人はどこにもいなかった。母は毎月1回、あのバスに乗るようになった。病院から家まで乗り、家からまた病院まで戻る。腰の具合は次第に悪くなり、降りるたびに手すりにつかまって、しばらく立っていなければならなかった。母は、ついにあのマッサージチェアを買うことはなかった。お墓参りに来るたび、母は栗まんじゅうをひとつ、墓前に供えた。あるとき、母はそこにしゃがみ込んで、そっと言った。「希美、お母さん思い出したの。あなたも小さいころ、これが好きだったわね。あのとき未那も欲しがったから、お母さん、あなたの分まであの子に譲らせてしまったのよね。あなたは泣かないで、ひとりで庭に遊びに行ったのよね」私は母の後ろに立っていた。母は、思い出したのだ。20年以上も遅れて。父は煙草をやめた。
納骨の日は、朝から雨が降っていた。激しい雨ではない。霧のような細い雨が、朝から昼まで絶え間なく降り続いていた。墓地の鉄の門は開いていて、門の内側には森下先生と千尋、それに係の人が2人立っていた。門の外には、小湊家の家族と久弥が立っていた。前の晩、久弥は墓地の使用許可に関する書類を森下先生に手渡していた。「この墓を用意したのは俺です。でもあいつがここに入るなら、もう俺が取り仕切る資格はありません」森下先生は書類を受け取り、彼を一瞥した。「彼女がカードに書いたことはふたつです。そのどちらにも、あなたたちに見送ってほしいとは書いてありませんでした。来るのは構いません。外にいてください」彼はうなずき、反論しなかった。係の人がまず、管理事務所に預けてあったあの空の骨壺を運んできた。そのそばには、未那が供えた手紙も残されていた。封筒には【お姉ちゃんへ】と書かれている。森下先生は封筒を開けずに、空の骨壺と一緒に門の外へ差し出した。母が震える手を伸ばし、骨壺と封筒を受け取った。骨壺は軽かった。まるで何も入っていないかのように軽かった。偽の葬儀のとき、母はこの骨壺を抱えて、お墓の前で立っていられないほど泣いていた。今度は、母は封筒から手紙を取り出し、皆の見ている前で粉々に引き裂いた。破れた紙片は雨水の中に落ち、たちまちふやけていった。それから母は空の骨壺を抱えたまま門の外に立ち尽くし、もう動かなかった。森下先生は私の骨壺を抱え、1歩、また1歩と、お墓の前へ歩いていった。千尋が傘をさして寄り添い、その手には祖母のマフラーがあった。納骨室の蓋が開けられた。森下先生はしゃがみ込み、骨壺をそっと中へ納めた。千尋はマフラーを畳み、骨壺の上にそっと置いた。森下先生は鞄から、あの付箋と【お母さんの誕生日】と書かれた封筒、それに4冊目のノートを取り出し、マフラーのそばにまとめて納めた。「彼女が貯めたものも、書き残したものも、一緒に持たせてあげましょう」門の外でその封筒を見た母は、口を押さえてしゃがみ込んだ。久弥は、ずっと雨の中に立っていた。手にはあの黒い長傘を持っていたが、開かなかった。髪から水滴が滴り落ち、スーツはずぶ濡れになって肌に張りついていた。兄が自分の傘を彼のほうへ差
二度目の訃報も、兄が書いた。偽の訃報を出したときは、亡くなった経緯について書くところで手を止めただけで、あっさりと打ち込んでいた。今度は、パソコンの前に一晩中座り、書いては消すことを繰り返し、最後に2行だけを残した。【坂梨希美は、葬儀の翌日未明に永眠いたしました。先日の訃報は事実ではありません】訃報を出して丸1日が経過しても、電話は数本しかかかってこず、どれも事情を不審がる内容だった。お別れの会の会場は、前回と同じく、市の東部にある斎場の小ホールだった。係の人は彼らの顔を覚えていた。二度目の訃報に目を通したが、何も言わなかった。祭壇に飾る遺影は、別の写真にしなければならなかった。母は家中のアルバムをひっくり返して、初めて気づいた。