เข้าสู่ระบบ顔合わせから数日。
佳苗の母親からは、何の連絡もなかった。
普段なら、少し言い合いになったあとでも翌日には何事もなかったように連絡してくることが多い。それが今回は珍しく静かだった。
「怒ってるのかな……」
佳苗はスマートフォンを見ながら呟いた。
「母親?」
向かいに座っていた雄吾が顔を上げる。
「はい。顔合わせから一度も連絡がなくて」
「放っておけばいいだろ」
「そうなんですけど」
嫌われたくない。
怒らせたくない。
そう思う癖は、まだ完全には消えていない。
けれど、だからといって自分から謝るのは違う。
「私、言いすぎましたか?」
「何を?」
「お母さんの生活が変わるって期待しないで、って」
「事実だろ」
「そうなんですけど……」
「じゃあ、謝る
顔合わせから数日。 佳苗の母親からは、何の連絡もなかった。 普段なら、少し言い合いになったあとでも翌日には何事もなかったように連絡してくることが多い。それが今回は珍しく静かだった。「怒ってるのかな……」 佳苗はスマートフォンを見ながら呟いた。「母親?」 向かいに座っていた雄吾が顔を上げる。「はい。顔合わせから一度も連絡がなくて」「放っておけばいいだろ」「そうなんですけど」 嫌われたくない。 怒らせたくない。 そう思う癖は、まだ完全には消えていない。 けれど、だからといって自分から謝るのは違う。「私、言いすぎましたか?」「何を?」「お母さんの生活が変わるって期待しないで、って」「事実だろ」「そうなんですけど……」「じゃあ、謝る必要はない」 雄吾はそう言ってから、少し考えるように続けた。「ただ、今後どう付き合うかは佳苗が決めればいい。縁を切れって話でもない」「はい」「普通に話したくなったら話せばいいし、今は話したくないなら連絡しなくていい」 佳苗は頷いた。 何も、母親との関係をすべて断つ必要はない。 ただ、自分が嫌だと言ったことまで受け入れなくていい。「もう少し、このままにしておきます」「ああ」 ◇ 一方。 母親もまた、佳苗から連絡が来ないことを気にしていた。「……普通、娘の方から何か言ってくるでしょう」 顔合わせでは恥をかいた。 そう思っている。 服の話など、ほんの軽い冗談のようなものだった。それなのに佳苗は皆の前で止め、雄吾まで自分を拒絶した。 ただ。 冷静になればなるほど、母親にも一つ
顔合わせの日程は、翌月の土曜日に決まった。 雄吾が選んだのは、ホテル内にある日本料理店の個室だった。格式ばりすぎず、それでも両家が初めて顔を合わせる場としては十分に落ち着いている。 佳苗も店の写真を見せてもらい、すぐに賛成した。「ここなら、お母さんも文句ないと思います」「文句が出る前提なのか」「この前、ホテルじゃないのって言われたので」「じゃあ条件は満たしたな」 雄吾はそう言って笑った。 母親には店名と時間だけを伝えた。 すると、すぐに返信が来る。『ここ、結構いいところじゃない!』 続けて。『やっぱりちゃんとした顔合わせにするのね。安心したわ』 佳苗は画面を見て、何とも言えない気持ちになった。 自分たちは「ちゃんとした顔合わせ」にするためにこの店を選んだわけではない。個室でゆっくり話せて、両家が落ち着いて食事のできる場所を探した結果だ。 けれど、わざわざ訂正するほどでもないだろう。『当日はよろしくね』 それだけ返した。 ◇ 顔合わせ当日。「佳苗!」 待ち合わせ場所へ現れた母親を見て、佳苗は目を瞬いた。 見覚えのない服だった。 落ち着いた色合いではあるが、普段の母親が着ているものより明らかに華やかだ。「その服……」「買ったのよ」「そうなんだ」「せっかくの顔合わせだもの。さすがに普段着ってわけにはいかないでしょう?」「似合ってるよ」「でしょう?」 母親は満足そうだった。 自分で用意したのなら、それでいい。「雄吾さんは?」「もうご両親と中にいるよ」「そう」 母親は少し緊張したように服を整えた。「変じゃない?」「大丈夫だよ」「本当に?
