LOGIN夫の黒瀬悠真(くろせ ゆうま)は、幼なじみの白石雪乃(しらいし ゆきの)がエレベーターに1時間閉じ込められた翌日、私たちの6歳の娘・黒瀬莉子(くろせ りこ)をスーツケースに丸一昼夜閉じ込めた。 出張先にいた私、黒瀬音羽(くろせ おとは)は、自宅の見守りカメラに映る激しく揺れるスーツケースを見て、すぐに悠真へ電話をかけた。 「悠真、正気なの?莉子はまだ6歳なのよ。あんなところに閉じ込めるなんて……早く出して!」 けれど、悠真は冷たく言い放った。 「莉子が余計なことをしなければ、雪乃は閉じ込められなかった。閉所恐怖症の雪乃がどれだけ怖かったと思う?莉子にも同じ思いをさせれば、さすがに懲りるだろ」
View More蒼に手を引かれ、音羽は神谷家の邸宅へ足を踏み入れた。これほど裕福な家なら、当主も気難しい人かもしれない。応接間へ向かうあいだ、少しでも自分を疎む様子があれば、蒼との関係は諦めようと決めていた。ところが、そんな覚悟は応接間に着くなりあっさり覆された。「あなたが音羽さん?まあ、本当にきれいな方ね。蒼から聞いていたとおりだわ」上品で知的な女性が、うれしそうに音羽を迎えた。蒼の母だった。「そんなところに立ってないで、ほら、早く座って。初めて会ったんだもの、何かプレゼントさせてちょうだい」高級車に邸宅、限定ジュエリー、ヨットに島まで、次々と話に出てくるものだから、音羽は呆然とするしかなかった。「ほかにも欲しいものがあったら言ってね。何でも用意するから」あまりの勢いに圧倒されていると、蒼が笑いながら間に入った。「母さん、もうそのへんで。音羽が驚いてるだろ」「あなたに任せてたら心配だわ。こんなに鈍いんじゃ、音羽さんも苦労してるでしょうに」そんな家族の温かなやり取りに音羽は思わず涙ぐみ、食事が終わる頃には、蒼の母によって婚約から結婚式までの日取りがすっかり決められていた。「そんなに急がなくてもいいんじゃないですか?蒼くん、まだ大学を卒業してませんし。そういう話は卒業してからでも……」「心配ないわ。大学の課程なら、とっくに飛び級で終えてるし、大学院への推薦も決まってるの。今は時間つぶしに通ってるようなものよ」そこまで優秀だとは知らず、音羽は驚いて蒼を見た。家族に背中を押され、半ば勢いに任せるように、音羽はその日の午後には蒼との結婚を決め、手続きを済ませていた。そして1か月後、純白のウェディングドレスに身を包んだ音羽は、祝福の声に包まれながら、赤い絨毯の向こうで待つ蒼のもとへ一歩ずつ歩いていった。少し前まで、もう二度と結婚もせず、子供を産むこともないまま生きていくのだと思っていた。それなのに今、こうしてもう一度幸せな日を迎えている。ここまで来られたのは、蒼と出会えたからだった。蒼は音羽にとって救いとなり、もう一度未来を信じる希望をくれた。祝福の声が満ちる中、牧師が蒼へ問いかける。「神谷蒼さん。貧しいときも富めるときも、健やかなときも病めるときも、生涯、音羽さんを愛し、敬い、守ることを誓いますか?」蒼は目
振り返ると、悠真はいつの間にか取り出したナイフを胸に突き立て、音羽から目を離さないまま狂ったように笑いながら、その場に崩れ落ちた。「音羽が言ったんだろ……俺が命で償えば、復縁するって……」復縁のために自分の胸を刺すなんて、どうかしている。音羽はすぐに救急車を呼び、搬送後は落ち着かないまま手術室の前で待ち続けた。やがて連絡を受けた蒼が駆けつけ、音羽の手に残る血を目にした瞬間、その顔色がさっと変わった。「音羽、大丈夫か?けがはないか?あいつに何かされたのか?医者は何て?」取り乱したように矢継ぎ早に問いかける蒼を見ているうちに、音羽の胸に残っていた不安も少しずつ薄れ、思わず笑みがこぼれた。「大丈夫。これは悠真の血よ。許してほしいって、自分で胸を刺したの」蒼の顔つきがすっと険しくなる。それでも音羽に向き直ると、声を和らげた。「怖がらなくていい。あとは俺に任せて。音羽はもう関わらなくていいから」何をするつもりなのかは分からなかった。それでも、不思議と蒼のことは信じられた。それから数日、音羽は家から出ずに過ごした。千鶴が遠路はるばる訪ねてきても、手術を終えた悠真が目を覚ましても、二人そろって滞在先まで謝りに来ても、音羽は一度も顔を合わせなかった。蒼に言われたとおり、何があっても悠真たちとは一人で会わなかった。そんな日が数日続いた頃、黒瀬ホールディングスが破産したという知らせが届いた。悠真と千鶴は急いで戻ったものの、すでに立て直せる状態ではなかった。そんな中、しばらく姿を見せていなかった蒼が、旅の疲れをまとって帰ってきて、そのまま音羽を抱きしめた。「もう大丈夫だ。あいつらは、もう音羽を困らせたりしない。全部片づけたから」「蒼くん、いったい何をしたの?」気になったのはもちろん、自分を守るために蒼が道を踏み外すようなことをしたのではないかと、音羽は心配でもあった。けれど蒼は答えず、ふいに別のことを口にした。「音羽、俺の両親に会いに行かないか?」少し不安はあったものの、音羽はうなずいた。「……うん」それから車を走らせ、たどり着いたのは豪奢な邸宅の門前だった。目の前の光景に音羽が言葉を失っていると、蒼は笑ってその手を握った。「実は、父はマレーシアでも有数の資産家なんだ。ばあちゃんは田舎暮らしが好きで、