大人になってからの私がひとりで写っている写真は、1枚もなかったのだ。家族写真の私はいつも端に立っていて、肩が半分しか写っていないものさえ何枚かあった。結局使われたのは、社員証用の顔写真だった。兄が私の勤務先の人事担当者からもらったものだ。写真の私は笑っておらず、目の下には濃いくまがあった。うつ病の診断を受けて4年目に撮ったものだった。偽の葬儀の際、ホールは参列者で埋まっていた。今回足を運んでくれたのは、遠縁の年配の親戚が2人だけで、10分もしないうちにそれぞれ家族から連絡を受け、慌ただしく帰っていった。遠縁の叔母は、親戚のグループチャットにひと言だけ書き込んだ。【今回の葬儀には、私たちは参列しません】誰も、それに返事をしなかった。兄は千尋に電話をかけた。千尋は電話越しに兄の話を最後まで聞き、しばらく黙り込んだ。「お葬式なら、もう挙げたじゃないですか。あの日、私は行きました。泣きもしました。二度目は、もう行きません」電話が切れた。兄はホールの入り口に長いこと立ち尽くしていた。係の人がやって来て、祭壇にお供えするものはありますかと尋ねた。母は首を横に振った。「ありません。娘の私物は、前の葬儀のときにほとんど整理してしまったので」言い終えて、母自身が凍りついた。前回、母は私の服や本、大切なノートを、次々と自らの手で整理したのだ。今度は、祭壇に供える私のものを何かひとつ探そうとしても、何ひとつ見つからなかった。父がポケットから
森下先生は、母の願いを聞き入れなかった。ただこう告げた。「明日の朝7時、病院の前で待っていてください」母は約束よりずいぶん早く着いた。まだ空が白み始めたばかりの時刻だった。やって来た森下先生は病院には入らず、母を連れて、道路を挟んだ向かい側のバス停へ向かった。「彼女は通院のたびに、このバスに乗っていました。まずはこのバスに乗ってみましょう。そうすれば、彼女が毎回どんな道のりを通って、ここまで来ていたのかわかりますから」バスが到着し、ふたりは乗り込んだ。バスに1時間あまり揺られ、さらに乗り換えて40分。そうしてようやく、小湊家の最寄りの停留所に着くのだ。母は窓の外を眺めながら、次第に無口になっていった。「こんなに遠いなんて……家の近くにも病院はあったのに、どうしてこんな遠くまで?」森下先生は窓の外を見たまま淡々と答えた。「家の近くの病院だと、知り合いに会うかもしれないからと。小湊家の娘が精神科に通っていると知られたら、世間体が悪いからって」膝の上に置かれた母の手が、ぎゅっと白くなるほど握りしめられた。私はふたりの後ろの空いた席に座っていた。このバスに、私は8年乗った。停留所の名前は、すべてそらで言えた。最初の1年は、よく車内で泣いた。運転手が心配して振り返るほどに。そのうち泣かなくなった。車内でひと眠りすれば、ちょうど目が覚めるころに着くことを覚えたからだ。小湊家の近くの停留所に着いたときには、もう2時間が経っていた。森下先生はバスを降りると、今度は母を連れて反対側のバスに乗り、病院へ引き返した。「通院のたびに、この往復です。4時間。1回の通院で、ほぼ丸1日がつぶれる。それでも次の日は、いつもどおり出勤していました」窓際の席に座った母は、ほどなくして腰をさすりはじめた。往復を終えるころには、腰が痛んでまっすぐに伸ばせなくなっていた。森下先生は母をちらりと見たが、何も言わなかった。森下先生が何を考えているのか、私にはわかった。あのマッサージチェアは、このためのものだったのだ。病院に戻ったのは、昼になってからだった。森下先生は母を3階へ連れていき、精神科の待合室まで来ると、壁際の長椅子を指さした。「高熱を出したとき、彼女が眠ってしまったのは、ここです」
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