数日後。 佳苗のもとへ、母親から電話がかかってきた。『ねえ、佳苗。結婚のことなんだけど』「うん」『入籍はいつにするの?』「まだ決めてないよ。これから二人で話すところ」『式は?』「それもまだ」『そうなの? 雄吾さんの家なら、ちゃんとした式をするんでしょう?』 母親の声には、妙な期待が滲んでいた。 佳苗は少しだけ眉を寄せる。「分からないよ。私たちの結婚だから、二人で決めるつもり」『でも、雄吾さんは会社の社長でしょう? 取引先とか呼ばなくていいの?』「仕事のために結婚するわけじゃないから」『そういうものなのかしら』 納得していないらしい。『それより、顔合わせはするでしょう?』「それはすると思う」『いつ?』「だから、まだ決まってないって」『早めに教えてよ。私だって準備があるんだから』「準備?」『着ていくものとか。相手は雄吾さんのご両親でしょう? 変な格好じゃ行けないじゃない』 それは確かにそうかもしれない。「決まったら早めに連絡するね」『お願いね』 そこで話が終わるかと思った。 しかし、母親は少し間を置いてから続けた。『それでね、佳苗』「何?」『結婚したら、今のマンションに住み続けるの?』「まだ決めてないよ」『新しい家を買ったりするのかしら』「どうだろう」『雄吾さんなら一戸建てだって買えるでしょう?』「買えるかどうかじゃなくて、必要かどうかで決めるよ」『そうだけど……』 母親はなぜか歯切れが悪い。 佳苗は嫌な予感がした。「お母さん、何が聞きたいの?」『別に。ただ、あなたがこれからどんな生活をするのかなって』
週が明けても、佳苗はまだ左手の指輪に慣れなかった。 パソコンへ文字を入力しているとき。書類を受け取るために手を伸ばしたとき。ふと視界に入るたびに、土曜日のことを思い出してしまう。「朝倉さん、それ」 昼休み、向かいに座った同僚が佳苗の左手を見て目を丸くした。「もしかして婚約指輪?」「あ……はい」「えっ、本当に!? おめでとう!」 声が少し大きくなり、近くにいた同僚まで振り返った。 あっという間に何人かから祝福され、佳苗は照れながら頭を下げる。「ありがとうございます」「いつ結婚するの?」「まだ何も決めてなくて。プロポーズされたばかりなんです」「いいなあ。幸せそう」 そう言われて、佳苗は自然に笑った。「はい」 以前なら、こんなふうに迷わず答えられただろうか。 幸せだと口にすることさえ、誰かに遠慮していたような気がする。 けれど今は。 嬉しいものは、嬉しいと言っていい。 佳苗はもう一度、指輪へ目を落とした。 ◇ その日の午後。 美佐子は絢子と会っていた。 以前から約束していた用事があり、二人で買い物をしたあと、近くのカフェへ入ったのだ。「この前言ってたもの、見つかってよかったわね」「ええ。付き合ってくれてありがとう」「私も楽しかったもの」 絢子はいつも通り笑っている。 雄吾との距離を置くようになってからも、美佐子との付き合いまでなくなったわけではない。 それでいい。 佳苗も、美佐子と絢子が会うこと自体を嫌がってはいない。 分かっているのに、美佐子は今日ずっと落ち着かなかった。「……ねえ、絢子ちゃん」「何?」「ちょっと、話しておきたいことがあるの」 絢子の手が止まった。 美佐子の表情を見ただけで、何かを察したのかもしれない。「雄吾のことなんだけど」「……うん」「佳苗さんに、プロポーズしたの」 一瞬。 本当に一瞬だけ。 絢子の顔から表情が消えた。 だが、すぐに微笑む。「そう」「佳苗さんも受けてくれたって」「……よかったじゃない」「ええ」「雄吾さん、ずっと佳苗さんのこと大切にしてたものね」 穏やかな声だった。 けれど、美佐子には分かった。 カップを持つ絢子の指に、わずかに力が入っている。「絢子ちゃん」「何?」「無理しなくていいのよ」 その言葉を聞いた瞬間、絢子
