楓原月乃
水泳の練習中、幼なじみの桐谷莉央(きりたに りお)が足をつったふりをした途端、恋人の黒瀬直哉(くろせ なおや)は私の手を放し、彼女のもとへ泳いでいった。
私――宮原琴葉(みやはら ことは)は、水深2メートルのプールにたった一人で取り残された。
直哉は莉央を抱えるようにしてプールサイドへ上げると、水の中でもがく私を笑顔で見つめた。
「莉央がさ、琴葉は俺に頼りすぎだって。少しくらい追い込まれないと泳げるようにならないって言うから。自分でここまで泳いでおいで」
水を飲んだ私は、そのまま沈みかけた。
莉央は必死にもがく私を見て、お腹を抱えて大笑いしていた。
直哉はそんな彼女に何か言い、呆れたようにバスタオルを肩へ掛けてやった。
何を言ったのかは聞こえなかった。
けれど、きっとこう言ったのだと思う。
「もう気が済んだだろ。次からはやめろよ。ただでさえ琴葉は水が怖くてかわいそうなんだから」
私は昔から水が怖かった。
二人と知り合って7年。二人はいつも「水への恐怖を克服させるため」と言って、私を苦しめてきた。
大学時代、海へ遊びに行ったときは、莉央がわざと私をモーターボートから突き落とした。
直哉は海へ飛び込むなり莉央をかばい、私は波にもまれながら、腹いっぱいに海水を飲んだ。
卒業旅行でラフティングをしたときは、莉央が突然ラフトを転覆させた。
直哉は真っ先に彼女のもとへ泳いでいき、岩に脚をぶつけて血が止まらなくなった私を、そのまま放っておいた。
去年ウォーターパークへ行ったときは、莉央がウォータースライダーの滑り口から私を突き落とした。
あとから滑り降りてきた直哉は莉央を受け止め、私はプールの中に取り残され、息ができなくなるほど怯えた。
私が恐怖と絶望に襲われるたびに、莉央は声を上げて笑った。
そして、その後ろに立つ直哉は、決まってこう言った。
「次からはやめろよ」
けれど、彼の言う「次」は、いつも莉央が私をからかうための新しい遊びに変わった。
水が口と鼻から流れ込み、息苦しさで頭が破裂しそうになった。
けれどそのとき、ふと思った。
一人でも、浮かぶことくらいはできるのかもしれない。
私はコースロープにしがみつき、どうにかプールサイドへ這い上がった。
二人が同時に手を伸ばしてきた。
私は、その手を振り払った。
「もういい。二度と、私のためなんて言ってこんなことしないで」