LOGIN瀬戸美夕(せと みゆ)はまる一年間「失明」していたが、どんな目の見える人よりも物事を見抜いていた。 たとえば、婚約者の須藤準一(すどう じゅんいち)が、つい先ほど別の女性と婚姻届を提出したことについても―― …… 美夕はベッドの端に腰を下ろすと、その美しい瞳はうつろに前方を見つめていた。まるで本当に何も見えていないかのように。 ところが、準一のスマホの画面が新しいメッセージで光った瞬間、彼女の視線はぴたりとその内容を捉えた。 【準一!嬉しくて一秒だって待てない。ずっと一緒にいたい】 送信者は河野玲子(かわの れいこ)だ。 心底では冷ややかな笑いがこみ上げる。彼女は手探りで準一のスマホを取り上げ、さりげなく指先で画面をタップした。音もなくロックが解除されると、そのまま彼と友人のトーク画面を開いた。 ほんの一瞥しただけで、頭の中がゴーンと爆発するような衝撃に襲われ、全身の震えが止まらなくなった。 【体が回復したばかりなのに、こっそり玲子さんと婚姻届を出したなんて、美夕さんに申し訳ないと思わないのか!】
View More披露宴が終わると、二人は新婚用の部屋へと戻った。ユニアは酔いの回った美夕を支えながらベッドに座らせ、水を汲んでこようと振り返った瞬間、美夕にそっと止められた。彼女はユニアの胸に顔をうずめ、声をつまらせるように言った。「ずっと……もう自分に家族なんてできないって思ってた。でもあなたに会えて初めて、家族がいるって感じられたの。ユニア、ありがとう。あなたのおかげで、やっと『帰れる場所』ができたんだよ」ユニアはそっと彼女の背を撫でながら、低く優しく答えた。「これからの美夕は、ずっと家族のある人だよ」美夕の気持ちが落ち着くのを待って、ユニアはそっと彼女を横たえ、布団をかけてあげた。翌朝、美夕が目を覚ますと、隣にはユニアの寝顔が広がっていた。結婚したという実感がじわりと胸にこみ上げ、幸せが静かに満ちていくのを感じながら、朝食の支度をしようと起き上がろうとしたその時、うっかり一冊のノートを床に落としてしまった。ぱらりと軽い音と共に、中の紙が床一面に散らばった。彼女はしゃがみ込んで拾い集めようとしたが、一枚一枚に整った文字が書かれていることに気がついた。【今日は、とても感性の豊かなデザイナーに会った。彼女がデザイン理念を語るとき、瞳がまるで光を宿していた。この東洋の少女には、何か特別なものを感じる】【今夜、彼女がスタジオで遅くまで残業しているのを見かけた。本当はもう帰るつもりだったのに、なぜか気づいたら彼女にコーヒーを淹れていた】美夕は思わず次の紙へと目を走らせた。そこにはそれぞれ違う心情が綴られている。【今朝、通勤途中で彼女に出会った。彼女のほうから声をかけてくれて、笑顔が本当に素敵だった】【そして今日、ついに僕たちは結ばれた!彼女のうるさい元カレがまたしつこく付きまとってきて、頭に血が上った僕は思わず告白してしまった。彼女がそれを聞いた時の呆然とした顔……本当に可愛かった】美夕は床にしゃがみこみ、気づけば涙が頬を伝っていた。ユニアは、そうして彼の愛で少しずつ彼女の心を癒やしてくれていたのだ。美夕は散らばった紙をすべて拾い上げ、時系列に並べ直した。びっしりと書き込まれた文字を見つめているうちに、涙は堰を切ったように溢れ出した。そのとき、背後でかすかな物音がした。振り返ると、ユニアがいつの間にか目を覚まし、ベッ
「瀬戸さん、河野さんはあなたが去られた最初の年に心を病んでしまい、今は精神科の病院に入院しています。準一は……失明してから誰とも連絡を取らず、ずっと家に閉じこもったままです。このままだと心配でなりません。どうか……彼に電話をかけて、少しでも説得してあげてくださいませんか?」美夕はメッセージを読み終えると、数秒間沈黙し、それからスマホからSIMカードを抜き取り、静かに折ってゴミ箱に投げ入れた。過ぎ去った日々は、もう振り返りたくない。ある日、ミラノの風が細かな雪片をまき散らし、頬を打ちつけた。美夕は思わず首をすくめたが、街角に見えたあの懐かしい姿を目にした瞬間、凍えるような寒さを忘れていた。二年という歳月は、冬の風に舞う落ち葉のように、瞬く間に跡形もなく消えていった。ミラノの冬の初雪が降る日、ユニアは彼女が去年の誕生日に贈ったキャメル色のコートを身にまとい、腕に目を引く真紅のバラの花束を抱えて、二人がよく訪れたレストランの入口に立っていた。周囲には次々と人々が集まり始め、美夕の見覚えのある顔も多かった。美夕のスタジオの仲間たち、彼女の恩師、そしてこの二年間で親しくなった地元の隣人たちもいる。誰もが思わず笑みを浮かべ、期待に満ちた眼差しで、ユニアの背後から二人を見つめていた。彼女の姿を目にしたユニアは深く息を吸い込み、指先でそっと上着のポケットに触れると、一歩、また一歩と彼女に向かって歩み寄った。雪はますます激しくなり、彼の髪先にも降り積もっている。美夕の目の前にたどり着いたその瞬間、彼は突然片膝をつき、背筋を伸ばしたまま、わずかに緊張した面持ちで、指先までほんのりと赤く染まっていた。「美夕」ユニアの声はいつもより少し低く、それでいて一語一語がはっきりと雪の降りしきる空気を貫いた。「この二年間、僕は毎日、あの時君をスタジオに迎えた決断を、心からよかったと思っている」そう言い終えると、彼はゆっくりとコートのポケットからベルベットの小箱を取り出した。蓋を開けた瞬間、ダイヤの指輪が雪明かりに冴え、一層きらめきを増した。周囲の人々は一斉に静まり返り、聞こえるのは雪が傘の上に落ちるかすかな音だけだった。「僕はずっと、愛って手の届かないものだと思っていた。でも君と出会って、それが違うってわかったんだ」ユニアは顔を上げ、美