指輪をはめてもらってからも、佳苗は何度も左手を見てしまった。 歩き始めてからも、陽の光を受けて指輪がきらりと光るたびに目が吸い寄せられる。「そんなに見るものか?」 隣を歩いていた雄吾に言われ、佳苗は慌てて手を下ろした。「だって、まだ慣れないので」「さっきつけたばかりだからな」「そうですけど……」 もう一度、そっと左手を見る。 嬉しい。 ただそれだけなのに、胸の奥がふわふわして落ち着かない。「サイズ、大丈夫か?」「ぴったりです。どうして分かったんですか?」「調べた」「どうやって?」「秘密」「また秘密ですか?」 佳苗が睨むと、雄吾は笑った。「もう必要ないから、そのうち教える」「絶対ですよ?」「ああ」 そんな会話をしながら庭園を歩く。 プロポーズをされたのだから、もっと劇的に何かが変わるのかと思っていた。 けれど、雄吾はいつもの雄吾で、佳苗もいつもの佳苗だった。 ただ、左手にある指輪だけが、確かに二人の関係が一つ先へ進んだことを教えてくれている。 ◇ 帰りの車の中で、佳苗はふと思い出した。「これ、お母様にはいつ伝えます?」「母さん?」「はい。きっと喜んでくださいますよね」「今日帰ってからでいいんじゃないか」「今日?」「早い方がいいだろ。別のところから耳に入るような話でもないし」 その言葉に、佳苗は少しだけ考えた。 以前なら、美佐子が絢子に話すのではないかということまで気になったかもしれない。 けれど今は、それは美佐子と絢子の問題だと思える。「そうですね」「佳苗の母親には?」 今度は佳苗が黙った。「……伝え
雄吾が何かを隠している。 そう気づいてから数日、佳苗は少しだけ落ち着かなかった。 もちろん、悪い意味ではない。 この前の旅行でも、雄吾は「ちゃんと俺から言う」と言っていた。そのうえ銀行へ連れていかれ、結婚後の生活についてまで話したのだから、何を準備しているのかは何となく想像できる。 だからこそ、気になってしまう。「……いつなんだろう」 仕事中、ふとそんなことを考えてしまい、佳苗は慌てて目の前の書類へ意識を戻した。 まさか今日ではないだろう。 週末かもしれない。 それとも、もっと先なのか。 考え始めるときりがなかった。「朝倉さん、どうしたの?」 隣から声を掛けられ、佳苗は顔を上げた。「え?」「さっきから同じところ見てない?」「……すみません」「珍しいね。何かあった?」「いえ、何でもないです」 佳苗は誤魔化すように笑った。 まだ何も決まっていないのに、誰かに話すのは恥ずかしい。 それに、これは雄吾と自分のことだ。 今度こそ、周囲の言葉に急かされるのではなく、二人の間で進めていきたかった。 ◇ 一方、雄吾は昼休みに一本の電話を掛けていた。「榊原です。先日お願いした件ですが」『はい。ご用意できております』「分かりました。今日、仕事のあとに伺います」 短いやり取りを終え、電話を切る。 机の上には、佳苗と話したことを書き留めたメモがあった。 派手なことは苦手。 人前で注目されるのも好きではない。 何かを決めるときには、自分で考える時間が欲しい。 どれも一緒に過ごすうちに分かってきたことだ。 だから、大勢の前で驚かせるようなことをするつもりはなかった。 必要なのは、佳苗が断ろ
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。