音羽はそれ以上悠真と言葉を交わさず、そのまま医務室を出た。なおも引き止めようとする悠真の前に、蒼が立ちはだかった。「まだ分からないのか?音羽は帰れって言ってるんだ。俺の彼女は優しいから手を出さない。でも俺は違う。これ以上つきまとうなら、ただじゃ済まさない」20代前半の学生にすぎないはずなのに、悠真はなぜか蒼に気圧された。生まれ持ったような威圧感に、背中には冷たい汗がにじんだ。医務室を出た音羽は、大学近くの湖畔公園まで歩いて気持ちを落ち着けた。何をされても平気でいられるほど、音羽も寛大ではない。あのまま悠真の前にいたら、怒りを抑えきれなくなりそうだった。風が頬をなで、涙がにじみそうになったそのとき、目の前にハンカチが差し出された。「帰ってご飯食べよう?ばあちゃんが待ってる」顔を上げると、そこにはいつもの明るい笑顔の蒼がいた。その顔を見た途端、音羽は思わず笑ってしまう。きっと、これが本当の蒼なのだ。これまでずいぶん猫を被っていたせいで、すっかりおとなしい学生だと思い込んでいた。二人は手をつないで家へ戻った。家が近づくにつれ、庭の花の香りが漂ってくる。そんな中、音羽がふと口を開いた。「さっきの人、私の前の夫なの。娘を死なせた人でもあるの」蒼は黙って聞いていた。「見てのとおり、私の人生はそんなにきれいじゃない。悠真は一度決めたら簡単には諦めないから、これからも何度も来ると思う。でも、そのたびに蒼くんを頼るわけにはいかないの」音羽はつないでいた手を離した。「正直に言うと、蒼くんのことは本当に好き。一緒にいたいと思ったこともある。でも、私のせいで蒼くんたちまで巻き込みたくない。だから、ここまでにしたほうがいいと思う」蒼を好きな気持ちは本物だったし、ずっと一緒にいたいと思ったこともある。それでも今日のことで、二人の間には簡単には埋められないものがあると気づいた。自分の事情で、蒼の人生まで曇らせたくなかった。蒼は、音羽の表情が曇っていくのをじっと見つめていた。やがて両手でその頬を包み、額へそっとキスを落とした。「音羽、俺を信じて。もう二度と傷つけさせない」ただの大学生に見える蒼が、悠真や黒瀬家を相手に何ができるのか、音羽には分からなかった。けれど、その言葉どおり、悠真は次第に蒼を警戒するようになった。
悠真の手には、音羽に渡すための花束が握られていた。ようやく会えたら、まず謝ろう。自分の間違いを認めて、もう一度そばにいてほしいと伝えるつもりだった。けれど、あちこち探し回った末にようやく見つけた音羽は、別の男と唇を重ねていた。その光景は、悠真の胸に鋭く突き刺さるほどの屈辱だった。「音羽!何してるんだ!」我を忘れた悠真が蒼に殴りかかる。だが蒼はすぐに身をかわし、そのまま悠真を床へ押さえつけると、近くにあったロープで手足を縛った。「離せ!お前、何なんだよ!俺に触るな!」音羽は、目の前の悠真を呆然と見つめた。学生時代の彼は、誰に何を言われても感情を乱さない近寄りがたい人で、社会人になってからも仕事では決して隙を見せず、誰にもつけ入る余地を与えなかった。けれど今、床に押さえ込まれた悠真は、無精ひげを生やし、目の下には濃い隈が浮かんでいる。ひどく痩せて背中まで丸まり、かつての面影はほとんど残っていなかった。たった3か月で、人はここまで変わるものなのか。そう思った次の瞬間、悠真は別人のように態度を変えた。赤く充血した目で音羽を見つめ、弱々しい声で訴える。「音羽……全部、俺が悪かった。祖母のことも莉子のことも、全部雪乃の仕業だってあとから分かったんだ。雪乃を信じて、二人を傷つけた。本当にごめん」悠真は感情を乱したまま、これまでのことを一方的に語り続け、その責任をすべて雪乃に押しつけた。「それに、雪乃にはもう罰が下った。無期懲役になったんだ」そう言い募る悠真を見て、蒼は眉をひそめ、音羽を連れてその場を離れようとした。けれど音羽は動かず、床に押さえ込まれた悠真を静かに見下ろした。かつて何度も、自分が彼からそうされてきたように。「悠真、一つだけ訂正しておくね。莉子を死なせたのは雪乃だけじゃない。本当に莉子を殺したのは、あなたよ。悠真が許可しなければ、雪乃だって莉子を閉じ込めたりしなかったわ」音羽は取り乱すことなく、ただ事実だけを静かに突きつけた。「結局、莉子を殺した張本人はあなたなの。悠真がどうして今さら私を追いかけてきたのかも、雪乃と何があったのかも、もうどうでもいい。知りたいとも思わない」音羽は悠真を見つめたまま続けた。「昔、悠真を愛してたのは本当。でも、もう終わったことよ。私たちは離婚したんだから、これ以上私の人生に
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