ユニアは彼女の瞳をまっすぐに見つめ、言葉を一つひとつ区切るように言った。「瀬戸さん、俺と恋をしないか?」目が合ったその瞬間、美夕はユニアの瞳の奥に、驚きを隠せない自分の姿が映るのを見た。ユニアの目は澄み切っていて、そこには真剣さしかなかった。冗談のかけらもなく、その誠実さは彼女に拒む余地すら与えなかった。呆然と立ち尽くす彼女を見つめ、ユニアはふいに身をかがめ、そっとその額に口づけを落とした。そして柔らかく微笑みながら言った。「ごめん、堪えきれなかった。あまりに可愛くて」あまりに率直な告白に、美夕は息を呑み、言葉を失った。だがユニアは彼女の手を取り、そのまま力強く言葉を続けた。「美夕さん、初めて空港で会った瞬間から好きになったんだ!」 美夕は目の前の男をまっすぐに見つめた。その時、背後から震える声が聞こえた。「美夕、お前ら……」彼女が振り返ると、少し離れた場所に準一が立っていた。目は真っ赤に充血し、怒りを顔に浮かべている。まるで負け犬のように荒い息を吐くと、突然ユニアに猛然と駆け寄り、その頬に拳を振り下ろした。「この野郎!」ユニアは即座に反撃に転じた。二人はたちまち取っ組み合いとなり、拳が肉にぶつかる鈍い音が響き、見ている者の心臓を締め付けた。「やめて!二人とも、やめて!」美夕は必死に叫びながら走り寄り、二人を引き離そうとした。しかし混乱の中、誰かに強く押されたはずみで、彼女はよろめいて後ろに倒れ、道路に転がってしまった。その瞬間、一台の車が猛スピードで突っ込んできた。眩しいヘッドライトが彼女の顔を照らし出し、距離はあまりにも近く、避ける暇などなかった。準一は車が突っ込んでくるのを見て頭が真っ白になり、絶望の声をあげた。「止まれ!」次の瞬間、彼は全身の力を振り絞って美夕に向かって駆け出し、車が彼女にぶつかる寸前、力いっぱいに彼女を突き飛ばした。美夕は強い衝撃で押し飛ばされ、何が起こったのか理解できないまま、車が準一へと突っ込んでいくのを目にした。次の瞬間、耳をつんざくような衝突音と、重い物が地面に叩きつけられる鈍い音が響いた。彼女は這うようにして立ち上がり、振り返った。準一は地面に倒れ、体から流れ出た血が地面に広がっていく。その鮮烈な赤が、目を背けたくなるほどに痛々しかった。
美夕から届いた手紙の内容を思い出し、恭子はしばらくためらった末に口を開いた。「準一、もう美夕のことはそっとしておきなさい。彼女には新しい生活があるし、これから先、明るい未来も待っているんだから。あなたたち二人は……もう、元には戻れないのよ」しかしそのときの準一には、どんな言葉も耳に入らなかった。手にしていたリンゴを慌ただしく置くと、くるりと向きを変えて自分の部屋に駆け込み、荷物をまとめ始めた。「母さん、どうしても美夕を見つけて謝らなきゃいけない。きっと俺を許してくれる!」玄関まで来たところで、彼は立ち止まり、振り返って恭子を見た。その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。恭子は息子の背中を見つめ、どうしようもない思いでため息をついた。「願いが叶うといい……」飛行機は雲を突き抜け、ミラノ空港に着陸した。準一がターミナルを出た途端、スマホが鳴った。病院からの電話だった。「須藤さん、河野さんは流産後、情緒が非常に不安定で、ずっとあなたに会いたいと騒いでいます。お時間をいただけますか?」準一は一瞬のためらいもなく通話を切り、スマホをバッグに押し込むと、すぐに美夕の行方を探し始めた。彼はフランス語が話せず、たどたどしい英語で通行人を呼び止めては繰り返し尋ねた。「瀬戸美夕をご存じですか?リスタートシリーズのデザイナーがどこにいるか知りませんか?」準一は出発して以来、すでに二十時間以上、食事も水も口にしていなかった。美夕を見つけたいという思いだけが彼を支えており、これまでの疲れを感じることはなかった。しかし今、通りかかる人に何度も首を振られ、断られるうちに、身体の疲れと現実の厳しさが一気にのしかかってきた。最後の通行人に尋ね終えた瞬間、準一の脚から力が抜け、街角に崩れるように座り込んだ。瞳は虚ろで、微かな光さえ消えようとしている。その時、遠くからカーキ色のトレンチコートを着た人影が歩いてくるのが見えた。微風が彼女の長い髪を揺らし、そのたびに繊細な横顔がのぞいた。準一の視界の中で、すべてがスローモーションのように感じられた。人影がすぐ傍を通り過ぎようとした瞬間、彼ははっと我に返る――美夕だ!拳を握りしめ、思わず声をあげた。「美夕!」美夕の足が止まり、彼女は振り返った。そこには地面に座り込む準一の姿があった。